小田井君が辞めたら知ってるメンバーの6-3=3 「純烈」とは呼べない

純烈裏話/酒井一圭氏が林田達也氏3年ぶり復帰に言及‼

純烈裏話「達ちゃん復帰‼」の噂にリーダーがついに 
<林田達也氏のカムバックに酒井一圭氏言及>


純烈CD幸福あそび愛をありがとうステッカー林田達也プレミアム盤シール

先日の大阪のXmasディナーショウでのエピソードだけど、

酒井一圭さんがこう言った。

 

 皆さん(これはオーディエンスに向かって言ってる。)memberを増やした方がいいですか?

達也(林田達也さん)をカムバックさせようか?復帰してもらうようにお願いしようと言う気持ちもあるのですが,、、、、、。

 

 

話はまだ達ちゃんのところに届いてないみたいだ。向こうも、仕事についているだろうし、芸能人じゃない。都合もあるだろうし、カムバックとなるとトレーニングを始めないとすぐにはメンバーのレベルにはついていけないだろうし。

 

まあ、いい話だと思う。ご両親やおばあちゃんのサポートのためにいったんは芸能界から引退したというものの、ある意味、純烈の中で人気は高い方だったから。熱狂的なファンもいたし。

 

達ちゃんを新メンバーに来年、三度目の紅白を目指すというのもいいよね。今年の年末の紅白が済んでから、事務所とメンバーと達ちゃんで相談したらいいんじゃないか。

 

達ちゃんが引退前にソロで歌った「小樽の人よ」の歌詞にもあったじゃないか。

 

 

  嗚呼、あの日残してきたけれど

  必ず行くよ

  待ってておくれ

183 純烈写真集

みんな最後列向かって右の青年が達ちゃんだからね。分かってんと思うけど。 

 

                ☆       

それじゃあ、今回もまた、酒井一圭作詞、歌 友井雄亮酒井一圭の「純烈一途」で締めとくから、よろしく。



一度決めたら どこまでも
二度と帰れぬ 片道切符
三度駄目でも 痩せ我慢
懲りない奴らの大博打

男は目ヂカラ
燃えて 燃えて貫いて
純情 烈夫の ごとくあれ
純烈一途に


あんたの夢に 賭けたのよ
命も愛も 全部持ってけ
手を振りながら 強がっても
やっぱり抱きしめて 愛しくて


女は目ガシラ
熱く 熱く潤ませて
純粋 可憐な 花であれ
純烈一途に

どれだけ 遠くても
夢を 夢を追いかけて

男は目ヂカラ
燃えて 燃えて貫いて
純情 烈夫の ごとくあれ
純烈一途に

 

純烈一途

 このアルバムに純烈一途が入ってんからなー。




日本人の好きな漫画家

水木しげるさんは、つげ義春のタッチにほれ込んで、雑誌ガロ誌上に
つげ義春さん。連絡をください。水木しげる。」と言う広告を
載せた。
それを見たつげさんが調布市の水木さん宅を訪れアシスタントに
なったという。


その時、つげさんはもうすでに「つげ義春」というブランドとして
確立されたプロの漫画家であった。しかし、水木さんに乞われて
水木さんのアシスタントを引き受けた。
引き受けたつげさんの本心は誰にも分らない。

一部漫画ファンがよく水木さんに尋ねたという。

「つげさんは自分がプロの漫画家なのに今更、水木さんのアシスタント
なんかして、プロとして自信喪失でもしたのでしょうか?」


水木さんの答えは明快である。


「ボクはつげさんのタッチがボクの漫画にピッタリだと思った。
何とかボクの作品作りを助けてもらいたいと思ってオファーした。
もちろん、彼は自分のタッチが確立されたプロの漫画家だ。だけど
プロのアシスタントとして仕事をして生活の糧を得たいと思って
ボクのところに来た。
ただ、それだけのことであって、別に、つげさんが堕落したわけでも、
プロとして自信喪失したわけでもない。」


つげさんはつげさんでアシスタントをしながらこの時期、「ねじ式」、
「ゲンセンカン主人」、「紅い花」を発表している。

だから、生活の糧を得るために水木さんのアシスタントをしながら、
自分の描きたいものを描いていた。堕落や自信喪失ではなくてまさに
充実した漫画家活動をしていたと言えよう。三作品はつげさんの

代表作と言う人もいる。

ボクの友人の漫画家兼編集者は、個人的にと前置きして
「ゲンセンカン主人」が一番好きだと言っているほどだ。

つげさんは水木さんを尊敬していたらしく、ゲゲゲの女房
水木しげる夫人の著作によると水木さんの車を池上遼一さんの運転で
水木さんつげさんが同乗して神田の古本屋街によくでかけていったそうだ。

水木夫人の話ではつげさんはガロの広告を見てふらりと水木邸に現れ
、住むところもないというので、水木さんはあわててアパートを
契約したそうだ。ふらりと現れ、「ヤスミタイ」という謎の手紙を
残して失踪事件を起こし、また、ふらりと姿を現してアシスタントの
仕事をしたりしたそうだ。

つげさん自身は、一連の行動に関して「自分の中の精神的な不安定」と
「旅行癖( 異常な放浪癖 )」を挙げている。

休筆宣言をした後、深大寺かどこかで偶然バッタリ、水木さんと再会し、

( 仕事と生活が思うようにいかず)「不安で不満ですよ。」

と水木さんが言うのを聞いて、

「あれほどの成功者にして、心の不安はぬぐい切れないのだ。」

と思い、ますます尊敬したと語っている。

 


池上遼一さんに関しては水木夫人の著書によると、関西で看板を
描いていた池上さんがガロに発表した作品の画力に感心した水木さんが
編集部に頼み込んで関西からアシスタントをしてもらうために
呼び寄せたという。

上京したその日から、水木さんの原稿の背景を担当し、驚くほどの
スピードで完成させ、水木夫人が用意した夜食の握り飯を片膝立てて、
これまた驚くべき程のスピードで平らげ、仕事に戻り、
また、すごいスピードで仕事を続けたという。

水木夫人は、池上さんの何をするにも驚くべきスピードでやってのける様に
驚いているが、同時にとてもきれいな絵を描いていたと述懐している。

 

不思議な事に池上さんのヒット作品のほとんどが原作付き漫画(劇画)で
あることだ。ボクが知っているだけでも、「スパイダーマン」、
「ひとりぼっちのリン」、「I餓男」、「男組」、「信長」、
サンクチュアリ」、、、などすべてだ。

ボクは、原作付き漫画の作画家が悪いとかは全然思わない。それどころか、
他人の作ったストーリーを絵に表わせる人は、ストーリーを創作する人と
同じくらいの力を尽くして作画化していると思う。


今一つ不思議な事は、池上さんはつげ義春さんの大ファンで水木さんの
アシスタントになった時、そこにつげさんがいて驚いたが、
水木さんの言によると、

「私よりも、つげさんのことを先生々と呼んで、よっぽど尊敬していた。」

と言う話である。本当に興味深い不思議な関係だ。


最高の弟子【水木しげるのアシスタントつげ義春、池上遼一】


無能の人・日の戯れ(新潮文庫)

水木しげるさんは、つげ義春のタッチにほれ込んで、雑誌ガロ誌上に「つげ義春さん。連絡をください。水木しげる。」と言う広告を載せた。それを見たつげさんが調布市の水木さん宅を訪れアシスタントになったという。

その時、つげさんはもうすでに「つげ義春」というブランドとして確立されたプロの漫画家であった。しかし、水木さんに乞われて水木さんのアシスタントを引き受けた。引き受けたつげさんの本心は誰にも分らない。

一部漫画ファンがよく水木さんに尋ねたという。

「つげさんは自分がプロの漫画家なのに今更、水木さんのアシスタントなんかして、プロとして自信喪失でもしたのでしょうか?」

水木さんの答えは明快である。

人生をいじくり回してはいけない (ちくま文庫)

「ボクはつげさんのタッチがボクの漫画にピッタリだと思った。何とかボクの作品作りを助けてもらいたいと思ってオファーした。もちろん、彼は自分のタッチが確立されたプロの漫画家だ。だけと゛、プロのアシスタントとして仕事をして生活の糧を得たいと思ってボクのところに来た。ただ、それだけのことであって、別に、つげさんが堕落したわけでも、プロとして自信喪失したわけでもない。」

つげ義春日記 (講談社文芸文庫)


つげさんはつげさんでアシスタントをしながらこの時期、「ねじ式」、「ゲンセンカン主人」、「紅い花」を発表している。

だから、生活の糧を得るために水木さんのアシスタントをしながら、自分の描きたいものを描いていた。堕落や自信喪失ではなくてまさに充実した漫画家活動をしていたと言えよう。三作品はつげさんの代表作と言う人もいる。

ボクの友人の漫画家兼編集者は、個人的にと前置きして「ゲンセンカン主人」が一番好きだと言っているほどだ。


つげさんは水木さんを尊敬していたらしく、ゲゲゲの女房水木しげる夫人の著作によると水木さんの車を池上遼一さんの運転で水木さんつげさんが同乗して神田の古本屋街によくでかけていったそうだ。

水木夫人の話ではつげさんはガロの広告を見てふらりと水木邸に現れ、住むところもないというので、あわててアパートを契約したそうだ。ふらりと現れ、「ヤスミタイ」という謎の手紙を残して失踪事件を起こし、また、ふらりと姿を現してアシスタントの仕事をしたりしたそうだ。

新版 貧困旅行記(新潮文庫)


つげさん自身は、一連の行動に関して「自分の中の精神的な不安定」と「旅行癖( 異常な放浪癖 )」を挙げている。

休筆宣言をした後、深大寺かどこかで偶然バッタリ、水木さんと再会し、

( 仕事と生活が思うようにいかず)「不安で不満ですよ。」

と水木さんが言うのを聞いて、

「あれほどの成功者にして、心の不安はぬぐい切れないのだ。」

と思い、ますます尊敬したと語っている。

 

漫画家本vol.12 池上遼一本 (少年サンデーコミックススペシャル)

池上遼一さんに関しては水木夫人の著書によると、関西で看板を描いていた池上さんがガロに発表した作品の画力に感心した水木さんが編集部に頼み込んで関西からアシスタントをしてもらうために呼び寄せたという。

上京したその日から、水木さんの原稿の背景を担当し、驚くほどのスピードで完成させ、水木夫人が用意した夜食の握り飯を片膝立てて、これまた驚くべき程のスピードで平らげ、仕事に戻り、また、すごいスピードで仕事を続けたという。

水木夫人は、池上さんの何をするにも驚くべきスピードでやってのける様に驚いているが、同時にとてもきれいな絵を描いていたと述懐している。

 

BEGIN(1) (ビッグコミックス)


不思議な事に池上さんのヒット作品のほとんどが原作付き漫画(劇画)であることだ。ボクが知っているだけでも、「スパイダーマン」、「ひとりぼっちのリン」、「I餓男」、「男組」、「信長」、「サンクチュアリ」、、、などすべてだ。

ボクは、原作付き漫画の作画家が悪いとかは全然思わない。それどころか、他人の作ったストーリーを絵に表わせる人は、ストーリーを創作する人と同じくらいの力を尽くして作画化していると思う。


今一つ不思議な事は、池上さんはつげ義春さんの大ファンで水木さんのアシスタントになった時、そこにつげさんがいて驚いたが、水木さんの言によると、

「私よりも、つげさんのことを先生々と呼んで、よっぽど尊敬していた。」

と言う話である。本当に興味深い不思議な関係だ。

ゲゲゲの鬼太郎(1) (コミッククリエイトコミック)

紙おむつで司法試験に合格したシニアの話

司法試験トップ合格者らが伝えておきたい勉強法と体験記

新日本法規出版







先輩が紙おむつをして司法試験を受けたと聞いてびっくりした。
ボクは70才だし、先輩は72だから不思議はないのだが。

よく聞いてみると紙おむつではなく紙パンツをして試験に臨んだのだと言う。納得した。
寝たきりでもないのに紙おむつとは?不思議だったが謎が解けた。
試験は合格したそうだ。

高齢化社会と言われて久しいが、老人だから、トイレが近いから何もせず家にいてテレビばかり見ていては老いが早々とやって来る。
かえって若いもんに迷惑をかけることになる。


自分の工夫で老人としての自分の弱点をカバーして社会貢献する方法は探せばきっと見つかるのではないか?先輩の話を聞いてそう思った。

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こんなヤフオク自己紹介文は不要

今すぐ使えるかんたん ヤフオク! とことん稼ぐ攻略ガイドブック (今すぐ使えるかんたんシリーズ)










ヤフーオークションの自己紹介文の中に笑えるのがある。ヤフオクの自己紹介はオークション参加者に安心して品物を買ってもらうためのものだと思うが中にはとんでもなく勘違い人間がいる。

「私は外資系の銀行に十年勤務していましたがこの度ヤフオクを再開します。過去1000件以上していましたので分からない事は何でも聞いてください。」

と、高い所から目線の文章が綴られており何を勘違いしてか住所氏名連絡先電話番号が記載されていた。

それに対しての書き込み。
「現在は匿名発送、匿名受取が原則です。十年以上前のルールを熟知していると言っても現在は通用しない。それに誰もあなたの個人情報なんか知りたくないし、、、」


銀行の話 〈企業倒産の現場〉




ボクがまだ銀行員だった時のことだ。ある倒産事件を思い出して胸が痛くなることがある。

通常、銀行員が倒産の現場に出向いたところで得るものは何もない。苛立った債権者の群れに混じっても、ろくな目にあわない。銀行員は場馴れしていないため、黙っていても必ず周りに正体が知られてしまう。

そして、素人債権者や下請け、従業員たちに囲まれて社長の個人預金はわしらの未払い代金として現金で持って来いと怒鳴られたりすることがある。

たとえ銀行に倒産企業の口座が残っていて、何十万円かの預金があったとしても、何千倍かの回収できない貸出金があるとすれば、銀行こそが不幸な最大の債権者だと言う考え方は否定されなくても良いはずだ。

正式の債権者集会でさえ、銀行だけが一番や二番の上位に抵当権を付けて、借り手が倒産するとすぐ差し押さえ競売を申し立て、涼しい顔して貸金回収をする。そんなふうに思われている。

事実、ボクも銀行員時代は罵声を浴びせられたこともある。しかし、これは見当違いの八つ当りもいいところだ。一般債権者が妬むほどのガチガチの保全主義は、そうでもしなければ、他には何ら強力な貸出金の回収手段やノウハウを持たない銀行にとっては無理からぬことなのである。

では、何ら「担保」「保証」を持たない「信用貸出」の先が倒産したら、銀行はどうやって債権回収をするのだろうか。

「バルク・セル」と言って債権買い取り会社に債権残高に比して、ほとんど二束三文に近い値段で「叩き売り」するのである。

だから、臆病な銀行にとって、信用貸付はレア・ケースである。経営者の人柄や企業の将来を信じて担保も保証人も付けずに貸し出すことはほとんどあり得ない。

しかし、ボクはかつて、例外的に一部上場家電会社の部品製造下請け会社に対して1億円の短期融資案件を実行したことがある。ところが、1億円の融資時点ではN社の資金繰りは破綻していたのだ。

1回目の不渡りを知ったボクは、N社を訪問した。すると既に事務所は債権者で溢れ返っていた。反社会的勢力とおぼしき連中に両側を固められたN社の社長が、社屋から玄関前に停車された黒い大型車に乗せられようとしていた。

社長と目が合ったので、思わず「社長! ギブアップするの?」とボクが問いかけると、反社の若い衆が「こら! 何じゃ、われ! 帰れ!」と恫喝してきた。そしてそのまま社長を乗せた反社の車は走り去った。

未回収確定の1億円の貸出金、自分に対する懲罰処分、そんな些末な不安より、N社の社長に裏切られたと言う感情がボクを責め苛んだ。

社長が連れ去られた後、N社の駐車場に集まった債権者に向かって呼び掛ける怪しげな事件屋の声がいつまでも響いていた。

「債権買うよ~。手持ちの請求書だけでもいいよ。債権額の5%から10分の1で!」

倒産の現場には、債権者と債務者、そして怒りと悲しみしかない。

板垣死すとも自由は死せず < ルイ・ヴィトンと板垣退助 >


自由は死せず

 

(友人の高知県出身の漫画家が、龍馬と板垣退助について熱く語っている後半、、、、。)
 
「、、、、いくら上士と下士といっても、最低でも、どっかで接点はあったはず。 (龍馬と退助は) 子供の頃は遊び場が一緒だったはずだし。接点がなかったというのが不自然・・・と思う。」 
    ☆              ☆
 
 
明治15年(1882年)、岐阜の演説会場で板垣退助は愛知の小学校教員・相原尚聚に短刀で胸を刺される。この時、板垣退助45歳、相原尚聚25歳であった。

傷を受けながらも古流柔術「備中伝竹内流柔術免許皆伝の板垣は相原を押さえつけて官憲に引き渡す。血まみれの板垣には「板垣死すとも自由は死せず!」と叫ぶ余裕は無かったに違いない。

相原は終身懲役刑に処せられ北海道へ流刑となる。明治22年(1889年)明治憲法公布の特赦にて放免された。相原は上京し板垣を訪ね、涙ながらに謝罪をした。板垣はこれを許したと伝えられている。

しかし、元テロリストの汚名は拭えるべくも無い。相原は失意のうちに故郷を捨て、再び自身の流刑の地・北海道を目指す途中、金華山沖で船から投身自殺を図り32年の生涯を終えた。

相原尚褧に対して、特赦嘆願書を明治天皇に提出したのは、他ならぬ板垣本人であった。自身を殺害しようとした相手を許し天皇に赦免を請う。

維新の功績に爵位を賜ったがこれも恐れ多いと辞退した。家屋敷を売り払い、私財を擲って自由民権運動に身を投じたため晩年は金銭的に困窮した。

金も名誉も捨て仇敵さえも赦す。しかし、自由民権運動の祖として名は残り、百円札にその肖像画が描かれた。

欧州視察に派遣されたが貧乏な為、友人が金を工面しトランクを彼に贈呈した。日本人で板垣退助が初めてヴィトンのトランクを愛用した人物だ。

ボクの親友の漫画家と彼の長女

月の雲海の写真壁アートパネル風景キャンバス絵画インテリア夜景プリントとリビングルームのポスターモダンな家の装飾60x120cmフレームなし


親友の漫画家の娘さんがYou Tubeに出ていた。

親友は最後まで娘は役者を辞めて結婚して欲しいと言っていた。孫の顔を見るのは諦めたけど同棲なんかせずきちんと入籍して欲しいとも。

しかしボクは娘さんと面識がないので忠告もできない。勿論TVで顔は見てるけど。彼女は父の友人なんか知らない。いやもし仮に知っていたところで、ボクが彼女に忠告することはできない。父親である彼だけが娘である彼女に忠告できるのだ。
ボクごときが親子の問題に立ち入って良いはずはない。
BSに9時から娘が出るからとか雑誌に娘のインタビュー記事が載ってるとか、よく電話があった。

父の職業雑誌編集者だってよ。漫画家なんてかっ
こ悪いってゆうんだぜ。

と嬉しそうにボヤキながら自立した娘さんを自慢していた。いつかお嬢さんの舞台を拝見し彼の墓前に報告したいと思う。

合掌

純烈・白川裕二郎さんのツィート

あらいぐまラスカル ファミリーセレクションDVDボックス

ラスカルだよ
って呟いていたけど
裕二郎さんがアライグマ飼ってる訳じゃあないでしょう
彼んちは猫だけだよね

都会でペットとして飼っていたけど
育てきれずに捨てたり逃げたりしてるアライグマがいるって聞いたけど

その場合アライグマは半野生化して狂暴になると言うから
顛末は知らないけど気をつけたほうがいい。  

って今さら言っても遅いか


純烈ベスト Vol.1 2010-2015
この画像は古いね。友井くんと林田君が写ってるし、右端のリーダー今や渡辺徹みたいになってるし。

ゴージャス・ジョージがカシアス・クレイことモハメッド・アリと力道山に与えたもの

カシアス・クレイ (1972年)

カシアス・クレイが西海岸のラジオ局でゴージャズ・ジョージと対談した時、ジョージは翌日フレディ・ブラッシー(和名ではフレッド・ブラッシー)とのタイトルマッチを控えていた。

 

それは結果の決まったプロレスワークだったがジョージは明日から俺が世界チャンピオンだとわめきたてた。レスリングでは俺が、ボクシングではカシアスクレイが世界一強いとがなり立てた。

フレッド・ブラッシー自伝

プロレスの試合にももちろん掛け率と金を賭ける人々が存在した。

どちらが勝つか?ではなくて何ラウンドでジョージが出血するか、何度リング上でジョージかブラッシ―に謝罪を乞うか、について人々は賭け銭を出したが、前日の大ぼらにたがわず、ジョージは最終ラウンドまでワークを続行しリング上に立ち続けた。

両者流血のドローとなった。

 

この試合と前夜の対談でカシアスクレイはゴージャス・ジョージから教訓を得た。モハメッド・アリに改名し大口を叩き続けた。ボクシングにブックはないがうぬぼれではなく最強の自分がリングの外でも最強を演じ続ければファンは自分の試合を見に来続けるだろうと確信した。また後年、東京でアントニオ猪木と闘った時はブックのないボクシングとブックのあるプロレス、しょせん嚙み合う事のないない試合をショーとして成立させるためには当然すべてがワークであり、ブックが存在すると思い込んだのだ。そしてそれが「リハーサルはいつやるんだ?」という発言につながるのである。

 

昔、西海岸で滞在中、たまたまゴージャスジョージの仕事をホテルのテレビで見た力道山はテレビジョンでプロレスリングを中継することを思い付いた。もちろんそれはワークであり結末はブッカーが決めることとした。

 

唯一例外は昭和29年の木村政彦戦である。

力道山対木村政彦戦はなぜ喧嘩試合になったのか

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