病院に関する十七の話「①医局図書室の原節子」


入職後のある日の朝礼で「図書室の保管期限終了の本を持ち帰って良い。」と言われた。興味があったので業務終了後に覗いてみようと思った。「図書室はどこですか?」と総務課で尋ねたら二階の医局の隣と教えられた。

医局の扉を開けたら入ってすぐの所が図書室だった。医局の誰かに告げてから本を見ようと思ったが、どうやって医局にいくのかわからない。図書室の端に簡易テーブルがあり白衣の女性が一人読書していた。姿勢がよく気品があって、なんか宮様のような清らかな威厳を漂わせている。気が引けるが勇気を出して声をかけた。名札を見せて、

 

「あのう、庶務のバイトのとくたですが、不要図書を頂けると聞いて伺ったのですが、、、。」

 

宮様はゆっくりと本を置き顔を上げ、私の方を見て「御本がお入り用なのですね?それでは医局の人に話してみましょうね。」とおっしゃった。声は原節子をゆっくりと静かにしゃべらせたような感じで上品だった。

彼女は図書室の奥の医局に行き若い女性職員に私の来意を告げ、ゆっくりと自席に戻って読書を再開した。

医局女子の説明を受け私は廃棄予定本の中に読みたいジャンルのものを見つけ出し、三冊いただくことにした。一冊目を取ろうとした時、私の白衣のポケットから500ミリリットル入りのスクリューボトルが床に落ちてしまった。ガチャンとものすごい音がした。図書室での騒音はご法度である。

「すみません。大きな音を立てて。」

とっさに詫びて宮様の方を見たが彼女は少しも慌てずゆっくりと本から目線を上げて私を見て、「いいえ。どういたしまして。」と、おっしゃった。

私は大いに恐縮しながら、そそくさと図書室を後にした。

(あの女性は誰だろう?ドクターだろうか?)帰り際に医局の人に尋ねることさえ恐れ多いような気がした。

 

永遠のマドンナ原節子のすべて

つげ義春大全第19巻「無能の人」


つげ義春大全第19巻にはいよいよ「無能の人」が登場する。つげさん47歳の時の作品で

ある。(1985年)

これら一連の自身を投影させたかのように見せた完全なるフィクション。

それらを目にした1水木しげる御大でさえ以下のように述べたと言う。

 

「つげさんは苦労されているのですね。

石を売ってまで( 生活費を稼ごうとして)ですか?」

 

( 編集者高野慎三氏の証言より )


つげ義春『空白の2年』


つげ義春さんの奇跡の一年半は1967年~1968年、30歳~31歳までを言うらしい。

 

僕が思うに、もう一つ、つげさんの創作活動人生において注目すべき年がある。

 

1961年7月つげさん24歳の年から1963年4月26歳までである。この間は『空白の2年』

 

と言っていい。この間、休筆状態であった。1961年7月『忍者くん』を発表して1963年

 

4月『野盗の砦』で再デビューするまで作品を描いていない。1961年7月『忍者くん』は

 

大塚で同棲していた金のかかる女性との生活を守るため、金を稼ぐ目的で必死で描いた

 

珍妙な作品(編集者高野慎三さんが聞いたと言う本人談)らしい。1963年4月『野盗の砦』

 

は東京トップ社の熱血編集者、熊 藤男さんに「時代は変わった。古い絵ではだめだ。」

 

と発破をかけられて描いたものだという。

 

1961年7月の『忍者くん』は手塚治虫先生と初期の白土三平さんのテイストだし、1963

 

年4月の『野盗の砦』はもうカムイ伝の始まったころの白土三平タッチをベースにしな 

 

がら、台頭してきた劇画工房さいとう・たかをの影響が感じられる。まるで『空白の2

 

年』で、つげ義春が生まれ変わったかのような『変化』を感じ取ってしまう。



 

 

地獄の宅建講習

宅建の免許の書き換えしてきた。
合格後の法令講習は二日間東京で受けたけれど有意義で面白かった。
生の講義が聞けて勉強になった。もう11年前になる。

しかし、今日のはダメだった。
七時間もビデオを見せられて帰りに免許証をうけとるだけ。
これで16500円。
田舎だから、なのか?
東京のは7、8万円払ったと思う。
二日間の日程でためになったし、数万円払ってもそれだけの値打ちはあったと思う。

だけど今日の免許の書き換え講習は年寄りばっかりだ。
爺や婆ばかりで会場は年寄り臭が蔓延していた。
若い子は全然いなかった。
宅建の試験会場にはけっこう
若い子がいるんだが、今日のはダメだった。
禿や白髪ばっかりで加齢臭と無呼吸症候群の老人たちの鼾がうるさかった。



就職報告

ここ一年ほど就職活動をしていた。

私のような超高齢者を雇ってやろうという酔狂な雇い主はなかなかいない。

21社目に地域の総合病院の総務課が雇ってくれることになった。

採用の理由は金融機関の勤務が長いことと、第一種衛生管理者の免許を有していたことである。

聞けば、その病院では77歳のロビーマンがいるらしい。

いくつになっても健康で働けるということはありがたい。

つげ義春大全第十六巻「旅物・ねじ式・奇跡の年」


1968~1973年、つげさんが31歳から36歳に至るまで最も多作で問題作、代表作などを量産した時代である。この巻に限るなら、ボク個人としては、温泉、宿、旅行、渓谷、釣り、に限ったつげさん得意の紀行ものがとても面白いと思う。

長八の宿

二岐渓谷

オンドル小屋

ほんやら洞のべんさん

ゲンセンカン主人

モッキリ屋の少女

やなぎ屋主人

懐かしいひと

リアリズムの宿

などである。

故人で親友の高知の漫画家は『ゲンセンカン主人』が一番好きだった。

どうゆうところが好きなのか、今となっては確かめようもない。

 

で、この巻に有名な『ねじ式』が収められている。最初に『ガロ』に発表されてから、

何回か描き替えられているということとも初めて知った。『メメクラゲ』が印刷過程の

誤植の産物であったということも然りである。

 

余談ながら、つげ義春さんの「奇跡の一年」あるいは「奇跡の二年」とも呼ばれる時期は1967年、1968年のことである。

有馬記念



有馬記念全軌跡

 

夜、録画してた日曜劇場「ザ・ロイヤルファミリー」を見る。

家の人が見ていたから次いでに見ただけなのだが、最初は佐藤浩市が出ているから少しだけ見た。

そのうち面白くなって毎週見るようになった。と言っても家の人が見るのを横目で見ているだけだ。

毎回、問題が発生して、社内や家庭内で弱い立場の社長、夫役の佐藤浩市が税理士兼秘書の妻夫木聡と力を合わせて解決していくというストーリーだ。

で、究極の所、社長と秘書が目指しているのはロイヤルホープと言う自社の馬で有馬記念制覇というものだ。

 

牧場や厩舎、トレセンが舞台になる。生産者や調教師、騎手、馬主、秘書、社長と敵対する企業馬主、マスコミ、社長に反発する息子や嫁等などの人間模様が興味深く描かれている。

今日の段階で新ジョッキーで新馬戦を勝ち抜いてホロリとしたが社長と秘書(佐藤浩市妻夫木聡)の目指す有馬記念勝利の夢は叶うのか⁉

予告編では社長の隠し子問題やロイヤルホープの故障をにおわせるような表現も見られたし、来月はいよいよ本物の有馬記念があるのにいったいドラマは完結するのだろうか⁉心配だ。

天皇賞

天皇賞


【ドウデュース】写真で綴る 第170回(2024年) 天皇賞・秋 全録 (MOMENT 競馬デジタル写真集)

家の人が競馬中継を見てやぐらしか~!

いろんなことを一気に言う。

親戚が日高で牧場をしているが彼女はほとんど無知だ。

 

牧場で柵越しに仔馬を撫でようとして母馬が突進して来て逃げたことがある。

 

テレビドラマ「ザ・ロイヤルファミリー」も見ているがあまり理解できていないようだ。

 

①三歳馬て何?

武豊て上手い?

天皇賞は何歳の馬が走るの?

④二歳馬は出られないの?

 

私も競馬は見ないし五十年位前に数年見てたくらいだ。

馬券は水道橋の場外で一回だけ買った。

千円買ってそれが9.7倍ついた。

桜花賞でテイタニヤークインリマンドの連複だった。

 

家の人の質問には答えてやったがほとんど聞いていないようだった。

 

①当歳馬。今年デビューした馬のこと。昔は四歳馬と言った。山本コウタローの「走れコウタロー」は競馬を歌ったコミックフォークソングだが、歌詞に「これから始まる大レースひしめき合って嘶くは天下のサラブレッド四歳馬、今日はダービー楽しいな。」と言うのがある。

 

➁知らん。多分な。父親の武邦彦なら良く知ってる。身長172㎝。名人。骸骨。闘将。タケクニ。魔術師。などと呼ばれた。

 

③年齢はオープンだったと思う。桜花賞皐月賞オークス、ダービーなんかと違って牡馬、牝馬の別や年齢制限もなかったと思う。古馬と言って四歳以上も出ると思う。

 

④二歳は育成中でデビュー前だから出ないと思う。

 

 

五十年位前の記憶で書いた。間違っていたらごめんなさい。

タケクニは「名人」と呼んでいた関テレの杉本アナウンサーの名調子が懐かしい。

 

あと、豪腕郷原とか、天才福本洋一とかいたな。懐かしい。それから、増沢末男なんか「さらばハイセイコー」でレコードも出した。騎手と言うより歌手だ。

 

昭和だな

改訂・山川惣治さんの「ノックアウトQ・銀星」を読んで

山川惣治は、ジャングル大帝、仮面ライダー、カムイ伝等、手塚治虫・石森章太郎・ちばてつや・横山光輝・梶原一騎・辻なおき・白土三平・川崎のぼる等の漫画家に影響を与えた伝説の画家  
明治41年福島県生まれ。
平成4年に84歳没。その生涯で少なくとも日本を代表する七人の大漫画作家に影響を与えている。
まず、神様・手塚治虫の「ジャングル大帝(1950)」。これは、山川惣治の「少年タイガー」(1933)及び「少年王者」(1947)の影響を受けた。アフリカの奥地で動物達と共存しながら悪と戦う。主人公が人間の少年から白いライオンの子に変わったと言う点を除けばプロットはそっくり。

石森章太郎「仮面ライダー」(1971)は、「虎の人」(1949)の人造人間と言う設定がそっくり。

大家・辻なおき「タイガーマスク」(1972)も、「虎の人」。これはタイガーマスクと虎の人の絵がまったく同じ。瓜二つ。
 
名人・ちばてつや「紫電改のタカ」(1963)は、「ノモンハンの若鷲」(1939)だ。戦記物なので似るのはやむを得ずだが思想的には真逆のところが救われる気がする。
横山光輝「バビル二世」(1971)のしもべ「ロデム」は黒豹の形をした変身生物だがこれは「少年王者」(1947)の主人公の親友・黒豹「ケルク」。「しもべ」と「親友」。呼称は違っても常に主人公に寄り添い従い危機を救う役所は同じ。

 梶原一騎。「チャンピオン太」(1964)の必殺技「ノックアウトQ」。これに関して梶原は山川先生の拳闘物語「ノックアウトQ」(1949)が大好きで名前をパクったと告白している。
また「ノックアウトQ」がなかったら高森朝雄として「あしたのジョー」を書いていないと断言している。
白土三平「カムイ伝」(1964)。白土は山川惣治のどの作品からも画風、思想とも影響されていない。しかし白土に紙芝居の描き方を伝授した金野新一は山川惣治の愛弟子である。つまり白土は山川の孫弟子に当たる。山川がいなければ白土の名作「カムイ伝」はこの世に出てないかも知れない。
本書は製本ミスのアンカットが2か所あります。つまりページがくっついています。50年間読まれ無かったかも知れません。邪魔になるので切るはずですがそうでないのは読まれなかったと推察されます。愛読者カードも現存していますが住所地も現在はなく桃源社も廃業しています。

心臓血管外科と循環器内科と泌尿器科をグルグルと


膀胱がんの手術後、六週間にわたって抗がん剤を尿道から注入した。
膀胱がんの再発予防目的の薬剤投与だ。

この手術のあと、たこつぼ型心筋症と言うのを発症したため九日間入院した。
退院する時、糖尿病の薬で心不全の予防薬としての飲み薬で「フォシーガ」と言う錠剤をもらった。
これを飲み始めてに三週間たったころから排尿時に尿路に痛みや灼熱感が発生しだした。

尿路にカメラや管を挿入されるのは何とも嫌なものだ。治療や検査だから我慢しているができたら遠慮したい。選択の余地があれば強く強く辞退したい。
かと言って重篤な病にはかかりたくない。

自分の体の部分の痛みや灼熱感はいつになったら消えるのだろう。原因は何だろう。今のところ、心臓血管外科と循環器内科と泌尿器科にかかっている。血液検査や尿検査やエコー検査や心電図検査は続いている。
そして、ボクの苦手なカメラ(内視鏡検査)もどんどん入ってくる。

最近、忍耐とあきらめと言うことを覚えた。それにつれて医療費の支払いもどんどん増えていく。
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