21龍馬と西郷と明治大帝に愛された板垣退助


土佐一の武闘派で軍人。
戰爭の専門家で自身も子供のころから戦場格闘技の天才と言われる板垣退助は、実はナイーヴだが意志の強い平和主義者であり、自由民権運動の始祖である。


西南の役で武力蜂起した西郷さんを見捨てたとは思わない。

「殺し合いでは何も解決しない。」

この言葉が板垣の本心であったに違いない。
ともに長州藩閥明治政府を嫌い、野に下ったが、恐れ多くも、若い明治大帝はいつまでも、

「西郷、板垣」

と二人を慕っていた。

余談だが、西南の役で西郷死すの報告を聞いた青年大帝は、涙ながらに、

「西郷を死なせるなと言うたやろ。」

と側近、侍従を責めた。


板垣から岐阜暗殺未遂事件の犯人、相原しょうけいに対する恩赦の願い出を受けた明治大帝は、

「なんと、板垣は自分を殺そうとした男を許しまんのか?」

と驚いたという。

 

 

官軍先方の総司令として甲府に進攻作戦を展開した時、同じ日本人同士が傷つけ合い、殺し合うことを嫌った板垣は、当時、八王子の防衛にあたっていた千人同心の鳥居隊長に掛け合い、説得し、幕府軍国境警備隊の精鋭を一人も殺さず降伏させた。

鳥居は幕府軍の隊長として義を重んじ、責任をとり切腹した。

甲府に進攻すると当時の乾退助は自分の先祖は甲府の板垣であるとして、あっさりと板垣退助と改名した。甲府無血開城した。


日光に差し掛かった時、官軍の兵士が東照宮を焼き払おうとした。

「馬鹿なことをするな!」

と、官軍総司令官として板垣はこれを制止した。

「略奪、放火、盗み、打ちこわしをやったものは即刻叩き切る!」

と板垣は吠えた。



日光の人々はこれを感謝した。東照宮を創設した天海僧正と、東照宮を戦火から守った板垣退助、二人の銅像日光東照宮に仲良く立っている。

⑳龍馬ファンだった板垣退助


世界中に「龍馬会」はいったい、いくつあるのだろうか?
250とも300とも言われているが実数は定かではない。一番新しい龍馬会は台湾龍馬会で初代会長は李登輝氏。表立って日本と国交のないこの国の有名な指導者だが、日本の大学に学び知己も多いことから、超法規的措置が政府間でなされ、心臓弁膜症の手術を岡山県倉敷市の倉敷中央病院心臓血管外科で行ったことがある。

ヨーロッパやアメリカには龍馬会は結構、多い。特にアメリカでは州ごとに龍馬会がある。国内でもほとんど全県にある。

有名なのは、元祖高知龍馬会
海援隊の長崎龍馬会
幕府海軍の操練所のあった神戸龍馬会
若き日に龍馬が生きた江戸、東京龍馬会
龍馬が海難事故を処理するため逗留した福山龍馬会
龍馬最期の地京都龍馬会
龍馬の養子坂本直さんが移住した北海道龍馬会
桂、高杉、三吉と交流した山口龍馬会
お竜さんと新婚旅行に出かけた鹿児島龍馬会



龍馬ブームの火付け役となったのは土洋新聞に坂崎シランが連載した「汗血千里の駒」だ。それを書かせたのは立志社板垣退助である。

司馬遼太郎は「汗血千里の駒」を下敷きにして名作「龍馬が行く」を書いたと言われている。


最初の龍馬ブームは日露戦争の時、明治大帝の御后の夢枕に白袴の武士が立ち、「私が日本海軍の守り神となって陛下と日本国をお守り致します。」と奏上したことに由来する。皇后陛下内務省板垣退助をお召しになり、「あの者はたれか?」と御下問された。
板垣奏上す。「陛下、恐れながら、その者は土佐藩坂本龍馬直柔でございます。」


それから、幕末に非業の死を遂げた維新回天の英雄、坂本龍馬の名が全国に知れ渡った。日本は龍馬の守護により日本海海戦の勝利を得て、日露戦争に勝った。明治大帝と皇后さまは大変お喜びになり、龍馬の手紙、書籍、資料を求められた。



一方、板垣退助自由民権運動に龍馬を利用したとする意見もあるけど、僕はそうは思わない。板垣退助後藤象二郎武市半平太中岡慎太郎は上士、下士の区別なく交流があったとされている。
史実では板垣と龍馬は面識はあったものの、交流はなかったとされている。司馬遼太郎は作品の中で二人に会話させている。



僕の友人の高知出身の大学教授は、

「交流はなかったというのが定説になっているが、龍馬の生家、後藤、板垣屋敷と言うのは本当に近隣で徒歩十分圏内。800メートル程度しか離れていない。龍馬は板垣の二歳年上で子供のころの遊び場も一緒だったようだから、交流があったという方が自然だ。」

と言っている。
ひょっとすると、二人で「日本の夜明けは近いぜよ。」などと語り合ったかもしれない。

そうしてみると板垣退助にとって坂本龍馬とは愛すべき先輩で、生き方の手本であったかもしれない。

今一度言おう。板垣退助は生涯、坂本龍馬をリスペクトし、土洋新聞に龍馬伝「汗血千里の駒」を連載するよう坂崎シランに命じた。

龍馬会の元祖は高知龍馬会で初代会長は板垣退助かも知れない?

⑲『集団左遷‼』感想〈 脇の甘い支店長の福山雅治 〉 

 

今回は偽の不動産融資の手口に引っかかった支店長役の福山さん。まさに、取引の当日に気づいた副支店長の香川照之さんの機転によって被害を未然に防ぐことができたという筋立てながら、見ていて疑問に思ったところが三点。


先ず一点目、いくら一流企業からの注文とは言え、裏を取らずに融資を決断するという点が変だ。支店長の独断で、調査もそこそこに、相手のいいなりで、融資予約をしているようなもの、日本全国、どこの銀行、はおろか、信用金庫を探したって、こんな脇の甘い支店長はいないと思う。


二点目、詐欺師が、正体がばれた瞬間に土地代金の印字された銀行振出小切手をつかんで逃げ出そうとする。すると銀行員が飛び掛かって詐欺師に追いすがる。
ここまでは良い。あとのセリフがおかしい。小切手を渡さないぞ、死んでもこの手を放さないかなんか言って顔を蹴られて鼻血を出している。
相手を捕まえようとしたのならわかるが、現金ならまだしも銀行の振出小切手なんか、取られたって痛くもかゆくもない。出金禁止をかけて、事故小切手にするだけですむはずだ。また、そんな詐取した盗難小切手を取り立てに回すバカな犯人はいないはずだ。足がつくだけだ。怪我させられてまで、小切手を取り返す必要はない。


三点目蒲田支店が配転になるという週刊誌の記事を読んだ近隣住民が大挙して押し寄せ、

「この支店が閉鎖されたら我々の生活に影響する。みんなで預金して支援するから、何とかこの支店を廃店にしないようにお願いする。」

という意味のことを言う。

5、60年前の銀行ならともかく、現代の顧客はこういう考えはない。銀行の三大業務は、預金と為替と融資。あと、しいて言えば公共料金の口座振替くらいだが三大業務はすべてネットで間に合うし、公共料金だって近くのコンビニ決済で事足りる。借入金利をただにしてくれるというなら、別だが今は銀行の支店が近所になくても誰も困らない。



とここまで書いて思い出したのだが、江波戸哲夫先生の書いた原作本は、ずいぶん昔のもので、池井戸潤さんの半沢直樹シリーズや花咲舞シリーズより、ずっと古いのだ。

それを下敷きにテレビドラマにした以上、この展開は仕方ない。その点を考えながら、大好きな福山雅治さんの銀行支店長役の演技だけを見れば結構楽しんで見られる。

⑱〈 ボクが宅建を取った訳 〉過労死した親友



同期が過労死した。まだ、29歳だった。

大学ではラグビー部にいた。人一倍頑丈な身体をしていたはずの男がなんで、こんな目に合うのだ。
結婚して数年で、女の子と男の子が一人ずついた。訃報の少し前に、同じように幼子を連れた彼の家族とボクの家族が偶然、ぬいぐるみショーの会場であったばかりだった。

支店長によると、同期の彼は昼間は金利引き下げを受けて法人や駆け込み預金のお客の家を休む間もなく訪問し続け、夜は利下げ後に一気に提出する融資案件の構成のため職場で、半徹夜 が続いていたそうだ。

同期の出世頭で、同期の飲み会ではいつも中心にいた。年代を越えたゴルフコンペでもいつも上位だった。スポーツマンで話題豊富で周りを和ませたので、役員や上司、先輩、お客にも人気があった。

残業続きの明けで支店長主宰の接待ゴルフの打ち上げで、表彰式の司会中にマイクで話していてドスンと仰向けに倒れた。
彼がふざけていると勘違いした支店長が、「おい、君。ふざけるのはやめたまえ。」と言ったが、身体は、もうすでに動かなくなっていた。

救急車で運ばれた病院で心不全と診断された。


ボクは、彼を死なせたのは支店長であり、銀行だと思う。明るく、スポーツマンに見えた彼だが、生前、ボクには悩みを打ち明けた事がある。

ちょうど、ボクが、大阪の支店に転勤する前のことだ。もう、しばらくは会えないかも知れないと彼は電話で告げ、ボクを屋台の一杯飲み屋に誘った。


「大阪転勤、よかったな。お前は頭がいいから、出世するだろうな。俺の分まで頑張ってくれ。」

ボクは驚いた。彼こそは同期の出世頭で文武両道と思っていたその本人の口から、そんな言葉が出るとは夢にも思わなかった。

「俺は、そろそろ、この銀行を辞めようと思う。仕事はきついし、家族のもとにも帰れない。日曜は日曜で嫌な支店長のちょうちん持ちで、接待ゴルフだ、宴会だと、召使い扱いだ。
銀行に入って、覚えたのはノルマの消化方法と『預担*』くらい。決算書の分析もできないし、商業科出て入行した後輩の女子行員の方がまだましだ。」


やけに厭世的な彼の言葉が最後の会話となろうとは、ボクは夢にも思わなかった。

「辞めてどうする。」

「親戚が田舎で小さな不動産屋をやっている。跡継ぎもいないし、そこに行くつもりだ。」

それから、彼は亡くなった。


告別式に間に合わなかったむボクは、彼と特に仲の良かった二年先輩の人と彼の実家に向かった。


同期の両親の悲しみ様は見ていて気の毒で哀れで僕と先輩は滞在中、ずっと涙が止まらなかった。

線香をあげてお香典を供えお悔やみを申し上げると父親が息子のことを話し始めた。

「息子は、かねがね言っていました。自分は銀行員は務まらない。残業で身体を壊しそうだし、寝不足で運転中、何回も事故を起こしそうになった。ノルマができないと、人格を否定されるように罵倒されるし、給料もいつまでたっても増えない。
接待ゴルフだ飲み会だと上司にいいように振り回されて、肝心の銀行業務や決算帳簿、外国為替、融資案件の取り組み方法については何も指導してくれない。質問しても自分で勉強して身につけろと突き放される。そして、なにより、仕事に生きがいも熱意も持てない。健康状態も限界だし、精神的にも参っていると。」

母親が言葉をつないだ。

「先週、あの子から電話がありました。叔父の不動産会社に入れさせてほしいから、話を通してくれというものでした。銀行はどうすると聞いたら、来週にでも退職届を出すのだと。もう決心したからと言っていました。」

そして父親はボクらに言った。

「私の兄弟が不動産屋をやっていまして、息子は空いた時間で不動産の免許を取る勉強をやっていました。息子と仲良くしてくださったあなた達に形見と言って何もないのですが、この不動産の資格試験の本をもらってやってください。それから、息子のように過労で職場のせいで命を縮める人が出ないような会社にしてください。」

先輩とボクはありがたくご両親のご意思をいただいた。先輩は参考書をボクは問題集をもらった。
同期の家を辞して後、先輩が僕に言った。

「お前、あいつと親友だったんだから、これで勉強して。、いつか宅建取ってやれ。」


先輩はもらったばかりの参考書もボクに押し付けた。

「いやですよ。俺、不動産に興味ないし、頭悪いし。ムリムリ。」

「いや、亡くなったあいつは同期の中じゃお前が一番頭いいと言ってた。すまんが、お前、いつでもいいから、それがあいつの供養だから、弔い合戦と思って、宅建取ってやってくれ。」


先輩は調子のいいことを言って、すべての責任をボクに負わせた。ボクは仕方なく勉強を始めた。

それでも、相変わらず、銀行のノルマやバカな勤務体系は変わらずボクらにのしかかってきた。あんまり、たびたび、不合格が続いて受験をあきらめた年もあった。合格まで年月がかかりすぎて同期の受験しようとしていた資格は「宅地建物取引主任者」から、「宅地建物取引士」と名称が変わった。

やっと合格した時にはボクは中年を過ぎていた。合格して間もなくボクは銀行を退職した。



  *預担=預金担保貸付
     預金を担保として拘束し貸し付ける融資方法
     融資は、預担に始まり、預担に終わるともいう。
     単純預担もあるが、預金者と借入人が異なる場合など権利関係が複雑になることもある。

     同期が預担は簡単と言ったのは手続きは単純だというほどの意味でした。

⑰プロレスラーの友情<サトル・サヤマとトーマス・ビリントン>


  佐山サトル(タイガーマスク=サミー・リー   トーマス・ビリントン=ダイナマイトキッド 

           

                  
佐山さんの腰の低さはどうだ。礼儀正しいと言うより不気味な威圧感がある。さすが、右翼活動家だ。むやみに吠えない虎の貫禄だ。
佐山さんも、もう還暦を迎える。心臓の方は大丈夫なのだろうか?173㎝、115kgと言うから、明らかに心臓に負担がかかっている。医者に言わせると50㎏以上のオーバー・ウェイトらしい。くれぐれも体を大事にしてほしい。

タイガーマスクとしての115勝1敗9引き分け、勝率92%と言うのは恐らく日本プロレス史上最高だろう。フォール負けした事のない唯一のプロレスラーらしい。

彼がタイガーマスクとしてデビューするため、帰国しようとした時、所得税未払いにより、イギリス政府当局は出国を許可せず、国会議員福田赳夫氏の口利きにより、やっと帰れたと言うエピソードがある。
政治家のコネで海を渡ったのは日本プロレス界では、金一=キムイル=大木金太郎(大野伴睦氏の斡旋で密入国に対する強制送還を免れた。)とタイガーマスクの二人だけ。(金一も韓国の猛虎の通り名でタイガーつながりだけど。)
逆に、政治家に懇願され海を渡ったのは、日韓国交回復交渉で裏方として行動、日本政府に協力した時の力道山だ。

サミー・リーについては、ブルース・リーのギミックでイギリスで大人気だった。新日本プロレスに逆輸入されたダイナマイト・キッドとの抗争が超人気カードであった。
サミー・リーを卒業して、タイガーマスクとしてのただひとつの負け試合の相手は ダイナマイト・キッドだ。

後年、キッドは重度介護状態で寝たきりとなった。キッドの入居施設を訪問したテレビクルーに託したメッセージの中で、元サミー・リー、元タイガーマスク佐山サトルは優しく語りかけている。

「ヘイ、トム。(キッドの本名はトーマス・ビリントン)ウェイクアップ!元気だったかい⁉二人で闘った試合は最高だったね。君は最高のレスラーだった。これからも頑張って。がんばってね‼頑張って生きてよ。サンキュー!トミー。シーアー。(また、会おう。)」

どうして、プロレスラーの中には、こんなに優しい人がいるのだろうか泪が出てきそうだ。

⑯好きな漫画家は本宮ひろ志


古い思い出だが、同級生の兄さんが下町で古物商兼質屋を営んでいた。寅さん映画で知られるその界隈では老舗で有名な店だ。店に若い男が入って来た。


「ボクシングのグローブは置いてますか?」

「すみません。置いてないんですよ。」

「ああ、そう。どうも。」

男が出ていくのと同級生が店に帰って来たのが同時だった。

「コウジ。今のが、本宮ひろ志だ。」

「え?誰。」

「漫画家の、本宮ひろ志。」 

それだけのことだが、同級生はえらく感動したそうだ。
当時、創刊、間もない少年ジャンプで『男一匹ガキ大将』と言う漫画を連載し、日の出の勢いの売れっ子漫画家だった本宮ひろ志が町内に住んでいると言うだけでも友達に自慢できるのに、うちの兄貴は(店員としてだけど)、本宮ひろ志と会話したんだから、大したもんだ。

同級生は、ちばてつやのファンで名作『ハリスの旋風(かぜ)』の石田国松にあこがれて剣道を始め、長じて大学卒業まで剣道を続け、卒業後は公安関係の仕事に就いた。一本気で血の気の多い典型的な江戸っ子だ。
 
本宮ひろ志も、東京の下町で生まれ育ち、漫画家ちばてつやの作品と人に憧れて、せっかく入隊した自衛隊を退職して、出版社に漫画原稿の持ち込みや懸賞応募を続けて苦労の末、創刊間もない少年ジャンプ誌上でデビューを果たしている。
下町在住の江戸っ子で、漫画家ちばてつやのファンで何かしらの影響を受けたと言う点では共通していて面白い。
 

さて、本宮ひろ志自衛隊を除隊した後、ちばてつやのような漫画家になりたいと苦労の末、デビューした訳だが、下積みは長く苦しかったようだ。 原因は、その描く作品のストーリーがめちゃくちゃで、絵が汚ないと言われ続けたことに由来する。内容が破綻しており、漫画として体をなさないと、各社でずいぶん酷評されたようだが、少年ジャンプだけは違っていた。創刊後もないこの雑誌は、業界における実績も金もなく、貝塚ひろし楳図かずおの二氏を除いてはベテランや売れっ子漫画家の作品が載っていないと言う
お家の事情があった。
新人本宮ひろ志に白羽の矢がたったという訳だが、ほかの雑誌社、出版社で、破綻の漫画家とけなされた本宮ひろ志のキラリと光る才能や勢いを見抜いた編集者の力量は凄いと思う。
また、読者が本宮作品に抱いた共感も多大なものがあり、本宮ひろ志はあっというまに超売れっ子漫画家になる。ある漫画賞の授賞式でコメントを求められた本宮は居並ぶベテラン漫画家の前で、漫画を描くなんざ、たやすいことだと発言し、手塚治虫の怒りを買ってしまう。手塚には手塚の漫画に対する思い入れと苦労があり、漫画描きはたやすいと言った本宮にも彼なりの漫画に対する思い入れと苦労はあったのだ。大先輩の手塚治虫に悪いことを言ったと分かっていながら、本宮から詫びを入れることもないまま、漫画の神様手塚治虫は他界してしまう。
 
葛飾の下宿で漫画の描けないアシスタントと暴走族上がりのアシスタントを雇い、近所の古物商へでかけて行き気さくに、「ボクシングのグローブ、ありますか?」と尋ねていた青年漫画家は、専属契約違反問題や兄弟の横領事件、自身の不倫問題、家庭崩壊、作品のテレビ化、映画化、キャラクターグッズのパテント収入の激増、選挙政治活動等、山あり谷ありの人生を歩むことになる。いつしか、大家と呼ばれ始めるが、本人は女性の表情が描けないことを自覚して長い間苦しんでいたと言う。

決して上手できれいな絵と言えない漫画を描く本宮ひろ志、ストーリーが破綻していると揶揄されたこともある本宮ひろ志が売れたのは、時代の閉塞感を突き破るほどの爆発力をその作品の中で展開できたからかも知れない。一橋大学に在学中の石原慎太郎太陽の季節芥川賞を受賞し文壇に華々しくデビューした時の光景をほうふつとさせる。

銀行の話②<手形詐欺>


世の中には、人を騙して金儲けを企む悪人がいる。

詐欺師の事だが、民法の考え方では「詐欺は騙される方にも落ち度がある」というのがある。民法が受験科目の資格試験である「宅地建物取引士試験」や「行政書士試験」にはよく出題される。

例えば、「脅迫」と「詐欺」によって不動産を第三者名義にされた時に被害者(元の持ち主)の権利をどう守るかというふうに出題される。この答えは「脅迫」の場合は全面的に被害者の権利が守られるが、「詐欺」の場合は「善意の第三者に対しては対抗できない」としている。

つまり「詐欺とは知らずに詐欺師や詐欺師から不動産を購入した者からさらに転売された人」の方が詐欺師に騙された人より気の毒だから守ってあげようという考え方だ。

権利がぶつかり合った時、より気の毒な方の味方をするというわけだ。詐欺師に騙されるあんたにも落ち度があるでしょうという考えだ。ボクはこの考え方には納得いかない部分があるが、それこそ専門家が幾星霜かかって築き上げた法理論だから、文句は言うまい。

ただし、詐欺師は悪党だ。絶対、罰せられるべきだ。

ボクの銀行勤務時代の話だが、若い頃、営業担当者として退職一時金を預金にお預かりしたことから贔屓になってくれたお客がいた。彼は、地方のマスコミに永年勤務した人だった。紳士で退職時には社内でも相当な地位にいた人だった。報道機関にいながら事件現場や取材活動の経験はなく、反面、企業のオーガナイザーとして辣腕を振るった人物だと後から知った。

その人が、所有する市内一等地の遊休不動産を売った。自宅は郊外にあった。不動産取引後、彼は土地売却代金を全額預金すると電話をしてきた。訪問してボクは奇異な感じがした。

土地代現金5000万円と、3通の約束手形、内訳は2000万円2通と1000万円1通。しかも、手形の期間は6ヶ月、9ヶ月、1ヶ年だ。聞けば買い手は市内不動産屋某で「金額が1億円なので半金半手にしてください」と言われてキャッシュ5000万円、手形5000万円を持ちかえったそうだ。

「半金半手」とは、半分を現金(振込)で、残り半分を手形で支払うという支払方法のことだ。

不動産取引で半金半手なんか聞いたことがない。半年から1年の手形なんか、詐欺師が土地を転売して逃亡するのに十分だ。ボクはすぐに弁護士さんに相談して手を打ちましょうと提案した。彼は6ヶ月様子を見ようと言った。それは甘いとボクは思ったが彼には思惑がありそうだった。

果たして6ヶ月後、2000万円の約束手形は無事落ちた。しかし、案の定、残りの2通はやはり不渡り手形で返却された。付箋の付いた手形を筆者に示し彼は言った。

 「私はあの土地は元々、5000万円以下の値打ちしかないと思っている。前の道は二項道路(建築基準法42条第2項に規定される狭い道の事。この道に面すると建築制限が付くので土地の価値は低い)だし、他の業者に聞いても5000万円はしないと言うことだった。 


彼は、一息ついて驚くべき事を言った。

 「実は、あの不動産屋の某は私の小中学校時分からの友人だった。彼が何故今回こんな手の込んだ事をしたのか、私には分からない。彼にどんなバックが付いていて彼にどんなメリットがあるのか興味もない。ただ、私は遊休土地の固定資産税を納めるのが面倒だったし、あいつ(不動産屋某)の役に立てばそれでいい」


ボクは違和感を覚えたものの、彼に被害者意識がない事が救いだった。
しかし、不動産屋某は2回の不渡りを出し、銀行取引停止処分となる前にこの町から姿を消した。
行方は知れない。

不渡り理由は「資金不足」だった

⑭ガン手術を経て生きることの大切さを再認識した


祖父、父 ガン
祖母 認知症
母 肺結核
兄弟 心臓弁膜症

で、ボクは、
心臓弁膜症の手術が成功し、
動脈瘤の除去手術が終わり、
ガンが見つかったので、これから、治療が始まる。

たった、それだけだ。
死ぬと決まった訳でもない。死なないと保証されたわけでもない。
人はいつか死ぬ。
それは、運命で、変えられないとしたろ、じたばたしたってしかたない。

治療を受けて、手術を受ける。

遺伝だから、とは思わない。生んで育ててもらって、今日まで生かせてもらって感謝している。親がいて、祖父たちがいて、ボクがいる。

医師は、病気の遺伝の可能性で原因と治療法を考えているだけだ。ボクは、治りたい。ガン細胞がなくなって再発しないよう努めて行くだけた。

普通に生きて行く。人らしくきちんと生きて行く。





2019年の8月23日に入院した。8月26日に手術を受けた。9月11日に退院した。上記の文章は入院の半月前くらいに書いたものだ。あれから三か月近くになる。ボクは生きている。普通に生活している。ありがたいと思う。生かされているのだと思う。

⑬昭和漫画ファンが見た横山光輝「阿魔野邪鬼」の初出本


昭和33年4月号の少年ブックに「風の天兵」と言う時代劇忍者マンガを連載しているが、横山光輝さんは、そこで初めて「阿魔野邪鬼」と言う片目の総髪の剣客を登場させている。
これが、後に週間少年サンデーの「伊賀の影丸」に登場する甲賀七人衆の頭目「阿魔野邪鬼」の原型である。

伊賀の影丸」では「阿魔野邪鬼」は不死身で年齢は二百歳とされている。剣、槍、半弓、乗馬の名人で武芸百般に秀でてはいるが、手裏剣を投げたり、高い塀の上にジャンプしたり、木から木へ飛び移ったりする外は、特に忍術と言うようなものは使わない。強いて言えば「不死身」こそが、邪鬼に取っての得意の術と言えよう。

さて、昭和33年4月号少年ブックに初出の「阿魔野邪鬼」であるが、忍者ではない。単なる凄腕の武芸者として描かれている。この作品のタイトルにもなっている「風の天兵」は甲賀忍者である。主君の仇討物語である。

後年の横山光輝さんの大ヒット作「伊賀の影丸」が公儀隠密で将軍家に絶対服従の命がけの宮仕えであることと似ている。
「阿魔野邪鬼」は当初、「風の天兵」で隻眼だったのが、「伊賀の影丸」では両目が見えるようになり、ほぼ、初出と同様の冷血無比のキャラクターのまま、「不死身」という能力を身に付け大活躍をするのである。

何しろ、「不死身」だから、何度殺されても生き返る。そういう、設定の下で、「伊賀の影丸」シリーズ中ではちょくちょく現れては影丸にちょっかいを出すが、決着せずにシリーズは終了する。だけど、当時のボクは、「不死身」の邪鬼見たさに少年サンデーを買い続けたと言っていいだろう。その邪鬼の初出本を見つけた。その時から61年が経過したから、「阿魔野邪鬼」は現在、261歳である。不死身だから。
ちなみに、「風の天兵」も、「伊賀の影丸」も不死身じゃないから、とっくに死んでいるに違いない。

⑫昭和の巨匠漫画家・横山光輝についての考察


おおげさな見出しで恐縮だが、多ジャンルでヒット作品を描き続けた戦後漫画界の巨匠について は、残虐なシーンがまったくない。


少年(幼児)のボクにとって見たくない残虐シーンを描く御三家は、水木しげる白土三平楳図かずおの三人だった。
紙芝居作家から転身した水木先生の貸本屋時代の作品は本当に怖くて目をそむけずにはいられなかった。何かに取りつかれたような絵やストーリーに耐えられなかった。

白土三平さんも紙芝居、貸本業界経由のマンガ家だが、やたらと人が負傷する、死ぬ。それも他者の暴力によって殺戮が行使される。世はまさに、60年安保闘争の時代で白土さんはある種のメッセージを作品に叩きつけるように描いていたが、ガキんちょのボクには全く受け入れる力はなかった。

楳図かずおさんについては、そういう怪奇な話や恐怖が現実にあって、楳図さんは漫画という手段を使ってそれを 世間に発表していると思ったから、怖さは倍増し、ボクは心身の成長期にダメージを負ってしまった。
その証に、後年、楳図さんが「まことちゃん」という破天荒なギャグマンガを発表したが、友人たちのように「まことちゃん」を面白い、可愛いとは思えなかった。


その点、横山光輝さんの漫画はどの作品も怖がり読者のボクに取っては安心して読めた。
しかし、横山光輝さんの描く忍者マンガは戦いを描く。必ず人が死ぬシークエンスはある。本来、残虐なシーンをそう思わせないために横山さんは人が死ぬ場面に於いて数コマをカットした。
最も顕著なそのシークエンスは、「伊賀の影丸由比正雪の巻」ラストシーンである。
軍学者由比正雪は実は忍者だったという真相が明かされ、影丸との決着戦に敗れた正雪は深手を負い、切腹し、介錯を部下に依頼し、死んでいく。
部下が丸橋忠弥だったか、金井半兵衛だったか、ボクには記憶が無いが、部下が刀を振り上げ正雪の首を落とすシーンはカットされている。

この場面を水木しげるさんや白土三平さんが描いたら、とんでもない作品になったことだろう。
往時、プロレスの流血試合をテレビで見て全国で何人かのご老人がショック死した。
水木さんや白土さんがこのシーンを描いたら、ボクはマンガを見てショック死した全国初の小学生になっていただろう。

そういう訳で、見出しで「考察する」などと、大層なことを言い、尻切れトンボで駄文を終わらせるボクだった。(これが、一番ショックだったりして。)