2019年12月

薬害の怖さについて 〈 2014年6月6日の記事より『 尾崎豊とGRIKO 』〉

 

 

ALL TIME BEST

 

かつて、尾崎豊と言う歌手がいた。いたと、過去形で言わなければならない夭折の天才シンガーである。


日本は法治国家である。薬物等に関する取締法が存在し違法行為は許されない。しかし、尾崎の死についてボクごときが軽々しく言うことは慎まなければならない。その人の生き様に他人が口を挟めないように、その死についても言うべき言葉は慎重でなければならない。


尾崎は、ボクより11歳年下だったが今のボクより34年も若くして亡くなってしまった。サラリーマンだった頃、十歳くらい年下の後輩がどういう訳か、我が家を気に入ってよく晩御飯を食べに来た。家人は大変喜んで晩飯を作った。ある時、尾崎の話題になった。


  「尾崎、良かったすよねえ。」

  「うちも好きやったわあ。声量があって.....。」

  「そうス!あのシャウトが今の歌手には出来ないんスよねえ。」

  「へえ~。若いのによく知っているんやねえ!」

  「そりゃあ、オレらの年代は尾崎は神!ですから。」

  「えっ⁉そうなん?うちらの小学生の頃、凄い人気やったけど。」

  「???奥さんの言ってる尾崎って、尾崎だれ?!」

  「尾崎紀世彦!」

というオチが分かる人も少なくなった。

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大阪にGRIKOと言うインディーズのロックバンドがいる。リーダーは尾崎豊を崇拝している。尾崎もGRIKOも音楽のジャンルはロックと言って良い。
アメリカで誕生した頃のロックンロールとオールド・ディキシーランド・ジャズとの境界は曖昧模糊としているらしいが、ただ、尾崎にもGRIKOにもニューオリンズ・ジャズの定番「聖者の行進」を彷彿とさせる曲がある。

歌詞が似ているわけではない。メロディーが似ているわけでもない。

ボクは尾崎とGRIKO、両方の曲を聞くたびにこのオールド・ディキシーランド・ジャズの名曲を口ずさんでしまう。


♪ Oh, when the saint go marching in~ ♪

聖者の行進


なぜだかわからない。尾崎豊に確かめることはできない。GRIKOについてはリーダーに訊ねたことがある。

  「ディキシーランド・ジャズのスタンダードで『聖者の行進』♪~天使が街にやって来るって知ってるよねえ。」

  「知らないっすよ。」

GRIKOのリーダーは『聖者の行進』を知らないと言っている。
尾崎は自分の著書で影響を受けたアメリカの何人かのロックシンガーの名前を挙げている。

しかし、両者ともルイ・アームストロングから影響を受けた痕跡はない。おそらくモチーフもヒントすら得ていないと思われる。

 


2011年12月9日午前10時ころ、勤務中に脳卒中の症状で地域の中央病院に救急搬送されたボクは、小康状態のまま、10時間後の夜の8時に大阪のファンダンゴというライブハウスにいた。GRIKOがその夜トリをつとめるライブを見るためである。


倒れた日の10時間後に200キロ離れた大阪のライブハウスにいる。まして真冬の12月。死んでもいいのか⁉ボクの血管は悲鳴をあげていたに違いない‼

この夜のライブはずっと前から楽しみにしていたこともあり、ボクとしては何としても聞いておきたかったのだ。家人は猛反対した。

  「命とロックのライブとどっちが大事なのよ‼」

ライブについて来た家人はその夜の冷え込みよりもロックバンドの奏でる爆音がボクの身体にはリスキーでないかと心配していた。


翌日、奇跡のようなことが起こった。
12月10日、大学病院で検査を受けたボクに医師はどこにも異常はないと告げた。そして、2週間分の薬を処方し、それがなくなったら、再度精密検査を受診するようボクに薦めた。

ボクは病院からの帰路、ディキシーランドジャズの名曲を口ずさんでいた。

♪ Oh, when the saint go marching in~ ♪

お父さんは死んじゃったけど ちっとも悲しくないよ       僕とお兄ちゃんは生きている     天使がお葬式の帰りに僕らの町にやって来た
天使が町にやって来た    僕らはきっと生きていく

 

尾崎豊は死んだけどGRIKOとボクは生きていく。ロックやジャズを聴きながら…。  合掌。

 

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テレビで複数のコメンテーターが薬物事件は被害者のいない事件と言ったが、絶対に間違っている。ボクは断言する。多くの被害者が存在する。

そうでなければ命を懸けて薬害をボクらに示してくれた尾崎の御霊に申し訳ないじゃないか。

 

純烈裏話/酒井一圭氏が林田達也氏3年ぶり復帰に言及‼

純烈裏話「達ちゃん復帰‼」の噂にリーダーがついに 
<林田達也氏のカムバックに酒井一圭氏言及>


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先日の大阪のXmasディナーショウでのエピソードだけど、

酒井一圭さんがこう言った。

 

 皆さん(これはオーディエンスに向かって言ってる。)memberを増やした方がいいですか?

達也(林田達也さん)をカムバックさせようか?復帰してもらうようにお願いしようと言う気持ちもあるのですが,、、、、、。

 

 

話はまだ達ちゃんのところに届いてないみたいだ。向こうも、仕事についているだろうし、芸能人じゃない。都合もあるだろうし、カムバックとなるとトレーニングを始めないとすぐにはメンバーのレベルにはついていけないだろうし。

 

まあ、いい話だと思う。ご両親やおばあちゃんのサポートのためにいったんは芸能界から引退したというものの、ある意味、純烈の中で人気は高い方だったから。熱狂的なファンもいたし。

 

達ちゃんを新メンバーに来年、三度目の紅白を目指すというのもいいよね。今年の年末の紅白が済んでから、事務所とメンバーと達ちゃんで相談したらいいんじゃないか。

 

達ちゃんが引退前にソロで歌った「小樽の人よ」の歌詞にもあったじゃないか。

 

 

  嗚呼、あの日残してきたけれど

  必ず行くよ

  待ってておくれ

183 純烈写真集

みんな最後列向かって右の青年が達ちゃんだからね。分かってんと思うけど。 

 

                ☆       

それじゃあ、今回もまた、酒井一圭作詞、歌 友井雄亮酒井一圭の「純烈一途」で締めとくから、よろしく。



一度決めたら どこまでも
二度と帰れぬ 片道切符
三度駄目でも 痩せ我慢
懲りない奴らの大博打

男は目ヂカラ
燃えて 燃えて貫いて
純情 烈夫の ごとくあれ
純烈一途に


あんたの夢に 賭けたのよ
命も愛も 全部持ってけ
手を振りながら 強がっても
やっぱり抱きしめて 愛しくて


女は目ガシラ
熱く 熱く潤ませて
純粋 可憐な 花であれ
純烈一途に

どれだけ 遠くても
夢を 夢を追いかけて

男は目ヂカラ
燃えて 燃えて貫いて
純情 烈夫の ごとくあれ
純烈一途に

 

純烈一途

 このアルバムに純烈一途が入ってんからなー。

< 二人の世界は流れ星 >


流星

 

「流れ星がきれいね。」

と、彼女は言った。

 

「宇宙空間の塵が大気と摩擦を生じて発光する単なる天体現象なのに。」

と、ボクは思った。

 

間もなくボクらは結婚したが、

夫婦関係に摩擦が生じて早々に離婚した。

星に願いを

まるで流れ星だ。

輝く夜空の星

満天の星空(快眠・ストレス解消・リラックスタイムに)

「光年」と言う言葉がある。何万年も前の星の「過去の光」を見ている訳だ。星空は輝いてきれいだが、人生に於いて「過去の光」ばかりを見るのは「老人」だ。

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小さな小さな過去の人生の些細な成功を自慢して何になる?誰も褒めてくれないから、自分で自分の微々たる「過去の光」を自慢する。そんな人生であってはいけない。世間の人に言うのではない。

ボクは僕自身に言う。星空を見ても己の「過去の光」を自慢してはいけない。

 

 

〈 二郎系ラーメンから大勝軒、餃子の王将まで 〉友人の漫画家とラーメン談義

 ラーメン二郎にまなぶ経営学 ―大行列をつくる26(ジロー)の秘訣

ラーメン二郎、二郎系ラーメン、ラーメン二郎インスパイア 等 ラーメン業界をリードする二郎系、旨いと思う?モヤシやキャベツを山盛りにできるのが個人的には好きなんですけどね。

食べるのが面倒なので一回行ったっきりです。そこまで美味いとは思いませんでした。
 
 
当地には有名なラーメン店があります。いつも行列で二時間待ちとか普通らしいです。大昔(ブームになる前、開店してばっかりの時)に行ったことがあります。美味でしたが、私なら30分待ちでも並びません。私にとってラーメンはそういう食べ物です。

わしは、近所のうどん屋の「味噌ラーメン」が一番美味しいと思います。人の口、否、人の舌に戸は立てられない。味覚は、人それぞれってことかいな?


おっしゃる通りだと。味には好みがありますから。話題の店に行くというのは、話のネタとしてはありなんでしょうね。自分の味覚の確認と他者との比較のスケールにもなる訳ですし。
 
池袋の大勝軒なんて普通のラーメン屋でしたよ。それがあんなレジェンドになっちゃって。そういうもんだと思います。

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しかし、うどん屋の味噌ラーメンか…美味そうですね。羨ましい。

あと、ギョーザの王将の餃子は旨いけど醤油ラーメンはちょっと敬遠したい。いっそのこと、ジャンボ・ギョーザとミニ・ラーメンのセットとか売り出せばいい。

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師範代を投げ飛ばした。〈ボクが浅見道場を辞めた訳〉


嘉納治五郎の高弟たち VOL.2「講道館・柔道形」 攻防理合の極み「形」を達人に学ぶ [DVD]

 


朽ち木倒しって地味な技の複合で僕が中学の時に試合で必ず使っていた技。絶対に技ありかポイントをとれる技だった。小内刈り→小外刈り→足取り→諸手刈り→寝技(なんでもいいんだけど、この体勢なら一番はいりやすいのが袈裟固めで9割、それで抑え込んだ。)
 
それを一秒くらいでやってしまう。全部で5段階なのでと言って5秒かけるなんか論外で、二秒もかけたら、スピードのある相手には通用しない。

1982年極真会館入門のしるべ 月刊パワー空手 (極真カラテコレクション)

大学一年の時、ヘタレのボクは大学の柔道部の見学に行って、こんな部に入ったら絶対卒業までに死んでしまうと思った。池袋の極真会館にも行ったが、入門したいと嘘をついて道場に入れてもらったが、二度と近づかなかった。故郷の少林寺拳法の有名な道院に見学に行った時も殺されたくなかったので、入門の申込書は自宅で書いてきますと言って嘘をついて逃げて帰った。

ボクの手元には、中学二年の時、地元の警察道場で受けた講道館の昇段試験で新米自衛官二人と新入の大学柔道部員三人にまぐれで勝って手に入れた黒帯があった。

大学二年になり二十歳になる前に学生寮の近くの浅見三平八段の道場に入門した。黒帯と分かるとまともに投げられたり、絞められたり、関節を取られたりするので、ボクは有段者ではないような偽装をした。

入門初日に白帯を締めて道場に行った。受け身だけはうまかったので準備運動中のボクを見て、浅見三平八段は、「君は有段者だろ?」とおっしゃった。ボクがはいと言うと自らを卑下すると強くならない。強くなるためにうちに来ているのなら黒帯を締めなさいと言われた。

「初段と言っても五年も前に取ったので、一から柔道を学び直したいと思いまして。」などと訳の分からない言い訳をした。

ボクは別に強くなりたいと思って講道館極真会館や大学柔道部を覗いたわけではない。興味本位で強い人を間近に見たいだけで、強い人と戦うつもりは微塵もない。一パーセントも一ミリもない。升席で大相撲を見る状態が最高に幸せな状況だと思う。怪我もしたくないし、死にたくもない。痛い思いもいやだ。

浅見師範は、道場の師範代四段と乱取りを命じた。怖がらなくていいからと言って三十歳前くらいの四段位師範代は優しくボクの袖を取った。掴むなり内股できれいに投げられた。体落とし→支えつり込み腰→払い腰→背負い投げと立て続けに無抵抗で投げられた。

何か月も柔道の練習をしていなかったボクは畳で背中がこすれてひりひりした。試合中に普通は痛みを感じたりしないものだが、ボクはこう感じた時点で試合をしているというより、無抵抗で一方的に投げられていた。

ボクは投げられ疲れで息が上がり前のめりになった。その時、師範代の右足が見えた。した。大外刈りだと思った。ボクはすかさず、小内刈り→小外刈り→足取り→諸手刈りの動作をした。

大外刈りに来る師範代の右足を見て思わず手が出た。これが朽ち木倒しだった。

まったく、油断した師範代はまんまとボクの朽ち木倒しを食らった。無様に尻から畳の上にドスンと落ちた。

あとは問題にならなかった。寝技に行こうとしたボクは跳ね返され、先ほどにもまして大技で投げ飛ばされた。

講道館の最高段位は4,5段位らしい。6段位から上は滞留年数が過ぎると金を払って買う名誉段である。だから、8、9、10段位は高齢者で金持ちでないと取れない。

だから、この道場の師範代四段は実力的には道場ナンバーワンである。その最強者を、本人に油断があったとはいえ、尻から畳に落とすという醜態を演じさせたのだから、彼は顔を真っ赤にして怒った。浅見先生が止めなければ、ボクは殺されていたかもしれない。

ボクは死にたくないし、怪我もしたくないので、浅見道場を辞めた。

< 男だ!上田馬之助‼ >じつは四人いた⁉

日本武術神妙記 (角川ソフィア文庫)

また、上田馬之助と言う名前についての検証をする。ボクの友人の編集者兼漫画家に言わせると、また、その話かといわれそうだが、なにしろ、浪花節が大好きなので、僕自身としては如何ともし難い。

前にも述べたが、上田馬之助と言う名前には、四人の男が絡んでくる。幕末の剣士上田馬之助、これが元祖である。司馬遼太郎の「斬ってはみたが」と言う風変わりなタイトルの小説に登場する。幕末の頃「銀座事件」と言う決闘事件が実在する。 

山形天童藩の江戸詰め武士二名が銀座の飯屋の二階で酩酊して喚いていた。たまたまその時、江戸に剣術留学中の九州出身の武士上田馬之助は下宿先の町人の子供に飯を食わせようと来店し、隣席に居合わせた。町人の子供が誤って、天童藩士の刀を跨いだ。無礼者と酒乱の二名の武士は、喚き出した。
 
「年端の行かぬ子供の事ゆえ、許されよ。」
 
と話す上田馬之助の諌めも聞かず、二人の武士は怒り罵声を浴びせ、「無礼討ちだ!」と罵る。
子供は怯えて泣き出す。
 
「坊や。心配いらんぞ。」
 
となだめる馬之助。
 
「申し訳ない。これにて失礼致す。ごめん。」
 
と、子供を抱いてきびすを返す馬之助。
 
「卑怯者。逃げるか!」
 
酒乱侍二名は、いきなり抜刀し、階段の降り口付近で、左手に子供を抱き抱えた馬之助に背後から切りつけた。

刹那、馬之助、振り向きざま、抜刀一閃。最初に切りつけた武士は腹を真横に真っ二つに切られ階下に転げ落ち絶命した。間髪入れず、二人目が馬之助に上段から打ち掛かったところへ馬之助は右下から逆袈裟切りに刀を突き上げた。二人目ももんどりうって階下に落ちて絶命した。

この後、馬之助の行動は回りにいたすべての目撃者に称賛された。
馬之助は直ちに大小二刀を目撃者に預け、店の者に子供を託し、自身は番所に丸腰で自首した。
 
馬之助に一刀両断された天童藩士二名は札付きのゴロツキで飲んでは狼藉、たかりを繰り返す暴力常習犯で天童藩でも持て余していたとか。正当防衛どころか、江戸時代、挑まれて逃げる武士は面目丸つぶれである。
 
そういう時代に、売られたケンカを正々堂々と買い、弱い町人の子供をかばって戦い勝ったという事件が美談にならぬはずはない。

江戸町奉行は、おとがめなしの裁断を下し、市井の人々は馬之助をもてはやし、たちまち、事件は江戸講談や浪花節に語られることになった。
 
この人が鏡心明智流桃井道場の上田馬之助。もっとも、司馬遼太郎は小説「斬ってはみたが」に含蓄のある落ちをつけている。
 
剣術留学してみたもののいつまでたっても上達せず、桃井道場の師範代とは名ばかりの馬之助。人を切ったのも、ケンカを買ったのも初めての事。どうやって切ったのか、まるで思い出さない。その時の太刀筋を二度と振るうことはできなかったというのである。

司馬遼太郎短篇全集 第九巻

       ★      ★     ★
 
上田馬之助はあと三人いる。
 
 
まだら狼プロレスラーの上田馬之助

男は馬之助―場外乱闘を生きてみろ! (ボム!Books)

 
それから、初代まだら狼のファンで弟子になり
二代目を襲名したプロレスラーの上田馬之助である。
 
 
歌舞伎役者や大相撲の力士でもない限り、一個人の名前が後年の人に受け継がれていくと言うことは、そうそうあることではない。あと三人の上田馬之助の名前について、後日考えてみたい。
 
もし、ボクに髪の毛がふさふさとあったなら、ボクは「ちょんまげの上田馬之助か、
金髪に染めて「まだら狼の上田馬之助を演じてみたいところだ。無理か?

< 巌流島の船木誠勝 >まだ18歳だった。


 

新日本プロレスリング 巌流島の決戦 【アントニオ猪木vsマサ斎藤】 フィギュア
船木少年が巌流島で見たもの。それは何か?

いつまでたっても、始まらない試合。喉かな海岸線。緑の山々。波の音。潮の香り。

退屈で退屈で海辺でカニを捕まえる。林の中でトカゲを追っかける。膝まで海水に浸かってみる。退屈はまぎれることはない。

昼寝をする。2時間くらいで目覚める。

夜明けとともに始まるはずの戦いはいつまで待っても始まらない。

結局、午後になり、マサ斉藤が到着した。夕刻になり、だいぶ遅れてアントニオ猪木が到着した。けれどそれから、猪木は自分のテントにこもって出て来ない。

業を煮やしたマサ斉藤が猪木のテントに突入し、試合開始。もはや、落日の時刻。

ここに至るも、船木少年は退屈であったらしい。

リングに上がった二人は間接技の応酬に終始する。

そんなのは巌流島でやんなくたって道場でやってよとは、言えない。もの言わぬはストレスの心地だ。

夜のとばりが降りて漆黒の巌流島。松明に火が灯り、リングの周りだけが真昼の明るさを取り戻す。

二人は無言で格闘する。船木少年も無言。会社の人たちも記者たちも無言。

巌流島は静寂の中で二人の荒々しい息づかいと体がぶつかり合う音のみが響き渡る。船木君は依然として退屈だ。



試合が動いたのは、再びリング外に出た時、猪木がマサ斉藤をつかんで篝火の支柱にぶつけた時だった。

そのあと、大技を喰らってマサ斉藤は倒れた。グロッキーで動かない。生きてるのか?と心配するほど動かなかった。

一方、猪木社長は汗一つかいていない。こうして巌流島の一日は終わった。


猪木社長に付き添い、ホテルに帰り、船木少年もシャワーを使い落ち付いた時、

「船木。河豚を食いに行くぞ。」

と社長から電話があり、にわか付き人の船木君は飛んで行った。


巌流島で学んだ事は、猪木選手の底なしのスタミナと、ふくさしの旨さと、退屈に慣れる事。

船木誠勝選手は述懐している。




筆者注記

アントニオ猪木マサ斎藤の巌流島決戦について、当時サラリーマンであったボクはテレビ放送を楽しみにしていた。中継は無理だろうと思ったがそれでも、録画くらいしてあって金曜夜8時~9時の「ワールドプロレスリング」の番組内で放送されるものと思い込んでいた。しかし、それはなかった。

猪木はこの試合の前に家庭的に問題を起こしており、海外の事業の方でも資金繰りの不調など、本業のリングも含めて行き詰っていたらしい。この閉塞感を打開するために自分はレスラーであるからレスリングをする中で気持ちの整理をしたい。マサ斎藤が自分の気持ちを慮って付き合ってくれた。そのように猪木に対するプレスのインタビュー記事で読んだことがある。

それ以外は「巌流島」に関して猪木はあまり多くを語らない。マサ斎藤に至っては全くコメントしていない。両者も新日本プロレスもその後は黙して語らない。ファンには伝える必要のない大人の事情があったのかもしれない。この二人に付き添った新日プロの選手は船木選手と当時の猪木の付き人の2名だけである。2名についても船木選手のコメント通り、事前には試合の一切合切が伝えられていない。船木選手には会社から同行せよとの命令だけである。
だから、YouTube内で「巌流島」について語る船木選手はアントニオ猪木の身近にいて当時を証言できる唯一の存在かも知れない。

介護と葬儀と相続にまつわるお金の話・ボクの場合

ムリなくできる親の介護 使える制度は使う、頼れる人に頼る、便利なツールは試す!

 

ボクは、七年間、父を看てきた。

やがて、遠距離介護の限界を感じて、介護施設を見つけてきた。

最初嫌がっていた父も、やがてそこの暮らしが気に入って友達もできた。

あいかわらず、無理を言うこともあったが、毎朝、800キロ離れた自宅から父に「生存確認」の電話を入れた。

 

帰省した時には、ずっと介護施設にいてたまに、実家の掃除に帰っていた。

ある時、父が銀行と登記所に連れて行けと言い出した。

 

「わしも、なげえーことないけえのう。ボロ家(自宅)と預金通帳の名義をぬしにしちゃる。」

「そがいなこと、せんでもええがな。」

「あかん。わしゃー○○の亭主(姉の夫)は、でえきれーじゃけえー。」

 

父は、預金と不動産をボクの名前にした。

不動産は相続税の生前非課税制度を利用した。

雀の涙ほどの年金口座の残金は一度、現金で出金して、ボクの口座に入れた。

父の年金受給口座には十万ほど残った。

 

 

銀行で長時間いたため、父はもよおしてきた。

「いけん。出る。」

「うわーっ!ここで出したらいけんどーっ‼」

 

銀行のトイレに飛び込んだんが、遅かった。

ボクは、泣きながら、後始末をして清掃した。

銀行の支店長代理に詫びを言った。

銀行は掃除してきれいにしてもらって~と恐縮していた。

 

車の中に、消臭剤、替えのおむつ、濡れティッシュ、ビニール袋など積んでいていつでも有事の備えをしていたのが奏功した。(んな、大げさな。)

いや、高齢者を見るというのは、そういうことで、常々、準備しておくことだと思う。

 

「ああ、すっきりした。」

 

と、父が言うので、ボクは帰りの車の中で、内心怒っていた。

が、父がすっきりしたと言ったのは、相続というか、生前、非課税贈与が片付いたので、遺産相続(ゆうても、資産、財産らしきものは無いけど。)問題で、姉と姉の主人とボクが喧嘩することはなくなったのでスッキリしたと言いたかったらしい。

 

数か月後、父の入居していた村の介護施設から連絡があった。父が亡くなった。

朝の食事時、誤嚥性肺炎だった。救急車で国立病院に搬送されたが、手遅れだった。

 

 

四十九日が済んで、村役場から電話があった。

お父様は事故死扱いとなり、村の方で掛けていた生命保険金が下りましたという連絡だった。

ボクは保険金請求書に姉の名前を書いて、姉のもとに送った。

 

「保険金ゆうても、五万円くれるんか、十万円か知らんけど、姉さんがとっておいてくれ。」

と電話したら、不動産の名義変更や通帳の残高がないことを知った姉は、

 

「こんなはした金なんか、いらんわ‼」

 

と言って、姉自身の印鑑証明書などとともに送り返してきた。(受け取らなくても、書類は必要だった。)

 

気分が悪かったが、ボクは保険金受取人欄にボクのの名前を書いて保険会社に郵送した。

 

三週間後に、ボクの口座に保険会社から五百万円の振り込み入金がされた。葬式代とお墓さんの移設、墓じまい、墓石代で五百万円は、すぐに消えた。

 古い父親の住まいとわずかばかりの宅地がボクの手元に残った。相続するとはそういうことだ。金持ちになった訳でもない。姉とは喧嘩別れしてそのままだ。

 

それでも、少しは父の手助けになったという自己満と思い出がボクの心に残った。

純烈内緒話<リーダーがまた泣いた。友井雄亮君を思って>

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昨日、クリスマスイブの大阪のランチショーでリーダーの酒井一圭さんがまた泣いた。

有馬記念を外したからか⁉(違う⁉そんなボケいらない?やっぱり。)

たまたま、友井雄亮君の話が出たんだよね。

で、ここには本人の了解もないから、詳細は書けないけど、

永年、苦楽を共にした友井君を思い出して涙が出たんだよね。

そんなに泣くならメンバーに戻してあげればいいのに。

と、無責任な外野は勝手に思うけど、そこは大人の事情で簡単な話じゃあないんだよね。

だけど、何とかしないと、このままじゃあ、酒井さんまた泣くぜ。

明るい純烈が好きなんだけどな。


じゃあ、今回もまた、酒井一圭作詞、歌 友井雄亮&酒井一圭の「純烈一途」で締めとく。よろしく。



 一度決めたら どこまでも
二度と帰れぬ 片道切符
三度駄目でも 痩せ我慢
懲りない奴らの大博打

男は目ヂカラ
燃えて 燃えて貫いて
純情 烈夫の ごとくあれ
純烈一途に


あんたの夢に 賭けたのよ
命も愛も 全部持ってけ
手を振りながら 強がっても
やっぱり抱きしめて 愛しくて


女は目ガシラ
熱く 熱く潤ませて
純粋 可憐な 花であれ
純烈一途に

どれだけ 遠くても
夢を 夢を追いかけて

男は目ヂカラ
燃えて 燃えて貫いて
純情 烈夫の ごとくあれ
純烈一途に