2020年10月

『竜虎剣吹雪』『悲願双竜剣』成島一夫と『音無しの剣』横山光輝、『山びこ剣士』藤子・F・不二雄の各先生

横山光輝初期作品集 第2集 風の天兵 (横山光輝愛蔵版初期作品集 第 2集)

ネットでヒットしないので市内の六つの公立図書館を回って貸本漫画に関する本を探し回った。

しかし、ひばり書房竜虎剣吹雪』成島一夫・作についての記事の書かれたものや作品を見つけ出すことはできなかった。

 

かろうじて『貸本マンガRETURNS』というポプラ社から出ている本の中の『貸本マンガ家リスト1000+α』という記事中に、成島一夫『悲願双竜剣』ひばりとの記述が見える。

其れだけである。

 

それ以外についてこの作家に関する記録は見当たらないので全く分からない。

成島一夫先生はひばり書房から最低でも『竜虎剣吹雪』『悲願双竜剣』の二作品を

発表していたことだけしかわからない。

 

しかも『悲願双竜剣』のほうは内容すらわからない。

ただ、竜と剣の二文字は両作品のタイトルに共通していることから、あくまでボクの想像なのだが、腕の立つライバル関係の二人の剣士の物語と思える。

 

竜虎剣吹雪』が1957年発表作品であり当時は映画全盛期で邦画は時代劇が人気の主流であったことから、貸本マンガでも時代劇、チャンバラ物が大人気であったことは想像に難くない。

音無しの剣 (復刻名作漫画シリーズ)

1955年( 昭和30年 )、横山光輝先生の貸本デビュー作『音無しの剣』が大阪の東光堂より発表されている。1956年( 昭和31年 )には『白竜剣士』が『少年』の4月号付録として。1957年( 昭和32年 )10月~1958年( 昭和33年 )8月には『少年クラブ』に甲賀忍者『風の天兵』を連載している。

余談ながら、この作品の中で阿魔野邪鬼として登場する剣客が後に『伊賀の影丸』では甲賀七人衆の首領として登場する。

藤子・F・不二雄大全集 山びこ剣士/竹光一刀流ほか

また、藤子・F・不二雄先生の『山びこ剣士』『竹光一刀流』『海の快剣士』『電光豆剣士』『かげろう剣士』『宝さがし武勇伝』などが1956年( 昭和31年 )6月から1958年( 昭和33年 )9月までの『漫画王』別冊付録として発表されていることから当時の時代劇漫画ブームがうかがい知れる。

 

このように1955年( 昭和30年 )から1958年( 昭和33年 )にかけてが貸本漫画、月刊漫画雑誌における時代劇物の揺籃期であったと言えよう。

 

そんな中で、成島一夫先生の『竜虎剣吹雪』は、後の大売れっ子漫画家横山光輝先生、

藤子・F・不二雄先生たちの作品と比べて絵、ストーリ―共少しもそん色ない。

 

ボクは生まれて初めて手にした貸本漫画が『竜虎剣吹雪』であってよかったと思う。

構成もセリフもしっかりしている。加えて史実赤穂浪士事件をストーリーに組み込んできちんと描かれている。『竜虎剣吹雪』については機会があればぜひ読み返してみたいと思う。

また、今回調べていて判明した『悲願双竜剣』というまだ見ぬ作品についてもぜひ読んでみたい。

大漫画家に尋ねてみた『竜虎剣吹雪』

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同級生の大漫画家兼編集者も成島一夫を知らないと言う。貸本漫画家だろうか。貸本漫画の衰退とともに引退廃業転職なさった先生方の中の一人かも知れない。

   ☆

貸本業界から月刊、週刊少年漫画に転身して大成功された先生方では、手塚治虫、白土三平、水木しげる、さいとう・たかを、、、、、。

 

( 劇画工房出身メンバーや関連の先生方、名前を挙げると何十人になるかしれないので独断で五人だけ挙げるなら、辰巳ヨシヒロ、園田光慶、南波健二、川崎のぼる、佐藤まさあき。

あくまでボクの偏見によるもの。当然だけど、お前は無知だ。馬鹿だという方はいるはず。その方々の主張が正しいと思う。

家の女がボクにいつも言う。「あんたの最初に浮かんだ考えはまず✖。使えない。間違っている。非常識。」「you'r fist inspiration is bad & crazy thing &kuso」銀行時代、株と年金で大損したからボクは言われるがまま認めざるを得ない。損害額は忘れた。15万円。150万円。15000万円のいずれかだったが、記憶にありません。)

 

ええと、さいとう・たかを先生のあとの、貸本業界から転身して成功組の先生方の名前だよね。

話が脱線したので出てこなくなった。思い出したら、また、書く。漫画の続きに劇画を入れたからだよね。漫画の話をするときは漫画だけ。劇画の時は劇画に絞って論ずるべき。これは相撲とプロレスどっちが強い議論に似ていて、混同しちゃダメなんだよね。

 

ちょっと自信ないけど、横山光輝、藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、つのだじろう、つげ義春、池上遼一の先生方も貸本経験者なのかな。

 

 

大脱線したけど、ひばり書房の『竜虎剣吹雪』(成島一夫)の各ワードの内、大漫画家が知っていたのはひばり書房、あと若木書房とかあったよねと言われた。さすがだ。ボクは出版社の名前はまったくわからない。

作者の成島一夫と言う人についてはまったく知らなかった。

なにせ、当時五歳くらいだ。漢字を読めない。ひらがなすら書けない。両親か姉妹の誰かが読み聞かせたのだ。

 

タイトルだけは覚えていた。「りゅうこけんふぶき」だ。当時ボクは「りゅうこ」という女性の名前だと思っていた。「剣」が刀の意味だとは理解していた。母親が時代劇映画を見る時ボクを伴ったからだ。「ふぶき」は何のことかわからない。母親に尋ねたと思う。彼女は「雪や花びらが大気の変化によって発生する風により激しく空中を舞うさま」と教えた。方言交じりでもっと、どんくさく、教えた。

 

つまりボクは「りゅうこという女の人が雪、花びらの嵐の中、刀を振り回す漫画」とイメージした。

ガキの感性と言うものはあながち、的外れではない。馬鹿にできない。「りゅうこ」が

よきライバル関係の二人の剣士だと誰かが教えたらボクはタイトルで内容をすべて読み取ったに違いない。

 

このたび、売り切れ表示のヤフオクのサンプル画像の中から、扉絵、目次、最後尾の見開きページ、内容2ページ(数コマ)中のセリフを読み取ることができた。

全部覚えている。作者名こそ記憶にないが、ストーリーから、セリフまですべて思い出した。何百回となく読んでもらって、眺めたからだ。当時、他の漫画は見ていない。漫画雑誌も字が読めないから買っていない。テレビはずっと後に届く。

ラジオの「赤胴鈴之助」と親たちが読み聞かせる「竜虎剣吹雪」のイメージだけでこの漫画のストーリーを感じ取っていたのだ。

 

内容は田舎で上士に差別されていた少年剣士が江戸に上がり、入門した道場でライバルの少年剣士と出会い意気投合し切磋琢磨の日を送るが長じて赤穂浪士の事件に巻き込まれ敵対することになりかつての親友ライバル剣士を主人公の少年が打ち取ってしまうという冒険ロマン悲劇の一巻である。

 

当時まだ字も満足に読めない幼児だったボクの記憶なので細部は勘違いしているかもしれません。ただ、大筋はこんなところだったと思う。

ボクが生まれて五年目に初めて手にした漫画作品。貸本屋向け単行本。

ひばり書房の『竜虎剣吹雪』(成島一夫)でした。

 

 

友人の大漫画家兼編集者が「その本ネットでなんぼや?」とおっしゃるのでヤフオクの

落札価格を見たら、1500円、2500円、3000円の三ケースあった。きず、汚れ、色焼けなんかの具合で価格変動するんだよね。

 

ボクなら送料込みで5000円、競争入札なら10000円まで出すかな?その時じゃないとわからんな。なんせ株では1500万円流してる。←あほか!ボクって。

 

ひばり書房『竜虎剣吹雪』(成島一夫)もう一度読みたい漫画本



五歳の時貸本屋で親に買ってもらったひばり書房の
『竜虎剣吹雪』(成島一夫)がふっと頭に浮かんだ。
もう一度読みたい。終活してるのになぜこんな事を思い付いたのだろう。
まだ字が読めない頃、読み聞かせてもらったからか。
ヤフオク見たらオークション終了していた。
残念。読みたい。欲しい。読みたい。   

☆       ☆


五歳の頃、貸本屋で親に買ってもらった本。

ひばり書房、成島一夫『竜虎剣吹雪』が突然読みたくなった。

覚えていたのは『りゅうこけんふぶき』という音だけ。

ヤフオクで検索すると、 ひばり書房から出ていて、 作者が成島一夫と言う人で、

タイトルは『竜虎剣吹雪』と言う字を書くのだと分かった。

終活ジジイのボクがなんで突然そんなことを思ったのか?

60年以上忘れていた本の名前が音オンだけとは言え

頭の中に振って来たのか?

ぼけてんのか。 あす、できたら病院に行こう。

  ☆        ☆

当時一冊五円で何日か借りていた。
気に入った本は十円出せば売ってくれた。
あの古本屋 ( 貸本屋でなくてフルホンヤとボクらは呼んでいた。)の
親父は新聞広告の裏が白いやつをはさみで切って
それを閉じ紐で閉じたものを貸出台帳に使っていた。
その広告の裏に本の名前とボクの名前と住所と 貸出日を
鉛筆をなめながら書いていた。
返しに行くと、また鉛筆をなめて横一本線で抹消していた。
回収済みと言う意味だろう。


あの親父は子供の目から見ると自分の祖父くらいに見えた。
あの親父生きていたら120歳くらいだ。

菊池寛と直木三十五のちょっといい話

菊池 寛 作品全集

高松市の中央公園の前に二つの銀行の本店ビルが立っている。大きい方が明治の銀行条例で誕生した全国で114番目の百十四銀行。小さい方が第二地銀だ。
 
その小さい方の第二地銀の南側の歩道に菊池寛の『父帰る』のワンシーンをモニュメント化した銅像が立っている。この辺が菊池寛の生家があったとされている。
 
菊池寛は高松中学から進学した明治大学を退学し、東大にもなじまず、京大文学部に進む。上田敏の講義を受けるがある時、上田の教授室で先生の来るのを待っていると一冊の洋書雑誌が目に留まる。それはヨーロッパの文学批評の英語で書かれた雑誌であった。
 
放蕩癖や自堕落な生活では人後に落ちない菊池寛だが英語に関しては天才的に堪能であった。雑誌を見ると上田敏が雑誌の評論の受け売りを授業で自論のように展開しているのが読み取れて、菊池は教授を軽蔑するどころがずいぶん肩の力が抜けて好ましく思ったそうだ。

上田 敏 作品全集

さて、その本の中で菊池は『collaboration』という単語に着目する。『共同作業』と訳して菊池は文学もこれで好いじゃないかと思う。
谷崎潤一郎や年下の芥川龍之介のような天才ではない自分は、文学の才能はない。其れならば、文学者、特に後進の連中が金に困らず作品を発表する場を設けよう。俺は捨て石でいいと考えた。
 
それが戦前の文藝春秋社の設立であり、芥川賞であり直木賞であった。最も雑誌文藝春秋はゴシップ雑誌であり、(そのひ孫週刊誌の文春みたいなもんか?)講談の宮本武蔵巌流島の決闘などについて学術的でなく浪花節的に武蔵は強いか弱いかなどを議論していたようだ。
 
誌面上において直木三十五吉川英治とでかなり感情的に論戦を繰り広げ、ラジオ出演の場でも大ゲンカしたと伝えられる。
この時、武蔵擁護派は菊池で直木が否定派。吉川は中立であったが直木の死去に伴い、小説宮本武蔵を書く決心をする。その時、美少年剣士佐々木小次郎を若かりし日の美少年直木三十五をイメージしながら書いたという。

知られざる文豪 直木三十五: 病魔・借金・女性に苦しんだ「畸人」

 
ある、冬の日の夕暮れ、映画製作に失敗して都落ちして大阪に帰る直木が菊池を文藝春秋に尋ねた。外套も着ず震える直木に
「天下の直木三十五がそんな恰好で汽車に乗っちゃあいけない!」
菊池は自分のオーバー・コートを直木に無理やり着せた。
 
文藝春秋社を辞して外に出たら雪だ。寒くてポケットに手を入れた直木がポケットの奥で何かに触れた。不審に思い何か紙の束のようなものを引っ張り出してみると無造作に束ねられた一円札の束が出てきた。
 
直木は菊池の情けに感じ入り涙が止まらず呆然と立ち尽くしたと述懐している。
 

昭和の天才たち・三島由紀夫と赤塚不二夫


写真集 三島由紀夫 '25~'70 (新潮文庫)

日本を代表する小説家をひとり挙げろと言われれば、ボクは迷わず三島由紀夫と言うし小説や文学に無知なボクがそう言っても否定する人は少ないと思う。

 


つい最近、ボクは三島由紀夫が大変古くからの漫画ファンであったという事を知った。 うれしい限りだ。評論家の平岡正明氏が「昭和マンガ家伝説」(平凡社新書)の中で次のように書いている。

 「三島由紀夫手塚治虫白土三平を買わず、赤塚不二夫を絶賛している。」

そして、三島の言葉を引用している。

 「いつのころからか、私(三島)は自分の小学生の娘や息子と少年週刊誌をうばいあって読むやうになった。「モーレツ・ア・太郎」は毎号欠かしたことなく、わたしは猫のニャロメと毛虫のケムンパスと奇怪な生物ベシのファンである。このナンセンスは徹底的で、かつ時代物劇画に私が求めていた破壊主義と共通する点がある。(三島は劇画家平田弘史のファンで戦後アメ横平田弘史貸本屋向けの時代物劇画を求め捜し歩いたと告白している。)

……(中略)……

今の若者は手塚治虫水木しげるのかういふ浅墓な政治主義の劇画・漫画を喜ぶのであらうか。「モーレツ・ア・太郎」のスラップスティックを喜ぶ精神と相反するではないか。」(仮名遣い作品名表示は原文のまま。)

もーれつア太郎BOX 1~9(9点9冊セット) (竹書房文庫)



ボクが初めて三島由紀夫の小説に触れたのは小学生向けの学習雑誌の付録についていた「剣」(1963)という短編であった。それから、「潮騒」(1954)、「憂国」(1961)、「金閣寺」(1956)と続けて読んだ。 

中学に入って新潮文庫のリストに載っている作品は全て読んだ。随所に、子供にとって理解できない表現があったが構わず読み続けた。

中学の時、「豊饒の海・四部作」がスタートした。第一巻「春の雪」が難解でとうとう挫折した。ついに読むのを止めた。

そして昭和34年の創刊以来の「少年サンデー」「少年マガジン」等少年向け漫画を読み続けた。三島の言うように手塚や白土を読まなくても赤塚不二夫のギャグ漫画を読まない週はなかった。

赤塚漫画は最高に面白かった。毎週ニコニコしながら読んだ。赤塚不二夫の「ひみつのアッコちゃん」「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」は大ヒットし、日本中の子供達の間で「テクマクマヤコン」「シエーッ!」「これでいいのだ」のせりふは大流行した。テレビアニメは1966年(昭和41年)の「おそ松くん」(毎日放送系)を皮切りに各局で合計11シリーズも放送されている。これらは、どれもこれもが毎回、すべて新作で再放送を含まない。すごいことである。

電子版 天才バカボン(1) (少年サンデーコミックス)


ゆえに日本を代表する漫画家をひとり挙げろと言われれば、僕は迷わず赤塚不二夫と言う。これでいいのだ!!

天才ギャグ漫画家赤塚不二夫は2008年(平成20年)8月72歳で永眠した。合掌。
 
 

劇画工房、さいとう・たかを、辰巳ヨシヒロ

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ボクの長年の疑問。

高校くらいから思っていたかも知れない。

 

【どの本にも「劇画」の名付け親は「辰巳ヨシヒロ」と元祖は、この人みたいに紹介さ

 

ているけど、感銘を受けた作品はない。というより作品はあまり知らない。「劇画」

 

王様はさいとう たかをじゃないのか?】   

 

漫画家本vol.7 さいとう・たかを本 (少年サンデーコミックススペシャル)

 

 

本日、小学館の「さいとう・たかを本」を読んでいたら、辰巳ヨシヒロ先生のインタビュー記事が載っていた。謎が解けました。辰巳先生はこう言っています。

増補版TATSUMI

 

 

 

 

劇画暮らし (角川文庫)

 

 

【要約】辰巳先生はさいとうたかを先生より一才年上。

劇画工房というグループを作った。そもそも自分らの漫画でない新しい絵の名前を何にしようかと言う話になり、さいとう氏は『説画』、辰巳氏は『劇画』と言った。他にも案は出た。当時、紙芝居の事を『画劇』と呼んでいたので紛らわしいとさいとう氏が反対した。けれど『説画』はみんな相手にしなかった。「紙芝居はやがてすたれていくから『劇画』でいいか。」とさいとう氏が認めたので決まった。

 

 

< 劇画がさいとうたかを中心に動いたわけ >

①一番絵がうまく皆さいとうたかをの絵をまねして描いた。それを劇画と呼んだ。

②新興の少年誌出版社がさいとう氏を認めた。

③二年くらいさいとうは全く描かない時があったがプロデューサーとして皆に描かせた

④一番勢いがあった。

⑤経営を頭に入れていた。

⑥わがままだった。が、自分の原稿に他人の手をどんどん入れさせた。

⑦やくざを黙らせる貫禄があった。

水島慎二は劇画工房外の人だが交流があったけど同じやくざにボコられた。

⑧ファンの少年を喜ばせるとかいった漠然とした夢を語らない。

⑨劇画の購読者の年齢職業収入まで実地にリサーチして売れる作品売れる雑誌を作っていった。

 

 

 

まとめると、劇画と最初に行ったのはさいとうたかをさんじゃなかったけれど劇画工房は、さいとうさん中心で読者も出版社も作家仲間も認めていた。

 

辰巳さんのように劇画工房を離れて描き続けた作家さんもいたけれど、劇画工房の仲間の何人かはさいとうプロに参加して分業制システムを認めてメンバーになっている。

 

ボクは、それで劇画工房のメンバーが堕落したとも辰巳ヨシヒロさいとうたかをに劣っているとも全然思わない。

ボクら読者の目に触れようが降れまいが、適材適所、各々のポジションで各々の人生を生きているからボクがとやかく言う問題じゃあない。

 

 

ボクの疑問は解消した。

 

劇画とさいとうたかを辰巳ヨシヒロの関係もわかって来た。それがうれしい。

 

 

 

銀行の話・白い美少女


ボクの銀行勤務のオーラスは事務センターというところだった。十階建てのビルの三階が仕事場だったが8時~5時の残業一切なしの恵まれた「飼い殺し」職場であった。


 


僕のいた三階は一日中赤ペン持って、書類のチェックをするところだった。ここへ配属されてからノイローゼになったのもいるし、ここへ来る前に営業店では使い物にならなくなって飛ばされて来た者もずいぶんいた。


心因性の病で心療内科へ通院する者、営業店で不祥事を働いた者、傷害事件を起こした者、ハレンチ行為をした者、不倫が発覚して騒ぎを起こした者など等、現在だったら


懲戒解雇されて当然のような素晴らしいキャリアの銀行員たちの、言わば、吹き溜まりであった。


かく言うボクは、たった一回支店長の机を蹴飛ばして「あんたはバカか⁉」と言っただけである。ここに飛ばされた理由がわからん(今思えば、十分適格者だ。)と思った。


 


事務部であるから、書類、電算システム関係、検査関係、手形小切手の集中センター、それから硬貨の袋詰めなどもこのビルの中でやっていた。


最上階に食堂があった。


ここだけが唯一銀行の設備らしい雰囲気があった。それと男女比率が7対3で女性が多かった。


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昼飯時は他の部門の女性と同席して食事を取ることがあった。


夏でも黒っぽいのスウェットパーカーを着ている美少女がいた。冬はパーカー付きの黒のブルゾンを着ていた。実際は二十代後半らしいがボクには少女のように見えた。夏も冬もパーカーのフード部分で顔を覆うようにして一人で行動していた。他の女性行員は制服だったが美少女だけはパーカーを着ていた。


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陰気かというと、全然そんなことはなく、挨拶を明るい声で返してくれた。ちょっと見ただけだが肌が白くて目鼻立ち整って人形のような美少女であった。


 


ボクは後輩のTといつも食堂に行ったが、ほとんどパーカーの美少女と同じ時刻の事が多かった。Tはたちまち、パーカーの美少女に惚れ込んだ。Tは場の空気が読めず、営業店では上司同僚から相手にされず、得意先からもTに対しての苦情が頻発し、ここに来た。


 


そのTが美少女に告白するという日になって社員食堂のおばちゃんがTに言った。


 


「あんた、あの子を好きなのはよく分かるけど告白するのはやめな。」


Tが驚くとおばちゃんは話し出した。


 


「あの子は紫外線がだめなんだよ。夏も冬も黒い頭巾のついた服着てズボン履いてるだろ。光線に当たると体調不良になるんだよ。それであの格好してるの。警察にもたびたび職務質問されるって。かわいそうだろ。あの子は恋愛も結婚もとっくに諦めてるのさ。結婚して自分と同じ体質の子が生まれたらかわいそうだって。友達も作らない。自分と仲良くしてもらっても、突然自分が入院したら周りは悲しむと思ってるの。」


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「だから、挨拶だけにしときな。」


 


Tは絶句した。ショックを受けていたようだ。


「先輩、俺、今日、飯は要らないス。」


と言ってTは食券をボクにくれた。


 


その後ボクは、事務部長の机を蹴飛ばしたので飛ばされる先もなく早期退職となった。


 


 


Tと美少女がどうなったのかボクには分からない。


あしたのジョーファンにはうれしい『登場キャラのモデルを探せ!』


そして、  帰ってきた…

あしたのジョーファンにはうれしい『登場キャラのモデルを探せ!』という企画の記事の掲載された雑誌を偶然コンビニで見つけた。

大洋図書社から出ているミリオンムック昭和の不思議101  2020年 秋の男祭号と言う雑誌である。

昭和の不思議101 2020年 秋の男祭号 (ミリオンムック 39)

著者はプロボクシングレフェリー・ノンフィクションライターの葛城明彦氏だ。

 

登場キャラのモデルについて種々の検証がなされている。

記されている主なキャラクターは、

矢吹 丈

力石 徹

マンモス 西( 西 寛一 )

ゴロマキ 権藤

丹下 段平

金 竜飛

カーロス・リベラ

ウルフ 金串

大高会長

ホセ・メンドーサ

 

ボクがこの中で特に注目したのはゴロマキ 権藤である。

 

 

 

ユージン SR ファイティングコレクション あしたのジョー2 Part 3 全6種

ボクは毎月24日頃になると手元にあるあしたのジョーの文庫size本を

読むことにしている。

あしたのジョーの日』というのを勝手に決めている。

その日を丈のライバル力石の月命日と思って無作為に一冊取り出して読むことにしている。時間は大してかからない。

 

で、9月24日に読んだ中にゴロマキ 権藤が登場していた。ボクはもともと、この

ゴロマキ権藤と言うキャラクターが好きだ。やくざの用心棒という設定だが

作品中に描かれたその佇まい、服装、セリフ、すべてがいかにも反社会的勢力、

生粋のチンピラやくざ、エリート暴力団員という気がしてならない。何より

喧嘩強い。ウルフ金串を二度目の再起不能にするほどの実力者だ。作品中では

残念ながらボクサーではない。

 

実在したモデルの方は元東洋ミドル級王者、故権藤正雄氏。モデルについて知りたい方は雑誌をお読みください。

 

ところが物語の中盤から後半にかけて突然登場したこのゴロマキ権藤というキャラクターについては梶原一騎先生はくどくどと説明しない。

 

全面的信頼の下に画家のちばてつや先生に人物像を丸投げして描いてもらったかの感がある。

 

ちば先生は見事にこのバトンを受け取ってゴロマキ権藤像を完成させている。

ゴロマキ権藤がこの物語に初登場して以来、また物語が完結して以来、ずっと

ちば先生に聞いてみたかった。

完全解析! 出﨑統 アニメ「あしたのジョー」をつくった男

「ちば先生のお知り合いには反社会的勢力の方がいらっしゃるのでしょうか?ゴロマキ権藤さんという方は実在の方なのでしょうか?」

 

こんなオールドファンの無礼な質問に対してちば先生は怒り心頭、

ボクのあごや腹めがけて電光石火のジャブをえぐる様にして打ってくるだろうか?

 

聞かなくてよかった。この雑誌にその答えは掲載されている。

 

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