2020年11月

土佐で鍛えた力士たち


相撲 応援タオル 琴奨菊

大相撲カード  琴奨菊 2枚セット

琴奨菊関の引退が発表されました。上京後、数年前に初場所の三日目を見に行きましたが、その場所で優勝したのが、琴奨菊関でした。福岡生まれの高知育ちの名力士の引退。寂しい限りです。奥さんが元美人モデル。うらやましいぞ‼

 

 

長岡の大ちゃん?定年で親方引退。これも寂しい。モンゴリアンチョップ朝青龍関が言うこと聞かずに大変苦労されました。理論派で解説も面白かった。奥さんが元美人モデル。畜生!うらやましいぞ。

 

 

そういえば、土佐の力士で言えば元幕内、テレビジョンワイドショー番組御用達ナンバーワン豊ノ島関も引退済み。奥さんが元ビジュアル系美人歌手。この野郎!うらやましいぞ。

 

 

BBM2016大相撲カード「彩」■レギュラーカード■No.63/豊ノ島大樹/闘う男たち

板垣死すとも自由は死せず < ルイヴィトンと板垣退助 >

 
 
  
 
 

自由は死せず

 

(友人の高知県出身の漫画家が、龍馬と板垣退助について熱く語っている後半、、、、。)
 
「、、、、いくら上士と下士といっても、最低でも、どっかで接点はあったはず。 (龍馬と退助は) 子供の頃は遊び場が一緒だったはずだし。接点がなかったというのが不自然・・・と思う。」 
    ☆              ☆
 
 
明治15年(1882年)、岐阜の演説会場で板垣退助は愛知の小学校教員・相原尚聚に短刀で胸を刺される。この時、板垣退助45歳、相原尚聚25歳であった。

傷を受けながらも古流柔術「備中伝竹内流柔術免許皆伝の板垣は相原を押さえつけて官憲に引き渡す。血まみれの板垣には「板垣死すとも自由は死せず!」と叫ぶ余裕は無かったに違いない。

相原は終身懲役刑に処せられ北海道へ流刑となる。明治22年(1889年)明治憲法公布の特赦にて放免された。相原は上京し板垣を訪ね、涙ながらに謝罪をした。板垣はこれを許したと伝えられている。

しかし、元テロリストの汚名は拭えるべくも無い。相原は失意のうちに故郷を捨て、再び自身の流刑の地・北海道を目指す途中、金華山沖で船から投身自殺を図り32年の生涯を終えた。

相原尚褧に対して、特赦嘆願書を明治天皇に提出したのは、他ならぬ板垣本人であった。自身を殺害しようとした相手を許し天皇に赦免を請う。

維新の功績に贈位を賜ったがこれも恐れ多いと辞退した。家屋敷を売り払い、私財を擲って自由民権運動に身を投じたため晩年は金銭的に困窮した。

金も名誉も捨て仇敵さえも赦す。しかし、自由民権運動の祖として名は残り、百円札にその肖像画が描かれた。

欧州視察に派遣されたが貧乏な為、友人が金を工面しトランクを彼に贈呈した。日本人で板垣退助が初めてヴィトンのトランクを愛用した人物だ。

赤塚不二夫原爆反対漫画『点平とねえちゃん』1960年(昭和35年)


少女漫画家 赤塚不二夫 (単行本)

自分は、池袋で罪もない母と幼子の命を奪った老人ドライバーの事を憎むくせに、広島長崎に原爆を投下し何十万の命を奪った米国を憎む気持ちが薄れかけ、それどころか、かの国の大統領選挙の結果について真剣にテレビ番組を見たりするのはどういう神経だろう。自分は、おかしくなっているのだろうか?

 

何十年たとうと自国民が大勢亡くなった不幸という事実を忘れてはならない。其れは先祖の供養と似たような意味がある。亡くなられた人々を大切に思うことは自分の国の未来や子や孫の幸せを願うことと同じだ。

 

初めに米国を憎む気持ちが、と記したが、不適切な言い方であったかもしれない。憎むべきではないかもしれない。憎んで補償してくれ、元に戻してくれと言い始めたら、国際平和も協調もない。そういうことを言い始めると、その国の未来はないに等しい。

 

ギャグマンガ赤塚不二夫さんの『点平とねえちゃん』という作品がある。少女クラブ(講談社)の1960年8月増刊号に発表されたものだ。この当時は赤塚不二夫さんのことを少女漫画家と呼んでいいだろう。

貧困にめげず生きていく姉弟の何気ない日常生活に明るい笑顔で光を与えてくれた青年「コロッケ兄さん」は子供の時被曝し白血病を発症していた。姉弟の希望の光であったけれどあっという間にその短い生涯を終えてしまった。

ラストシーンは姉弟の涙で終わるが、赤塚不二夫さんは、

「貧しくとも、病気でも、えがおをわすれなかったコロッケにいさんを、順子と点平は、いつまでもわすれることはないでしょう。」

という言葉を添えている。

 

アメリカを憎め、戦争犯罪人を憎めとは言っていない。悲しいけれど不幸にして亡くなった人々の事をいつまでもわすれないことが大切だと教えている。

それこそが私たちにとって大切な平和や幸せを願う心なのかもしれない。

これでいいのだ・・・さよならなのだ

何が何だか男の星座<梶原一騎先生ごめんなさい>

 

満天の星空(快眠・ストレス解消・リラックスタイムに)

夜、ウォーキングに行くのがいや!寒い。息苦しくなる。
中止の日はうれしい。
しかし、だいたい、歩くことになるので天が与えた罰ゲームか、
前世の呪いというふうに考えて諦める。
 
しかし、良いこともある。
 
星がきれいだ。
火星は中天近くで光っている。
昨日あたりから、東の空でオリオン座が見られる。
オリオン座と言っても田舎の映画館の名前ではない。
星座である。

男の星座9

ケンカの聖書(バイブル) 4

 

『男の星座』は梶原一騎
『ケンカの聖書(バイブル)』も梶原一騎
おあとがよろしいようで。

悲劇の核実験とゴジラ漫画


ゴジラ漫画コレクション 1954-58

1954年のアメリカの水爆実験による死の灰で広島長崎に続き、また日本人が犠牲になった事から核兵器の悲惨さを忘れない為に、放射能という恐怖、被曝事故という悲劇を「ゴジラ」という怪獣に託して映画化した。

 

 

杉浦 茂先生も「ゴジラ」という漫画を少年ブックに発表している。自分なりの手法で

水爆実験の放射能の影響を受けた恐怖の大怪獣を描いた。

杉浦茂の摩訶不思議世界 へんなの…

 

赤塚不二夫と石ノ森章太郎と山内ジョージのちょっといい話

二級天使 (石ノ森章太郎デジタル大全)

赤塚先生は石ノ森先生の三つ年上だったけど高校二年生で「二級天使」でデビューした石ノ森さんのことを尊敬して世話を焼いていたらしい。このことは石ノ森さんのアシも勤めた山内ジョージさんが著述している。

 

石ノ森さんが倒れたり、飲み過ぎたり、スランプになったりしたら、介抱したりして面倒をみてたらしい。

石ノ森さんが同郷の山内ジョージが入院した時、わざわざ故郷に見舞っている。石ノ森さんもすごいと思う。お土産にベレー帽を持って励ましに行っている。

 

アシは感激して治ったら必ず先生の所へ行きますと言ったら、同道してた赤塚さんが、来るなと言わんばかりに「きみ、本当に来るの?」と嫌な顔したという。

伝説 トキワ荘の真実

赤塚さんにすれば、その後は石ノ森さん以上の超売れっ子漫画家になるものの、この時はアシとしても、保護者としても自分が石ノ森さんの面倒をすべて見ていたから、厄介な子がまた一人増えるのかと思ったらしい。のちに三人は仲良しでいつも一緒に行動したそうだけど。

そしてその関係は昭和36年石ノ森さんが世界一周旅行に行くまで赤塚さんが超売れっ子になって「おそ松くん」の連載を開始するころまで続いたという。

 

 

目と耳でおぼえるかんじ絵ずかん 1・2年生 学校・大きさ・色・数字にかんするかんじ

青梅の吉川英治、赤塚不二夫、昭和レトロ記念館と名画看板を世界遺産に

 

ベストフィールド創立10周年記念企画 第5弾 ひみつのアッコちゃん DVD-BOX デジタルリマスター版 Part1【想い出のアニメライブラリー 第29集】

学生の君たちへ

青梅へ行ったらついでに見ておいでじゃなくて、青梅へ見に行っておいで。

なんのことか、わからんやろうけど、春になったら、青梅市赤塚不二夫記念館と昭和レトロ記念館と吉川英治記念館を彼女を連れて見に行ってきな。

鉄道員(ぽっぽや) [DVD]

駅に着くと、すぐ昔懐かしい、洋画や邦画の看板ポスターが目に飛び込んでくる。

赤塚先生が若い時映画の看板ポスター画家をしていたというのも関係あるんだろうけど、青梅の有志の企画と行動力は素晴しい。

「うらないは、こりごりザンス」

そしてJRの地下道を上がると赤塚先生の漫画のキャラクターが目に飛び込んでくる。きれいでかわいい。絵が美しい。こんな絵を見たら某国首脳もミサイルも打たないし、亡国の海洋侵略も、某国の暗殺も毒殺も、亡国の侵略も、テロも、誘拐もなくなるに違いない。

 

風と共に去りぬ (字幕版)

 

昭和レトロ館も好きな人にはたまらない。入館料も安い。( こらこら宣伝するな。)

吉川英治記念館は一生の内、個人的には必ず行きたかった場所。赤塚記念館と昭和レトロは駅から歩いて行けるけど、吉川先生記念館はさらにバスで山手を目指す。

それと、秋から冬は閉館する。付近、熊も出たし、積雪もある。

 

吉川 英治 作品全集

 

そういうわけで春になったら彼女を連れて行っておいで。ただし、朝から行くべし。

おいさんは家の人を連れて午後から言ったら、駆け足スケジュールになって、見る暇ないやんかと文句言われた。

 

青梅の三記念館と映画の看板( 町の通りにも何枚も出てる。)と緑の自然と熊を世界遺産にして欲しい。

 

 

これでいいのだ    (赤塚不二夫)

我事において後悔せず (吉川英治)

漫画家寺田ヒロオ


スポーツマン金太郎〔完全版〕 第一章【上】 (マンガショップシリーズ 294)

 

何冊かトキワ荘に関する本やドラマを見ると手塚治虫赤塚不二夫藤子不二雄石森章太郎水野英子、横田徳男という漫画家の先生方の名前が出てくる。そして、神様手塚先生は別格として、兄貴分テラさんこと寺田ヒロオさんの名前が出てくる。他の漫画家さんより年上で人格者で後輩に生活費や家賃を貸してあげたりしていたらしい。

ずいぶん面倒見がよくしたわれていたらしい。

背番号0〔野球少年版前編〕【下】 (マンガショップシリーズ 320)

「背番号0ゼロ」「スポーツマン金太郎」「暗闇五段」なんかをリアルタイムで読めたのは幸せだった。

「暗闇五段」の連載終了後、突然、寺田ヒロオさんが漫画家を辞めたという話を聞いた。

暗闇五段〔完全版〕【上】

後で知ったが、中村八大氏の妹さんと結婚して茅ヶ崎に転居してからは、漫画に関する一切の仕事をしなかった。

もっともっと、作品を読みたかった。

影丸譲也さんの原水爆反対漫画


1960年(昭和35年)「影」41-2号に掲載された「影」という影丸譲也さんの作品。原爆の恐怖をスリラーサスペンスふうに仕上げて読者に訴えている。絵は劇画と漫画の中間。まるっこいかわいらしいタッチ。なぜか「スポーツマン金太郎」 の寺田ヒロオさんの絵を思い出します。個人的感想です。
 
 
 
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石ノ森章太郎さんの海外旅行

 

トキワ荘最後の住人の記録

東京書籍から2011年6月 第一刷発行の「トキワ荘最後の住人の記録ー若き漫画家たちの青春物語ー」という本を読んだ。著者は山内ジョージ(紀之)さん。石ノ森章太郎さんと同郷で三つくらい年下。高校を卒業して石ノ森さんのアシストをした人物。

 

本人の弁によると、「私は三年ばかりトキワ荘で過ごし石ノ森さんのアシスタントをした漫画家予備軍、二軍選手というわけだった。」ということになる。

 

【期間限定生産盤】「サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER」Complete BD-BOX [Blu-ray]

きのう、たまたま、石ノ森章太郎さんの海外旅行のいきさつを「サイボーグ009」の本人あとがきで読んだばかりなんだけど、石ノ森さんのアシだった山内ジョージ(紀之)さんの情報によると以下のようになる。

 

【要約】

①石ノ森さんは突然世界一周旅行に行くと言い出した。

手塚治虫先生でさえまだ海外旅行に行ってなかったのでみんな驚いた。

③旅行資金は全くなく、いくつかの出版社が肩代わりした。

④1ドル360円の時代で観光旅行は許可されず、取材旅行を装って集英社に頼み込んで記者証を発行してもらった。( 作家の三島由紀夫さんもこの手で海外旅行に行った。帰国後、最初に書いた小説が『潮騒』である。)

⑤何より大変だったのは抱えていた仕事にけりをつけることだった。藤子不二雄さんや赤塚不二夫さんに後を託した。

 

☆      ☆

 

石ノ森章太郎さんの話では仕事に関する悩みを払拭するべく、三ヶ月の世界一周旅行に出発した。帰国後に新しいトレンドの作品『サイボーグ009』を発表したとなっている。

実態は、旅行資金も段取りも、ぐだぐたで、当時抱えていた仕事もほっぼり出して海外に行っている。もっとも、そうでもしなければ、売れっ子で超多忙だった石ノ森先生が

世界一周旅行に行くなどということは生涯不可能だったかも知れない。

 

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