2021年03月
ボクの学生生活は終わった。
つげ義春コレクション 鬼面石 / 一刀両断 ちくま文庫 / つげ義春 【文庫】
つげ義春大全も15巻目くらいになると見覚えのあるタッチになってきます。「東京トップ社」という貸本漫画の出版社に描いたものと、いよいよガロに描いた作品が載り始めます。だいたい1964年から1965年の間くらいです。この頃、小さな版元は編集者はいなかったとガロの長井さんの証言が巻末の解説文に載っていましたが、東京トップ社では発行人と編集と著者名が奥付に印刷されています。
東京トップ社から出版された作品にはつげさんのタッチが、永島慎二さんやさいとう・たかをさんに似ていることに気づきます。ガロに掲載し始めた頃は完全につげさんのタッチが確立されてきめ細かい絵になります。忍者もの、時代物が多くなります。
同時に宮本武蔵ものが増えてきます。定番の巌流島とか、吉川英治の武蔵ものとは全く異なる切り口で大いに楽しめます。武蔵本人がなかなか出てきません。武蔵の噂、武蔵の偽物、武蔵の刀などにまつわるオムニバスで、たまに武蔵本人が登場すると、とんでもないならず者のように描かれています。しかし、その焦点はまっすぐ人間武蔵の内面を見つめています。
菊池寛、直木三十五、吉川英治の三人の作家による宮本武蔵論争でいうと、つげさんは武蔵は、菊池寛の言うような最強の剣豪でもないし、直木三十五が貶すほどの卑怯者でもないし、ましてや吉川英治の描くような聖人君子ではない。人間武蔵の生きざまを武蔵を登場させずにその時々の作品中に描き切っています。曰く。武蔵は強かった。非情だった。打算的だった。誠実だった。時に人間的だった。など等。
もちろん、つげさんは若い時から時代物、武蔵ものを描いていますから、この時代で登場人物の内面描写に踏み込んだということは、つげさん自身の心境に変化があったのかも知れません。そしてこの時期を乗り越えてつげさんの代表作と言われる作品が登場します。
つげ義春大全15巻を越えてますます面白くなってきた。
貧困旅行記新版 (新潮文庫) [ つげ義春 ]
つげさんの貸本時代の漫画が雑誌より面白い。
やはり自由に作品を作れたことが好影響を及ぼしたと思う。
その貸本作品何篇かの盗作疑惑がある。ストーリーや描き方などを他の作品から模倣しているというものです。
ボクが「あッ!そっくりだ。」と思ったのは1956年(昭和31年)若木書房「生きていた幽霊」84頁のシーン。
この場面は貧乏な漫画家の青年が金を盗もうと決断して富豪の小説家の家の階段を昇るところ。
ある大漫画家の金貸し老婆殺人事件と酷似.。
ドストエフスキーの『罪と罰』を戦後、大手塚が漫画に仕立てたものに絵がそっくりだと思いました。
戦後の貸本漫画ブームの数年間は作家が不足して盗作模倣パクリは当たり前に横行していたらしいです。
でも貧乏な貸本作家たちは最低でも一か月に一冊の漫画制作のノルマを果たさなければ生活が立ち行かなかったらしい。
で、上記の階段のシーンを盗作と言うのは正しくないと思う。
これを盗作模倣と言うなら漫画、アニメ、小説、映画、TVドラマは殆どパクリばかりと言う理屈になる。
一方、つげさん本人は「生活のためにこども向けの玩具を作る様にして漫画を描いていた。」とも語っているし、一方で、
「とにもかくにも読まれなければ(売れなければ)読者には喜ばれない。」と語っている。
大白土の名作「忍者武芸帳・影丸伝」に似せて「忍者秘帖」を描いたのも家族の生活を支えるためと言うふうに言う。
もう一つ、金のかかる若い女性と同棲した時、雑誌に「忍者くん」という大白土三平の「サスケ」のキャラクターとうり二つの
主人公の登場する野球漫画を描いたがやめたくて仕方なかったらしい。完全に生活に追われて描いた作品らしい。
ボクは面白かったけど。
蛇足ながら、大手塚治虫の「漫画家は漫画から漫画を学んではいけない。」と言う言葉は、単に盗作はだめといっているのではなく、「あれ、どこかで見たな。」と読者に思われるような漫画はやがて淘汰されるよと言う意味だろう。
つげさんは豪放磊落で行動的進歩的剣の達人ながら戦争を憎む龍馬像を描き上げています。
今のボクからすると定着した坂本龍馬のイメージでありますが、しかし❢高野慎三さんは「今日、我々がイメージするところの龍馬像は司馬遼太郎さんの名作『龍馬がゆく』によって固定されたものであり、産経新聞に連載されるはるか前に歴史の表舞台では振り返って見られることのなかった龍馬像をどのようにしてイメージしたのだろう。」と書いています。
今のボクからすると定着した坂本龍馬のイメージでありますが、しかし❢高野慎三さんは「今日、我々がイメージするところの龍馬像は司馬遼太郎さんの名作『龍馬がゆく』によって固定されたものであり、産経新聞に連載されるはるか前に歴史の表舞台では振り返って見られることのなかった龍馬像をどのようにしてイメージしたのだろう。」と書いています。
確かに自由民権運動の時、「土洋新聞」に板垣退助が「千里の駒」で龍馬の生涯について書かせたり、明治皇后様の夢枕に立った白装束の武士について同じく板垣退助が「それは坂本龍馬直柔と言う勤王の志士です。」と奏上して以来は、昭和36年6月『龍馬が行く』の連載開始まで多くの日本人が名前すら知らなかった事実があります。
そして、つげさんは龍馬暗殺の謎にも踏み込んだ描写をしています。
つげ義春が優れたストーリーテラーである所以だと思います。
忍者武芸帳 影丸伝(13) [ 白土 三平 ]
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引き続き、つげさんの本を読んでいます。だんだん面白くなってきた。食傷気味と言ったのを取り消します。解説文は貸本漫画の研究家の高野慎三さんがつげさんにインタビューをした内容が元になっています。高野慎三さんは、その道の超有名な人らしいですが、ボクはガロ系の人に疎いのですみません。
繰り返し出てくる言葉は「生活のために一人でできる仕事として漫画を選んだ。」「家族の生活を支えるために一か月に一冊のペースで130ページから150ページの貸本漫画を描いた。」と言う表現です。
貸本漫画はテーマもタイトルもセリフも何から何まで自由にやらせてくれたと語っています。楽しみながら描いています。それに比べて雑誌の漫画は不自由でとこぼしています。編集者がつきっきりで絵もストーリーもセリフも細かい部分まで一々修正を求められて嫌になったらしい。そのため、一時期雑誌の仕事を辞めて貸本漫画に特化しています。
有名な『忍者秘帖』は、白土三平さんの『忍者武芸帳』人気にあやかろうとタッチを真似したとつげさんは語っていますが、クォリティーの高さは凄いと思います。ストーリーもつげさんのオリジナルでいろんなアイディアや取材もされていてボクは『忍者秘帖』は決して『忍者武芸帳』の二番煎じなんかじゃないと思います。
それから、デビュー後つげさんはトキワ荘に大手塚治虫を訪ねています。やはり戦後の漫画家劇画家は大手塚の影響を受けています。同い年の永島慎二さんとは仲が良かったそうです。
今回読んだ『忍者秘帖』の巻末に昭和36年当時の若木書房の新刊の広告が載っていました。
『泉』1月号に、わたなべまさこ
『ゆめ』1月号に、木内千鶴子(*)
『ひまわりブック』に、横山まさみち、武田京子 各先生の名前が見られます。
各巻A5判176頁 定価150円 発行人北村二郎(この人が若木書房の創立者?)となっています。
非常に興味深いです。
若木書房とひばり書房は、貸本屋ばかりでなく、新刊本の書店にも本を出していたようです。
米価換算で現在の価格にすると1000円から1200円くらいかなと思います。
木内千鶴子(*)ボクの故郷の町の出身の先生。うちのせがれが幼児の頃、公園で絵を描いていたら「絵のうまいおばあちゃんが絵の描き方を教えてくれた。」と言ってました。この人が木内千鶴子さんでした。大手塚に憧れ上京し漫画家になった。後に結婚、故郷に帰り女子大の教授になった。ボクは姉の「マーガレット」で木内さんの母子ものやバレーものを読んでいた記憶があります。
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