2021年04月

大漫画家からの返信メール



週刊誌の編集をやったことがないので詳しいことは分かりません。ですから、以下は私の想像です。漫画家から聞いた話と、知り合いから聞いた週刊誌の事情を元に、類推したものです。正しいかどうかは判りません。

週刊誌の連載は大変で、どの漫画家もギリギリの状態でこなしています。アシも大変で、スケジュールはガチガチ。合併号が出せたからといって、一週間たっぷり休めるということにはならないのです。ましてや合併号の出る時は前倒しで原稿を上げなければならず(お盆進行、年末進行)、その負担は普段以上で披露困憊です。応援にアシを雇う漫画家は少なくありません。そこで制作のペースを崩すこともあります。漫画家からすると「合併号は迷惑なだけ」なのです。

合併号の次の号の話がつまらなくなるというのは、待たされた分その漫画への期待が大きくて、再開された話がつまらなく思えてしまった…ということではないかと。心理的要因が大きかったのでは。そんな気がします。読者にとって二週間待つのは辛いですもんね。
絵のクオリティが落ちたのはたまたまで、筆の達者なアシが抜けていたとか、そういう理由があったのかも。

鉄人の話は、おそらく御大の推理通りだと。アシの方が描くというのは考えられませんから。

で、この影丸バッジ、私も持っていました。サンデーに申し込んで手に入れました。懐かしいなぁ。実家に残っているかも。

白土三平先生は山川惣治さんの孫弟子?

〈「少年ケニヤ」の山川惣治〉ジャングル大帝・仮面ライダー〜カムイ伝、、、、手塚治虫・石森章太郎・ちばてつや・横山光輝・梶原一騎・辻なおき・白土三平等々すべての漫画家に影響を与えた伝説の絵本画家  




昭和36年(1961)5月に「日本教育テレビ」(後のNETテレビ→テレビ朝日)が山川惣治原作「少年ケニヤ」を実写ドラマ化を皮切りに、テレビ放送を開始した。時に、山川惣治51歳である。

山川惣治―「少年王者」「少年ケニヤ」の絵物語作家 (らんぷの本)

戦前戦後と運命に翻弄され続け、苦労を重ねた紙芝居作家の作品が、実写ドラマ版とは言えテレビの電波に乗って日本中の茶の間に届いた記念すべき瞬間であった。 山川惣治明治41年2月28日、福島県生まれの紙芝居作者、絵物語作家でる。
少年ケニヤ」は昭和26年より産業経済新聞で連載が始まった。 「少年ケニヤ」のテレビ放送時、筆者は小学校一年生であった。テレビドラマ化したことがあまりにも嬉しくて、ブラウン管の前で飛び上がった記憶がある。
実はそれより以前、5歳の頃の筆者は、貸本屋絵物語少年ケニヤ」を見てどうしても欲しくなった。貸本は当時一冊5円で1日借りる事ができた。翌日には、返却する決まりだ。ところがその本だけはどうしても自分の家に置きたかった。親にねだって貸本屋の親爺から3冊30円で買い取ってもらった。
その時、筆者はまだ字が読めない。しかし、絵を見るだけで十分ストーリーが理解できた。本の表紙には紅顔の美少年、金髪で豹の毛皮を身にまとった美少女、恐竜、大蛇、アフリカのサバンナが描かれていた。写真かと見紛うほどの描写力で人物も動物もアフリカの自然も生き生きと、かつ美しく描かれていた。
筆者は、山川惣治はアフリカ、ケニヤの住人なのだと思っていた。あに図らんや、取材で初めて山川惣治がアフリカの大地に立ったのは昭和55年72歳の時であった。


山川惣治は平成4年に84歳で亡くなるまで絵筆を握った。その生涯で少なくとも日本を代表する七人の漫画作家に影響を与えている。この7人は「漫画の神様」「巨匠」「大家」「名人」「カリスマ」「巨星」「奇才」等と呼ばれている。


まず、神様・手塚治虫の「ジャングル大帝(1950)」である。これは、山川惣治の「少年タイガー」(1933)及び「少年王者」(1947)の影響を受けたものと思われる。アフリカの奥地で動物達と共存しながら悪と戦う。主人公が人間の少年から白いライオンの子に変わったと言う点を除けばプロットはそっくり。


巨匠・石森章太郎仮面ライダー」(1971)は、「虎の人」(1949)の人造人間と言う設定がそっくり。


大家・辻なおきタイガーマスク」(1972)も、「虎の人」。これはタイガーマスクと虎の人絵がまったく同じ。瓜二つ。
 


名人・ちばてつや紫電改のタカ」(1963)は、「ノモンハンの若鷲」(1939)だ。戦記物なので似るのはやむを得ずだが思想的には真逆のところが救われる気がする。


カリスマ・横山光輝「バビル二世」(1971)のしもべ「ロデム」。普段は黒豹の形をした変身生物だが、これは「少年王者」(1947)の主人公の親友・黒豹「ケルク」だ。「しもべ」と「親友」。呼称は違っても、常に主人公に寄り添い従い危機を救うと言う役どころも一致。

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【みんなよく知ってると思うけど、ボクが言う必要ないけど、「死神酋長アントニオ」役は猪木寛至さん】

 

 

巨星・梶原一騎。「チャンピオン太」(1964)の必殺技「ノックアウトQ」という名称。これに関しては、彼は正直だ。梶原は山川惣治先生のボクシング絵物語「ノックアウトQ」(1949)が大好きで、そのまま名前をパクったことをカミングアウトしている。


また、「ノックアウトQ」に出合わなかったら自分は高森朝雄として「あしたのジョー」を書いていないと断言している。ひょっとすると辻なおきに「タイガーマスク山川惣治の『虎の人』の通りに描くよう」に要請ぐらいしたのかも知れない。

カムイ伝 9(鬼相の巻) (ゴールデン・コミックス)

最後は奇才・白土三平カムイ伝」(1964)だ。白土三平山川惣治のどの作品からも画風、思想とも影響されていない。しかし、白土に紙芝居の描き方を伝授した金野新一は山川惣治の愛弟子である。つまり、白土は山川の孫弟子に当たる。山川がいなければ白土の名作「カムイ伝」はこの世に存在しなかったかも知れない。
 
以上は実在の人物と作品であるが似ている、瓜二つ、そっくり、パクった等と言うのは、あくまで筆者の感じ方である。ご容赦いただきたい。
また、この他にも影響を受けた大漫画家がたくさんいると思う。ご存知の方は、ご教示いただければ幸いである。

庭木



画伯の故郷では、悪童がその実をすりつぶして川に流して魚を採るというエゴノキの葉っぱがさらに大きくなりました。ほんとは鮮やかな緑色なのに青いと言ってしまう。

最近3年くらいは、山も川も行ってないので庭の木で季節を計るようになりました。

もっと暖かくなるとシマトネリコの木陰でビールを飲むのが旨くなります。

真夏はシラカシの木に朝から昼まで蝉が止まって鳴き続けます。

そういういなか暮らしを3、4年過ごして飽きて来ました。

コロナが収束したらまた上京してお茶の水で飲みましょう。

では、また。

純烈・友井雄亮ふたたび






東京七月明治座講演に友井雄亮くんを呼びたいとリーダー酒井君が言っていた。
そういうことなら大賛成だ。

友井君の過去の事件はもうファンは誰も問わない。
ただ、彼の才能を惜しむ。第一回目の紅白までの一番輝いていた頃の純烈をもう一度見たい。
それだけだ。

なかには友井君がテレビで活躍しているのを見たくない人もいるだろう。
だけど逆に、彼のステージをもう一度見たい人もたくさんいる。

ボクも見たい。できることなら、劇場やライブハウスだけでもカムバックして欲しい。
ファンのそういう願いがあることも事務所やレコード会社、文春、テレビ局などは知って欲しい。

何でもかんでも一方的に攻撃して追求して追放するようなことが日本であってはいけない。
そういうのは民度の低い後進国か、専制国家か、共産主義国家だけでたくさんだ。







墓荒らし 事件【上】 <見えない犯人と闘う>

八つ墓村





数年前に実際にボクの身に起こった奇妙な事件について書き記す。

父の葬儀後一か月経過した頃、月命日に墓参した。
花を新しいのに取り替えようと思い県外の自宅から田舎の父の墓を訪れた。

ボクの目に変わり果てた父の墓の光景が飛び込んできた。
誰がしたのか?花指しに無造作に汚い造花が左右一対、差し込まれていた。墓の前にはいかにも雑な感じでセメントが流しこまれ、通路を覆っていた。あろうことか、余ったセメントを隣の家の墓の敷地に捨ててあった。

誰がこんなことをやったのだ⁉ボクは驚いた。がすぐに怒りがこみ上げてきた。そしてこんなことをした犯人の意図に恐怖した。お人好しだった父が他人の恨みを買うようなことはあるはずがない。なんとも言いようのない悲しみに襲われた。


しかし、呆然としている暇はなかった。すぐにでも犯人を見つけ出さねばならない。絶対に責任を取らせなければならない。ボクには驚いたり怒ったり悲しんだり恐怖している暇はなかった。

ただちに証拠と目撃者を探そうとした。現場には証拠らしいものは何も残されていなかった。目撃者と言ってもそうは簡単には見つけられるものではない。

ひとつの方法として、立て看板を立てて〇年〇月から〇年×月までの間に墓荒らしを目撃した人はご連絡くださいというふうに表示することを思い付いた。あるいは直接犯人に対し、こういうことをされて迷惑していますから名乗り出てくださいと書くかだ。

しかし、犯人が相当な恨みがあってやったことなら、立て看板なぞ何の効果もないだろう。へし折られて終わるだけだ。立て看板のプランは挫折した。



なんとか犯人の手がかりを得ようと、ボクは各所に連絡をした。

まず、〇亀警察署ド田舎交番。墓荒らしはれっきとした犯罪だから警察に通報するのは当然だ。ボクの家以外の墓も被害に遭う可能性だってある。
しかし、日本で一番レベルの低い県警の、さらに県内で一番無能と言われている〇亀警察署は何の反応もしなかった。ボクが電話しても事件に対しての質問すらせず、

「ああ、そう。ハイハイ。一応聞いておくからな。」

と答えた。ボクはこの時の警官のこえと名前は今でも覚えている。恨んでいる。


この警察署はここ数年、身内から犯罪者を出してはもみ消している。恐喝、痴漢、交通犯罪者、それらの事件をことごとく隠ぺいした結果、テレビ局や新聞社に通報され、叩かれている。

いっそのこと解散して隣の県警に吸収合併してもらえばと思う。およそ、正義と言う言葉が似つかわしくない無知無能の税金泥棒集団である。


村役場にも連絡した。この墓地は村営の共同墓地である。だから、村の公営物が破壊されたわけである。すぐに村役場の総務課長が飛んできた。墓の周りをぐるぐる回って、うちの家の他にも被害はないか点検した。さすがにやることだけはやってくれる。この点、捜査もしない現場にも来ないバカ県警〇亀警察署よりは随分ましだ。しかし、総務課長の奥歯にものの引っかかったような言葉は気になった。

ボクが公物損壊で行政から捜査や告発はしてもらえないですか?と言ったらすぐさま断わられた。なぜ⁉と聞くと、もめごとは困る、、と言って迷惑そうな顔をした。



最後に、ひと月前の父の葬儀に来てくれた人や手伝ってくれた人に順番に連絡した。葬儀屋、墓石屋、僧侶、親戚、寄り合い(町内会)何人かは現場に飛んできて、酷いことをする、罰当たりが‼誰の仕業か見つけたらただでは置かんぞ等と憤って見せてくれた。



三日ほどボクは父の家に滞在しててがかりをつかもうとした。しかし、進展なく時間は過ぎて行った。姿の見えない犯人。だれが何のためにやったのだ。恨みか?嫌がらせか?ボクは不安にかられ、ひどく陰鬱な気持ちのまま三日間を過ごした。

あきらめて父の家を辞し、いったん県外の自宅に戻った。

帰宅した翌日、一本の電話から事態は急展開する。