2021年09月

荒木一郎さんのエピソード ②< 君に捧げるほろ苦いブルース >


君に捧げるほろ苦いブルース

これは荒木さんの「まわり舞台の上で」に書かれていたエピソードで描くのを辞めようかと思ったくらい詰まらない話。

アリスのファンが荒木一郎さんの所に電話をかけてきたと言う。抗議の電話だと言う。

 

「あなたはアリスの『帰らざる日々』の歌詞とメロディーの一部を盗作しましたね?」と言う。

「へっ?」

荒木さん、何のことか分からない。まったく身に覚えがない。

わけわからない状態でいると、アリスのファンのクレイマーは、荒木さんの『君に捧げるほろ苦いブルース』の歌詞とメロディーがアリスの『帰らざる日々』にそっくりだと言う。

帰らざる日々―誰も知らないAlice (角川文庫 緑 472-51)

 

 

荒木さんは変だなあと思う。

そもそも荒木さんの楽曲はアメリカのモダンジャズのイメージを切り取ったような感じの曲がほとんどで日本の歌手や楽曲から影響されたことはない。

 

昨今はミュージシャンどうしでinspireされたとかいうのが大はやりだけど、そういう影響とか感化されたこともないので全く分からない。

 

「別に真似して作ったわけでもないけど、そんなに言うなら、制作番号とかさ調べてみたら。」

と言ったらアリスファンのクレイマーは大人しくなって電話を切った。

 

 

ボクも気になって制作年月日を調べたらリリースされた日が分かった。

荒木一郎さんの『君に捧げるほろ苦いブルース』1975/9/1

アリスの『帰らざる日々』1976/4/5

ミッドナイト・ブルース

両方の曲を聴いてみた。

盗作とか、パクったとか、第三者が言うほどの事はない。

 

逆にファンを装って一方のミュージシャンに電話して抗議をする方がおかしい。

贔屓の引き倒しでアリスにだって失礼な話だ。

 

第一、七ヶ月も後からリリースされた楽曲をどうやったら盗作できるのか?

 

どちらのファンかどうかそんなことは置いといて視聴した人が、

「アリスの『帰らざる日々』って、去年リリースされた荒木一郎の『君に捧げるほろ苦いブルース』にちょっと似てるよね。」

「あっそういえばそうだね、」

というのなら理解できる。

 

こんなクレーマーは願い下げだ。ファンを名乗って欲しくない。

 


荒木一郎 3大 エピソード ①いとしのマックス


いとしのマックス

 

 

荒木さんは秋田いぬを飼っていた。名前をマックと言う。個人的にバンドも持っていた。高校時代から始めたモダンジャズのバンドを進化させ、その後メンバーの交替もあったがデビューさせるところまでは実力がつかない。

荒木さんは俳優として高校生の時から稼いでいたのでバンドの資金は荒木さんのテレビドラマのギャラなどでまかなっていたらしい。

 

一方、東海ラジオだかのDJ番組が大人気で其のテーマ曲をシングルでレコードにしたら60万枚の大ヒット。紅白歌合戦にも出る。「空に星があるように」がそれだ。

いとしのマックス

 

ビクターレコードから誘われ次の企画が始まる。

自宅で自分のバンドのメンバーを集めて練習していたら曲のさびのところで愛犬マックがかならず吠える。

うるさいマック!

叱りつけてもう一度演奏し、歌い始める。さびでまた愛犬が吠える。

うるさいマック!

そのままデモテープを聞いたビクターのディレクターが、荒木さん、「マック!マック!」って叫んでるけど、タイトルは「いとしのマック」じゃゴロが悪いから「いとしのマックス」にしてしまいましょう、と決めてしまった。

ディレクターは荒木さんが歌うんでしょと言う。

 

この辺に意思の疎通の齟齬があって荒木さんはバンドの為に作って彼らのデビュー曲にしたかった。ビクターのディレクターは廊下に土下座してお願いする。荒木さんが歌うとまたミリオン狙いとなるからどうしてもと。

無名のバンドが歌っても金にはならない。

 

「いやだよ。なんで俺が『ゴー!』なんて歌うんだよ。こいつらの曲なんだ。」

ディレクターは泣き落としでとうとう荒木さんは自分で歌うことを了承する。

ゴーの部分を荒木さんが虚無的に、脱力して歌っているように聞こえるのもそのせいか。

吉田正自撰77曲(上)

でビクターのレコーディングが始まると、ビクター専属の大作曲家吉田正門下の楽隊のチームがいて愛しのマックスがタンゴ調歌謡曲になってしまう。

怒って荒木さん一度だけ録音して一発でOK出して弦楽チームもアレンジャーもお疲れさんと言って全員返してしまう。

 

後はリズム隊と自分のバンドのメンバーと荒木さんで録音したのが「いとしのマックス」。

 

簡単な曲と思っている人が多いけど荒木さんの曲の特集をやったミュージシャンが、荒木さんはあんなに難しい歌をあんなに易しく歌っているのかとびっくりしたと言う。

 

そのはずで元々荒木さんは英語で歌詞をつけて原曲を作った。あとから日本語に変えようとするとシンコペーションが強すぎて替えられない。

曲に会う日本語がない。

「桑田佳祐スペシャル」

桑田佳祐さんの歌い方は日本語を英語の様に歌っているけれどあれもシンコペーションの問題で、元々は英語で構成されたんだろうと荒木さんは言っています。あといとしのマックスを聞いた時大橋巨泉さんが日本で初めてminor7の曲を荒木が作ったと語っただとか、この辺は音楽にド素人のボクには辛いのでカットします。

 

ジャズ・ヴォーカル名盤100 (講談社プラスアルファ文庫)

そういう話が延々と出てきます。

次はチンペイが荒木さんの楽曲を盗作した話か、

恋人の大女優の話です。

谷村新司 ベスト

大原麗子メモリー ずっと好きでいて

親友の漫画家からの最後のメール 

昔、一人の中学生がギャグ漫画家に弟子入りするために家出同然でスーツケースに石ノ森先生のマンガ家入門を忍ばせて上京しました。その漫画家の先生は最低でも高校を卒業してから出直して来なさいと言いました。高校卒業後、彼は親を安心させるために大学に入学して授業はたまに出て下宿で漫画ばかり描いていました。そんな時ボクは彼と出会いました。付き合いは50年以上になりますが彼は今春亡くなりました。まだボクは気持ちの整理がついていませんが彼が送って来た最後のメールを読み返しています

 

石ノ森章太郎のマンガ家入門 (秋田文庫)

昨年末は大晦日まで入院していました。新規の抗癌剤治療に対応するための一泊の処置入院の予定が、私の体調の悪化で、一週間も延びてしまったのです。
体調は最悪です。あ、もうダメかも…と思うことが度々になってきました。こうやって人は死を迎えるんだなぁ…などとぼんやり考えます。


病状について医者からは説明されていません。普通なら「延命処置に移行しますか?」なんて訊かれる頃なのでは…と思うのですが。さて、私の命はあとどのくらい持つのでしょうか?
明日からは入院してまた新しい抗癌剤治療です。まだ助かる可能性があるのかな? そうとは思えませんが、信じるしかありません。私のために頑張ってくれている人達がいるのに、私が諦めてはいけないと…。
支えてくれている人達には本当に感謝しかありません。その気持ちに少しでも応えられるように、まだまだ諦めずに踏ん張ります。


それにしても痛いです。モルヒネが効かなくなっています。1ヶ月前の6倍の量を飲んでいるのに、最早その量では苦痛を抑え切れません。


もうダメかな…。そんな言葉が何度も頭を過りました。本能みたいなものでしょうか。
もう少しで返メも打てなくなるような気がします。メールを読むこともできなくなると…。
もちろん自分としては回復を願っています。「ごめん。死に損なっちゃった」というメールが打てることを心底願っています。
でも、ここで何らかのメッセージを残しておかないと、このままお別れになってしまうかも…という不安があるのです。ごめんなさい。そうなることは嫌です。あまりにも不義理でしょう。
だから、区切りとしての私なりのお礼の言葉を御大に残しておきます。


御大、ずっとありがとう。
一緒に長生きの約束は果たせませんでした。申し訳ありません。


これからも御大節を聴かせて欲しいです。スピリッツを全国津々浦々に届けたいですね。


快復すれば、このメールは笑い話。うん、そうなるように努めます。

荒木一郎の世界⑨ <生前の松田優作と最後に、、、>

<生前の松田優作と最後に会った【Amazon.co.jp限定】YUSAKU MATSUDA 1978-1987 MEMORIAL EDITION [生産限定盤] [UHQCD + CD + DVD] (Amazon.co.jp限定特典 : メガジャケ 付)

『まわり舞台の上で』は第七章で松田優作さんについて述べている。

 

死んじゃう少し前、最後に会ったのが下北沢

荒木さんはキャデラックを運転していた

路地に入ったところでタクシーと遭遇した

タクシーの運転手が下手で対向できずもたもたしている

短気な荒木さんは「バカヤロー‼」と怒鳴る

 

タクシーの後部座席から

「荒木さん荒木さん!」と声がかかる

「優作です。優作です!」

 

 

YOKOHAMA HONKY TONK BLUES

なんとなくは分かるんだけど優作は俺の事を多分、好きでいてくれたんだと思う。

どんな時でも会うと、もうほんとに「荒木さん!」って走って来るんだよね。そういうのが、すごく印象があるよ。

 

荒木一郎さんにも松田優作さんにもアウトロー的な演技に魅力を感じるファンは多いと思う。松田優作さんは生前、芸能界の先輩で自分と同じような匂いのする俳優の荒木一郎さんに憧れていたようだ。

会うと必ず笑顔で「荒木さん!」と言って駆け寄ってくる。

 

寡黙で男らしさを売りにしていた俳優松田優作も、本当は心の中でアニキのような荒木一郎さんの優しさに憧れていたのだろう。

今夜は踊ろう

荒木一郎さん『空に星があるように』誕生秘話



荒木一郎さんには、高校の時から長く付き合っていた相手がいたのだが、別れてしまう。その後、「酷いふり方をしたな。」と思った荒木さんが、自分の振った相手の気持になって作ったのが『空に星があるように』だと荒木さんは語っている。「まわり舞台の上で」のP83辺りに書かれているが、
ボクが何かで読んだ話では、二人は高校生どうしながら半同棲生活を送っていたらしい。
荒木さんはこの頃NHKの『バス通り裏』にも出演していた。これは録画でなくぶっつけ本番で放送していたというから凄い。
加えてモダンジャズのバンドを持っていたらしい。


彼女とは別れるが何年後かに再会して思い出話をしている。荒木さんに優しさがあるからゆえに別れた人に恨まれることもなく、良い思い出として話ができるのだろう。




『空に星が あるように』 
 歌・作詞作曲・荒木一郎


 
空に星が あるように
浜辺に砂が あるように
ボクの心に たった一つの
小さな夢が ありました

風が東に 吹くように
川が流れて 行くように
時の流れに たった一つの
小さな夢は 消えました

淋しく 淋しく 星を見つめ
ひとりで ひとりで 涙にぬれる
何もかも すべては
終わってしまったけれど
何もかも まわりは
消えてしまったけれど

春に小雨が 降るように
秋に枯葉が 散るように
それは誰にも あるような
ただの季節の かわりめの頃

荒木一郎の世界<八日目・小説『ありんこアフター・ダーク』をめぐる現実の事件>


ありんこアフター・ダークの修羅場

ありんこアフター・ダーク (小学館文庫)

ありんこアフター・ダーク

荒木一郎さんのありんこアフター・ダークに登場するヒロインのモデルは荒木さんの友人たちや青学の付属に通っていた人たちなら、誰でも知っている女性だとか。その女性のだんなさんがこの小説を読んでそのヒロイン(つまり自分の奥さん)の小説内のエピソードを事実だと信じ込んで、大変の修羅場になったらしい。友人や同級生たちが「あれは小説だから。」と必死になって説得したが、旦那さんは奥さんを許せないと怒ったそうだ。荒木さんも罪なことをしたと、別の著作で後悔していたが、気の毒としか言いようがない。胸が痛む。

野坂昭如と荒木一郎・昭和のヒーローたち


「星に唄おう」 空に星があるように (番組テーマ)

YouTube荒木一郎さんのライブの様子を見ている。ほんとは15000円出して荒木さんのライブの完全収録版DVD(メイキングビデオ付き)が欲しいのだが、我慢している。妻が横から覗いて、野坂昭如⁉いつまでも若いわね、と言う。
そんなわけないだろう。荒木一郎だよ。野坂先生はノーリターンだし。
えっ⁉この人が荒木一郎なの。志村けんにも少し似ているわね。
と、めちゃくちゃなことを言う。

絶唱!野坂昭如~マリリン・モンロー・ノー・リターン [紙ジャケット仕様]


妻は、野坂先生の本も読んでいないのになぜ名前を知っているかと言うと、歌手としての野坂さんをテレビで見たことがあるという。荒木一郎については知識がなかった。両者を見間違うこと自体がとんでもないことで、ボクらの年代ならまず、そんな間違いはしない。第一、野坂先生はもう、鬼籍に入っている。

さて、両者は交流があったかと言うと、あったらしい。野坂さんが、一方的に荒木さんのファンだったらしい。顔を合わせると何かにつけ、荒木さんのそばに来て、「かっこいいなあ。君は、かっこいいなあ。」と言って憧れの目で見ていたそうだ。
あと、勝新太郎さんと、立川談志さんと、松田優作さんは、荒木一郎さんの大ファンだったようだ。勝さんは干されていた時代の荒木さんに仕事の世話をし、立川さんは不遇な時代の荒木さんの精神的支柱となり、松田さんは荒木さんの演技指導を受けたのち、荒木さんを尊敬していたらしい。
渋谷の裏通りで荒木さんがリンカーン・コンチネンタルかなんかを運転していたら、へたくそなタクシーと対向して身動きできなくなった。荒木さんがかっとして「馬鹿野郎‼」と怒鳴ったら、タクシーに乗っていたのが松田優作さんでうれしそうにタクシーから飛び降りて、「荒木さん‼」といって駆け寄って来たという。

野坂昭如勝新太郎立川談志松田優作みんな旅立ってしまった。昭和のヒーローたち、、、。

【Amazon.co.jp限定】YUSAKU MATSUDA 1978-1987 MEMORIAL EDITION [生産限定盤] [UHQCD + CD + DVD] (Amazon.co.jp限定特典 : メガジャケ 付)


荒木一郎の世界<六日目の①>

荒木一郎の世界を読み解く

まわり舞台の上で 荒木一郎

文遊社刊「まわり舞台の上で」と、小学館文庫の「ありんこアフター・ダーク」を比較して読み合わせている。前者はインタビュー本で、後者は自伝風小説である。
ボクの知りたいのは昭和40年前後の日本や東京の世相や風景である。そのころ、青春時代を過ごした人々が今、後期高齢者などと呼ばれ始めている。人は誰しも老いる。そして死んで行く。だから、生きているうちは後悔の無いように頑張って生きたい。老いたからと言って悔いることはない。一生青春だとか無理な見栄を張る必要もない。自然体で力を抜いて自分らしさを失わなければいい。しかし、老いは誰にでもやってくる。同じように青春も誰もが経験することである。
いま、73歳の荒木一郎さんの青春の日々をこの自伝小説を読むことによって知ることができる。

ありんこアフター・ダーク (小学館文庫)



『大学なんかに行かずにさ、バンドをやっていきたいんだ。』
   ~「ありんこアフター・ダーク」の帯より

〈十八歳から二十歳まで、私は、ダンモのバンドを持ち、タイコを叩いていた。街には、チンピラのヤクザが溢れていたが、私たちは、それとは違う意味の不良だった。私は、いつか小説を書こうと思った。その路地裏で起こったいくつもの出来事、いくつもの青春をジャズの音にのせて書いてやろうと思った〉
   ~「ありんこアフター・ダーク」のあとがきより

荒木一郎の全て<四日目①>

再び荒木一郎さんについて〈昭和のヒーローたち〉


野口五郎 35th anniversary LIVE

YouTubeで、子供の頃の野口五郎さんが荒木一郎さんの「今夜は踊ろう」をエレキギターを弾きながら歌っている映像を見た。白黒の映像で一瞬だったが、あれはたぶん、インスタントラーメンのメーカーのエースコックかどこかが提供していた物真似の歌番組だと思う。

うちのは野口五郎は知っているが、荒木一郎を知らない。坂上二郎や鈴木一郎を知っていて荒木一郎を知らないのはどういうことだ。当然、荒木道子は知らない。ナショナルキッド大鵬も知らない。恐怖のミイラも怪傑ハリマオも知らない。力道山は知っている。が、リアルタイムでは見ていないと言う。

ゴールデン☆ベスト 荒木一郎の世界+12



まあ、いい。知らないものは仕方ない。そこで、荒木一郎さんの「愛しのマックス」、「空に星があるように」、「今夜は踊ろう」を歌ってやった。いや、ボクは音痴だから無理矢理聞かせた。それがいけなかった。


「最後の歌は知ってる。こないだ燃えたヨットのオーナー‼」

それは、加山雄三だろって‼

 

加山雄三ベスト40

荒木一のすべて④四日目のエピソード

荒木一郎の世界(1)涙の風景~空に星があるように



ボクがおもったこと〈荒木一郎さんの本を読んで〉

文遊社刊「まわり舞台の上で」と、小学館文庫の「ありんこアフター・ダーク」を比較して読み合わせている。前者はインタビュー本で、後者は自伝風小説である。

ボクの知りたいのは昭和40年前後の日本や東京の世相や風景である。そのころ、青春時代を過ごした人々が今、後期高齢者などと呼ばれ始めている。人は誰しも老いる。そして死んで行く。だから、生きているうちは後悔の無いように頑張って生きたい。老いたからと言って悔いることはない。一生青春だとか無理な見栄を張る必要もない。自然体で力を抜いて自分らしさを失わなければいい。しかし、老いは誰にでもやってくる。同じように青春も誰もが経験することである。
いま、73歳の荒木一郎さんの青春の日々をこの自伝小説を読むことによって知ることができる。

『大学なんかに行かずにさ、バンドをやっていきたいんだ。』
   ~「ありんこアフター・ダーク」の帯より

〈十八歳から二十歳まで、私は、ダンモのバンドを持ち、タイコを叩いていた。街には、チンピラのヤクザが溢れていたが、私たちは、それとは違う意味の不良だった。私は、いつか小説を書こうと思った。その路地裏で起こったいくつもの出来事、いくつもの青春をジャズの音にのせて書いてやろうと思った〉
   ~「ありんこアフター・ダーク」のあとがきより
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