2023年01月

純烈コンサートたつの市2023/01/28

各地で風雪害が拡大しているのに不謹慎にもコンサートに行った。

スリップ事故で死傷者が出たと言うニュースも流れているのに軽自動車でノーマルタイヤで高速道路を走っていった。

小田井君が辞めてからは初めてコンサートを見に行ったのだが事故のニュースを聞いて自分が不謹慎なことをしているという謎の罪悪感に苛まれてコンサートの方は今一つ楽しめなかった。
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糟糠の妻と添い遂げる

令和五年一月二十八日に竜野市でコンサートがあるのに日本列島冷蔵庫
大丈夫なんだろうか?
純烈来られるのだろうか?

2019年9月に中野サンプラザでコンサートやった時に大型台風が来て開催できるのか
し心配したけれど府中から台風の中、大雨でパンツ濡らしながらリーダーの酒井一圭君がギリギリ開演前に到着した例があるからな。

たしか白川裕二郎君は結婚を公表していたと思う。
糟糠の妻と添い遂げたと言う美談を新聞が報道していた。
以来、裕二郎氏は奥さんの事をあまり語らない。しかし夫婦不仲とか別居等と言う事ではないと思う。
幸せで夫婦仲も良いのだと思う。
愛するがゆえに妻について多くを語らないのだ。(俺が言うか)他人が断定してどうする。すまん。


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芸能人崩れのバカ代議士

芸能人崩れのバカ代議士がまたやっちまっていた。社会保険料750万円の滞納だ。国民の義務を果たしてないやつが比例代表とは言え代議士になっていいのか?政党もちゃんと調べてから立候補させろ!

釈明会見では自分の年金保険料なのに掛けたかどうか分からないと語った。自分のやったことすら分からないんなら国政なんか任せられない。議員なんか辞めちまえ。
嘘は言いません。うそは歌だけです等と数少ない自分の持ち歌に引っ掛けて何のつもりか笑えん冗談で締めくくった。バカか⁉

身近にいた詐欺男

22歳から60歳になるまでの銀行員生活の中で同じ支店に二回勤務すると言う事があった。
大半の銀行員は支店勤務で特に優秀な人でない限り本部勤務になることはない。在勤中3、4年に一度の割合で地方を転々と移動して回る。これはキツイ。慣れたころに転勤とはよく言われることである。考えてみると、いくら仕事の内容は同じと言っても顧客の顔ぶれが変わったり、営業行員だと勤務するエリアの道を覚えるだけでも大変な苦労である。

その点、この同じ支店に二回目の辞令をもらった時はうれしかった。前回同様、外回りの営業担当になった。営業担当は毎月厳しいノルマを課せられるので既存の取引先を知っているだけでもありがたい。どこの顧客が大口預金先でどこの法人が融資を受けたがっているか、記憶しているから、既往取引先を回るだけでノルマは達成できる。後は新規先を開拓してどれだけ資金量(預金額)、融資量(貸出額)を伸ばせるかでずいぶん成績を伸ばせる。

その二回目の支店勤務で赴任早々、店頭で旧知の個人事業主に会った。彼は人懐っこい笑顔を見せて私に近づいて来て言った。

「おかえりなさい。また、この支店勤務になられたのですね。ご栄進おめでとうございます。また、融資などでお世話になります。」

正直、栄進した訳ではなかったのだがお世辞でもうれしかった。そしてこんなに暖かい声をかけてくれたのは彼だけであった。

「今はこういう仕事をしています。」

彼は或る社会福祉法人の理事長の肩書の名刺を私に手渡した。その日は挨拶だけで別れたが、後日訪問して預金か貸付の協力をお願いをするつもりであった。

赴任して三ケ月経過したが私のノルマ消化は順調であった。と言うよりは絶好調で成績を伸ばした。何しろ二回目の支店勤務と言うのは小学生が同じ問題の算数の試験を二回受けるようなものである。
答えの分かった試験問題で赤点を取る子はいない。

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四か月目に入って一週間経過してその月のノルマは達成していたので余裕ができていた。例の社会福祉法人へ行き理事長に面会を申し出た。受付嬢は何か怖いものを見るような目つきで私を見、上司に替わった。
「どういう御用件ですか?」
まるで木を花で括るようなつっけんどんな態度で総務課長と言う人物が言った。

「あの人は名前だけの理事長で法人の名を語りあちこちで詐欺まがいのことをしているし、近々理事会で退任勧告する予定なんです。お宅の銀行も何か被害にあったのですか?そうだとしても当法人とは無関係ですから。お引き取り下さい。」

総務課長はとんでもないことを言った。私は呆れたがそのまま退出し、理事長氏とは音信不通のまま、赴任五か月目を迎えた。ノルマの面ではラッキーが続き時間的にも余裕があった。すると支店長から一日だけ融資課長のフォローををしてやってくれと頼まれた。仕事の内容は支店で抱える不良債務者への訴訟案件で本日結審するのがあるから聞いて来てくれと言うものだった。

簡単な仕事だったので私は時間前に行き問題の訴訟事件の前の案件を傍聴席で見学した。席に座ってみているとやがて事件の被告人が呼ばれた。ある売買契約についての詐欺事件で被告人が事実関係をすべて認めたので本日判決を言い渡されるのであった。

被告人が席についた。顔を見て私は思わず声が出そうになった。なんと被告はあの社会福祉法人の理事長だった。私はかの社会福祉法人の総務課長の言葉を思い出した。

「あの人は法人の名を語りあちこちで詐欺まがいのことをしている。お宅の銀行も何か被害にあったのですか?」

茫然としていた私は数分後に自分が仕事で来た事件の開廷が始まるので気を取り直して何とか落ち着いた。

裁判所の帰り道思った。大半の顧客は二回目の勤務の私になんら関心も好意も持たない。友人でも何でもないのだから当たり前だ。一人だけ笑顔でお帰りなさいと優しい言葉で近づいて来た男がいたがあれは詐欺師の常套手段の初めの一歩であったのだ。
ふとしたことから詐欺師の正体を知ることができて幸運だった。




親友の漫画家からの最後のメール

昨年末は大晦日まで入院していました。新規の抗癌剤治療に対応するための一泊の処置入院の予定が、私の体調の悪化で、一週間も延びてしまったのです。
体調は最悪です。あ、もうダメかも…と思うことが度々になってきました。こうやって人は死を迎えるんだなぁ…などとぼんやり考えます。


病状について医者からは説明されていません。普通なら「延命処置に移行しますか?」なんて訊かれる頃なのでは…と思うのですが。さて、私の命はあとどのくらい持つのでしょうか?
明日からは入院してまた新しい抗癌剤治療です。まだ助かる可能性があるのかな? そうとは思えませんが、信じるしかありません。私のために頑張ってくれている人達がいるのに、私が諦めてはいけないと…。
支えてくれている人達には本当に感謝しかありません。その気持ちに少しでも応えられるように、まだまだ諦めずに踏ん張ります。


それにしても痛いです。モルヒネが効かなくなっています。1ヶ月前の6倍の量を飲んでいるのに、最早その量では苦痛を抑え切れません。


もうダメかな…。そんな言葉が何度も頭を過りました。本能みたいなものでしょうか。
もう少しで返メも打てなくなるような気がします。メールを読むこともできなくなると…。
もちろん自分としては回復を願っています。「ごめん。死に損なっちゃった」というメールが打てることを心底願っています。
でも、ここで何らかのメッセージを残しておかないと、このままお別れになってしまうかも…という不安があるのです。ごめんなさい。そうなることは嫌です。あまりにも不義理でしょう。
だから、区切りとしての私なりのお礼の言葉を御大に残しておきます。


御大、ずっとありがとう。
一緒に長生きの約束は果たせませんでした。申し訳ありません。


これからも御大節を聴かせて欲しいです。スピリッツを全国津々浦々に届けたいですね。


快復すれば、このメールは笑い話。うん、そうなるように努めます。

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大相撲遠藤関と白川裕二郎さんの関係について

ごめん
無関係だ
強いて言うとすれば身長がほぼ同じとイケメンと言うところくらい
遠藤関はアマチュア相撲の二冠を制して大相撲入りした
スタートが幕下10枚目と言うから凄い
髪の毛が出世に追いつかなかった天才だ

白川裕二郎さんは序の口、序二段でケガの為廃業している
大相撲の世界でも二人に接点はない
世代的にも少し違う
横綱朝青龍関に憧れていたと言う点では同じだ


二人は無関係と言ったけど努力の天才と言う点では一致している
そりゃそうだ

並みの努力じゃ世に出られない

すまん
この話いつもの通り落ちがない
ごめん
インチキ釣り広告みたいで反省している

ホントは酒井一圭君とマネージャーの山本君に言いたいことがあったんだけどまた明日にする
純烈ベスト Vol.1 2010-2015
日本クラウン株式会社
2019-03-18




いったいどうした?水道橋博士

辞任って突然どうしたのだろう?
またその後の令和新撰組の対応不思議だ

一月十四日が父の命日だったので

早いもので父親が逝ってからもう丸六年が経った。生きていたら101歳になる。
生前、父は10台乗用車を買い替えたが不思議なことに全てダイハツのものだった。
私の貧乏サラリサーマン時代にもダイハツの軽自動車を私に買い与えているから11台もダイハツで購入したことになる。
ある時、なぜそんなにダイハツ車ばかり購入するのかと尋ねたことがある。ダイハツの前身の大阪發動機という会社が旧日本軍の上陸用舟艇を製造していたそうだ。父は大阪の住友電気から直接入隊したが
大阪時代にダイハツの技術に対する信頼のようなものが出来上がっていたようだ。地元企業への信仰と言ってもいいかもしれない。
シャレードなんかは物損事故で少しぶつけられただけで同型のものを三台も買い替えている。私から見れば運転が下手なのかそれとも金が余っているのかと問いたくなるくらいだった。これだけ贔屓にするとディーラーの方も親身になってくれる。担当が三人、父についたが最後の人はベテランの、整備士上がりのセールスマンだったので車のことをよく知っていた。また、一人暮らしの父を気遣ったりもしてくれた。

父は85歳を過ぎた頃からよく物損事故を起こし出した。少し傷つくとすぐ新車に変えた。91歳の頃、田舎の道を走っていて田んぼのわきの用水路に落として新車に変えた。衝突防止機能がついていた新型車だった。92歳になってその機能が付いていながら追突事故を起こした。ディーラーのセールスマンにまた新車を買うからと電話をした。

セールスマンは人身事故を起こしてはいけないから車はもう売れません、お父さんを説得してくれと私に電話をして来た。車を売ってなんぼのセールスマスがもう売れませんと言うからには私も真剣に父のことを考え話し合った結果、車は買わない、乗らない、免許は返納と言うことになった。92歳だったから遅すぎたかもしれない。世間に迷惑を掛けなかったことが不幸中の幸いだった。




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