2023年04月

手塚治虫さんにインスパイヤ―されたつげ義春さん


つげ義春大全を読み返している。

1953年に描かれた手塚治虫先生の「罪と罰」、

ドストエフスキーの原作をコミカライズしたものだが

ラスコルニコフが金貸しの老婆の二階の部屋に上っていくシークエンスがある。

つげ義春大全の84ページの中段にこれとそっくりの絵が出てくる。

1956年に描かれたつげ義春さんの「奇人」だ。

主人公の青年が殺人を犯して金を奪うというシーンまで同じだ。

親友の漫画家に生前尋ねたことがあった。


「これって盗作とかパクリとか言われないだろうか?」


「貸本漫画の時代にはよくある話で別に目くじら立てる必要なかったんだろう。

 手塚先生も『お互い様』っておおらかに言ってたし、、。」


そしてつげさんはこの作品をこれだけで終わらせなかった。

ドストエフスキーの原作と手塚治虫の漫画に対して一ひねり加え

「奇人」をありきたりのスリラー漫画で済ませなかった。

この作品を喜劇に変えてしまった。

オチは言わない。とたんにつまらなくなるから。

規制なし編集なし添削なし原稿買取の気ままな貸本漫画だから生まれた作品だ。


罪と罰
手塚治虫
手塚プロダクション
2014-04-25






紅い花 つげ義春

親友の漫画家ふうに言うなら

ボクは個人的には「紅い花」という短編が好きだ

旅人、キクチサヨコ、シンデンのマサジ、登場人物は三人だけだ

ボクは比喩や例え話は頭にはいらんたちなので見たまんましか言えない

きれいなつげさんの絵

彩色漫画のような錯覚をする。

三人の会話もいい。

子供の頃に帰ったみたいな錯覚をする。
紅い花 つげ義春カラー作品集
つげ 義春
双葉社
2013-07-20



つげ義春・侍物二編「西瓜酒」と「運命」

たぶん1960年代の作品と思われる。

つげ義春さんは絵がきれいだ。

よく言われているがいろんなタッチの書き分けができる。

詳しくは書かない。評論家が口をそろえて褒めている。

ボクなんかがほめるとつげ作品の価値が下がる。

で今回の二編だが喜劇と悲劇だ。

どちらも設定は貧乏侍だ。タッチは辰巳先生ふうだ。

読後、ボクはしんみりとしてしまった。

海辺の叙景 つげ義春



この海水浴場を舞台にした小編もすごく絵がきれいで詩的でいい。

かつて盟友だった永島慎二がCOMで台頭し、赤塚不二夫が売れっ子になっていくのを

横目で見ながらつげさんは、しっとりとした名作品を次々と発表していたらしい。

凄く充実していたのではないだろうか?

つげ義春 山椒魚


上記大全の第十五巻に収録されている。
七ページの作品
絵がうまいのに驚く。

物語は山椒魚の目線で始まり終わる。
つげさんは絵がうまいのに短編小説の趣があり文章もうまい。
それにもまたおどろいてしまう。

李さん一家


有名な「李さん一家」という小編を読んだ。

わずか11ページしかない作品だが何とも言えない味わいがあり

つげさんの作品群の中で好きな読者が多いというのも頷ける。

つげ義春大全⑮噂の武士

つげ義春先生得意の何作かある武蔵物のオムニバスの一編

登場するいかつい武士をオーディエンスも狂言回しの甲府勤番の平凡な武士も
読者までもが本物の宮本武蔵と信じて疑わない

しかし、本物の武蔵ではなかったというオチ

武蔵を登場させず剣豪武蔵の凄みを披露し偽武蔵のメランコリ―を描いた短編。


純烈コンサート神戸

昨日2023.4.25は歌コンでくまもんと中継だった。
 
今日は神戸か。

ツアーも楽じゃないけど若いうちだけだからガンガンやっとけば良い。

リーダーふうに言うならガンガン稼いどけば良い。

自決前の三島由紀夫が知りたがった「あしたのジョー」最終回

劇場版 あしたのジョー2 [Blu-ray]

梶原一騎漫画原作者・1936~1987)が高森朝雄ペンネームで「あしたのジョー」(少年マガジン・1968~1973)を連載し始めた時、高校生だった筆者は「巨人の星」や「柔道一直線」、「タイガーマスク」と異なるタイプの主人公の登場に戸惑いながらも、惹き付けられて行った。

主人公のジョーは不良で表情は憂いに満ちていた。顔付きはどう見ても「ハリスの旋風の石田国松」だが長身痩躯、やけに長いリーチが拳闘漫画の始まりを暗示していた。それが丹下段平力石徹白木葉子と言った登場人物達と巡り合い、激しく衝突し合って、物語がいきいきと展開して行く。

漫画の中に描かれたことなのに、いつしか登場人物が読者の現実世界でいきいきと動き始めたかのようだった。ジョーのライバルの力石徹は壮絶な減量苦を克服し、階級を下げ、バンタム級でジョーとの死闘を繰り広げ試合には勝つが、リングを降りた直後、亡くなってしまう。


 

連載開始50周年記念 あしたのジョー展 イベント開催記念商品 特製ポストカード 矢吹丈VS力石徹 A柄

作画を担当していた漫画家ちばてつやも、力石の死のシーンを描き終えた後、スランプとも心因性の病とも判明しない症状で入院休載してしまう。

やがて復帰したちばてつやは、まるでわが子の悲しい死を克服した強い父親のようだった。画力は冴え渡り、高森朝雄の原作ストーリーも「ジョーが生きて魂を宿して作者達を引っ張って行く」と言われるほどセンセーショナルな展開でストーリーは動いた。

今では伝説となった力石徹の葬儀だが、講談社は実際に葬儀会場を設営し、全国から多数の読者が参列した。 昭和45年3月のことだった。

余談ながら「あしたのジョー」はテレビアニメでは昭和44年から虫プロ制作のフジテレビ系列で、昭和55年から東京ムービー制作の日本テレビ系列で放送されている。この物語がいかに多くの人の共感を得たかの証である。

共感と言えば忘れてならないエピソードがある。昭和45年11月25日に市ヶ谷で割腹自殺した作家・三島由紀夫(1925~1970)は「あしたのジョー」の最終回を知りたがったと言う。

三島由紀夫に関しては、講談社の編集者に「僕は毎週水曜日に少年マガジンを買う」と語った話とか、夜中に編集部にタクシーで乗り着け「今週号を買いそびれたので売って欲しい」とねだった話とか、市ヶ谷突入前日に「最終回はどうなるか? 教えてください。私には時間がない」と語った等と伝えられている。

真偽のほどは分からない。しかし、それらのいずれもが本当であっても不思議ではない。

告白 三島由紀夫未公開インタビュー (講談社文庫)

よど号をハイジャックし、北朝鮮に逃亡した赤軍派は「われわれは『あしたのジョー』である」という声明を発表した。世間の大人達は「何を唐突な!」「犯罪者の幼稚な妄想!」と切って棄てた。それほどこの物語は日本の社会に多大な影響を与えた。

三島由紀夫が知りたがったラストシーン。世界戦に判定負けし「燃え尽きて真っ白な灰になったジョー」が生きているのか、もう死んでしまったのか? 故人となった高森朝雄氏に確かめることはできない。

ちばてつや氏は「私には分からない」と述べている。 ただ、

 「この物語は原作者のものでも、漫画家のものでも、ありません。読者のものです。読者一人々にとって感じ方は異なっていると思う。」

と語っている。

三島由紀夫さんを思い出すとりとめない「あしたのジョー」の話

からっ風野郎

最近、ネットでまんだらけなどの貸本の通販をながめるのが楽しみです。

 

畳捕り傘次郎 大合本

貸本RETERNSという書籍を読むと、貸本作家時代、小島剛夕さんは時代劇でも女性がテーマのものが中心で、平田弘史さんは骨太のサムライものが多かったということです。

鬼才! 時代劇画家 平田弘史 その軌跡 祝! 生誕80年&劇画家60年特別記念出版

平岡正明さんという漫画評論家( 三島さんの本名は平岡公威さんだけど正明さんと血縁は無いみたい。)の本を読むと三島由紀夫さんは戦後、アメ横平田弘史さんの貸本劇画を求めて歩いたという記述があります。

 

平田さんが21歳で大阪でデビューしたのが1958年(昭和33年)ころなので戦後という表現は少しオーバーかな?どうかなと思う。

アメ横で1958年当時平田さんの本を求めさまよった三島由紀夫さんは33歳だったことになる。

 

それから、三島さんが講談社に買いそびれた少年マガジンを売ってほしいと訪問したのは二回あったみたい。

最初は1967年48号からこの年の年末までの間のいずれかの号。三島さんの独白では、モーレツア太郎を子供さんと一緒に読んでいたとあるので、この年、連載がスタートしたモーレツア太郎を読み損ねた回があったのかなと想像します。 

連載開始50周年記念 もーれつア太郎 DVD‐BOX デジタルリマスター版 BOX2【想い出のアニメライブラリー 第64集】

二回目は1968年の新年号から1970年11月25日までの間の号と思われます。68年の新年号から、あしたのジョーが始まり、70年11月25日三島さんは45歳で亡くなります。 

あしたのジョー 文庫版 コミック 全12巻完結セット (講談社漫画文庫)

編集さんの話ではあしたのジョーのファンだった三島さんが続きを読みたくて仕方なくなって講談社ハイヤーで乗り着けたと言います。

あくまで推測ですがその間のいずれかの号を買いそびれたらしいです。

ちなみにあしたのジョーは1973年5月13日号で終了しました。

 

 

後記

三年前に親友の漫画家がまだ元気だった頃、三島さんが講談者にタクシーで乗り付けた話や三島さんはあしたのジョーもーれつア太郎を楽しみにしていたという話をしました。

すると、

「ちょっと待て!それはネタかなんか知らんがブログに書いたり人に話したりするなよ。俺は講談社や梶原さんとこのスタッフからそんな話は全然聞いてないぞ。」

と軽率なことをするなと止められました。

 

しかし、数日後、

「すまんすまん。あの話は平岡さん(評論家の方。三島由紀夫さんの本名じゃない。)が、本で公表した有名なエピソードなんだってな。俺だけだったな。知らんのは。」

と電話がありました。

 

でも、

「お前、調べず適当に書くからな。またそれかと思った。失敬。」

と言われました。

 

(あ、オレって軽率なんか、と気づいた。)

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