讃岐の景勝地の「父母が浜」がSNSなどを通じて全国的に有名になってしまったがボクは少々複雑な気がする。風光明媚なところとして四国内からはもちろん全国からも観光客が訪れるのは結構なことだが、仁尾町には悲しい歴史があって桃の節句や端午の節句を祝う風習がなかったり、どこの家にもひな人形、武者人形がなかったりする。
ボクは仁尾町の歴史も父母が浜の歴史についても語る気がしない。けれどもそれでは町内の人以外には何を言っているのかわからない。不親切にならないように少しだけ書くと、今度は仁尾町や父母が浜を貶めているようにとられかねない。
だから事実のみを記す。
仁尾町はゴミ廃棄場がなくかつては遠浅の海にそれを捨てていた。
遠浅の海には結核のサナトリウムが存在した。
いずれも今の父母が浜の位置にあたる。
それから、戦国時代旧暦の三月三日に土佐の長曾我部元親に攻められて仁尾城が落城した。
余談ながら桃の節句と端午の節句の祝いをしない代わりに旧暦八月1日に八朔祭りという人形祭りをする。ボクの子どもの頃は(70年くらい前)一日中狂ったように町内を人形の扮装をしてあるきまわっていた記憶がある。
ボクは仁尾町の歴史も父母が浜の歴史についても語る気がしない。けれどもそれでは町内の人以外には何を言っているのかわからない。不親切にならないように少しだけ書くと、今度は仁尾町や父母が浜を貶めているようにとられかねない。
だから事実のみを記す。
仁尾町はゴミ廃棄場がなくかつては遠浅の海にそれを捨てていた。
遠浅の海には結核のサナトリウムが存在した。
いずれも今の父母が浜の位置にあたる。
それから、戦国時代旧暦の三月三日に土佐の長曾我部元親に攻められて仁尾城が落城した。
余談ながら桃の節句と端午の節句の祝いをしない代わりに旧暦八月1日に八朔祭りという人形祭りをする。ボクの子どもの頃は(70年くらい前)一日中狂ったように町内を人形の扮装をしてあるきまわっていた記憶がある。