2024年11月

本を読んで金持ちになる方法

マンションの賃料収入で生活している老人がいた。

預金してもらうときには通った。

話し相手になると預金してくれた。

千万単位だった。他行預金を回してくれた。

預金残高が一億円になったときに、

「楽して金持ちになる方法を教えてください。」

と言ったら、

「働かずに金持ちになろうなんて奴は俺みたいなクズになる。」

と言われた。

ボクが驚いていると、

「本を読んで金持ちになる方法なら教えてやる。」

と笑った。

 

「金持ちの書いた本を読んでみろ。こうすれば金儲けができるなんて

 ことの大半は嘘だ。全部ウソとは言わん。1%くらい本音が

 混じっているとしてだ。

 100冊金持ちが書いた本を買ってきてだな。一冊1%の真実を

 見抜いて100%真似して実行しようとしたら、

 そん時は人生終わってら。

 

 そんな無駄なことをするより地道に働け。

 それが金持ちになる近道だ。

 

 俺が金持ちになった方法?

 俺はクズだ。若い時から親の金を当てにして生きたクズだ。

 バカ息子一人で他に眷属がない。

 父親の財産を相続しただけだ。

 

 歳とって働けなくなったから

 毎日こうして本を読んで金持ちになる方法でも

 ないかなと思って読んでるんだ。」


電光石火の男三田大生YouTubeChannel by二子山部屋

いささか旧聞に属するが2024年の九月場所から
三田大生君が幕下付け出し格でデビューした。
ところが、坂上ディレクターの二子山部屋のYouTubeChannelの
稽古風景では三田大生君の様子はあまり写されていない。

二人の関取の練習風景もしかりだ。

これはライバルに手の内を見せないようにしているためだと
ボクは思っている。

本割の様子はABEMA TVで見たりYouTubeで見たりしている。

三田君の勝負は早い。当たってから引いたり落としたり
時に変わったりする。
そのどれもが早い。
どうやって勝ったのか分からない時すらある。

最初は、エリートの学士力士とたかをくくっていたがこれは凄い。
この人は凄い力士なんじゃないかと思う。

坂上ディレクターの二子山部屋のYouTubeChannelでは
料理番の様子や食事風景しか見られない。

年下の兄弟子や親友の生田目関にも謙虚な態度で接する。
師匠や女将さんに深々と礼をする様子が好感が持てる。
小兵やケガのリハビリなどの不安もあると思うが
坂上さんに今場所の目標を尋ねられた時、

「優勝を狙います!」

と当然の如く言った。
決して思い上がった様子ではなくそれが自分に周囲から
課せられた使命だと言い切るかのようだった。

多くの力士がそうであるように彼もまた
神聖な負債を負うかのように丸い土俵に立つ。

三田大生!電光石火の男 !優勝の瞬間を待ってるぞ!
一瞬で決めるのでまばたき厳禁だ。



トシ東郷(ハロルド坂田)の思い出

ボクは昭和55年の5月にハワイでトシ東郷(ハロルド坂田)と会って握手して一緒に写真に写っています。
翌年、トシ東郷はハワイで亡くなりました。     合掌



45年位前の話なんですが家の女もボクも昨日のことのように覚えています。007のオッド・ジョブと同じ
いい笑顔をして
トシ東郷(ハロルド坂田)は写真に納まってくれました。家宝です。




「里の秋」に込められた悲しい戦争の記憶【外地引揚同胞激励の午後】

先日、カーラジオを聞いていたら、「里の秋」について解説がされていました。

家の女が助手席にいたので「小学校で習ったよなあ。」と同意を求めると、

「中学で習った。いや、みんなのうたで聞いたかな。」ととんでもないことを言う。



「里の秋」はもともと、昭和16年に、「星月夜」として四番まで書かれたそうです。

 一番 しずかなしずかな 里の秋  お背戸に 木の実の落ちる夜は

    ああ かあさんとただ二人  栗の実煮てます いろりばた

 二番 明るい明るい 星の空  鳴き鳴き 夜鴨の渡る夜は

    ああ とうさんのあの笑顔  栗の実 食べてはおもいだす

 三番 きれいなきれいな 椰子の島  しっかり守って くださいと

    ああ とうさんの ご武運を  今夜もひとりで 祈ります

 四番 大きく大きく なったなら  兵隊さんだよ うれしいな

    ねえ かあさんよ 僕だって  かならずお国を まもります


三番、四番が昭和16年という時代を如実に表しています。

特に四番の「兵隊さんだよ うれしいな」と言う歌詞は恐怖を感じます。

ボクは子供の頃、昭和20~30年代、六軒長屋に住んでいましたが、

そのうち二軒はお父さんがいません。

戦争から帰ってきませんでした。

ボクの父は戦争から帰って来ました。

戦前は「男は男らしくお国のために戦争で死んで来い。」と

教育されたので父は何の疑問も抱かず戦争に行ったそうです。

たまたま生きて帰って来られたがそうでない多くの人がいます。

兵隊さんになって 死ぬことを うれしいな 

と教えているのです。本当に怖い事です。


昭和20年【外地引揚同胞激励の午後】というラジオ番組が企画されました。

その時、三番、四番の元々の歌詞は封印されました。

そして新たに三番は以下のように書き換えられました。

 三番 さよならさよなら 椰子の島  お船に揺られて 帰られる

    ああとうさんよ 御無事でと  今夜も かあさんと 祈ります


単に秋の情景を歌っただけの歌とボクらが思っていた「里の秋」は、

悲しい戦争への思いが込められていたのです。

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