2026年06月

病院に関する十七の話「③透析室」


透析室の手伝いに週三、2時間程いる。

緊張しながら、ゆっくりと動き回る。(特に私はこの部署に不慣れなので慌てないようこころがけている。)

患者さんがじっとしているだけにこちらが動くので汗だくになる。

 

重篤な人、厭世的な人、反対に陽気な人、努めて平静を装う人、等々。別の部署とは様子が異なる。宿命的な病を覚悟した人の様々な類型がある。

 

 

ドクターやナースにも特別な傾向が見受けられる。早口、断定的、声がでかい、動きが速い。明るい。

けっこうスパルタでくどくどと説明しない。先輩を見て覚えなさいという方針。体育会的である。指導されるときはたいてい怒鳴られている。ドクターやナースは直接私に指示しない。私の教育係はナースエイド(看護補助者)と呼ばれる人達である。

 

「そこに立たない!患者の邪魔!」

「そんなとこに車椅子置かない!」

「やり直し!」

「もっと早く!」

そういう風なことを自分の孫くらいのナースエイドに言われている。

もう一回、人生勉強をさせてもらっている気がしている。

 

基礎からわかる透析療法パーフェクトガイド 改訂第3版

病院に関する十七の話「②昭和29年ヒ素ミルク事件」


医局でもらった本の中にその事件について書かれたものがあった。私にとってその事件とは長年私の心の中で燻り続ける得体の知れない火種のようなものであった。

 

昭和29年生れの私がそれまでの人生の中でこの事件について両親や教師から見聞きして知っていたのは以下のような事実である。

西日本の昭和29年、30年生まれの赤ん坊の間に奇妙な病気が流行した。様々な障害が体のあちこちに発生した。発熱、発疹、下痢、皮膚がどす黒く変化した。当初は奇妙な感染症か何かと思われた。ほどなくこれが大手の粉ミルク製造会社の徳島工場で製造された缶入り粉ミルクに混入していたヒ素が原因であることが判明した。

 

私は幼稚園には一年しか通わなかったが、同じクラスの園児が一人亡くなった。ヒ素ミルクの被害児だった。「あの子はなぜ幼稚園に来ないの?なぜ死んだの?どこへ行ったの?誰が悪いの?」私は訳も分からず母親を問い詰めて泣いていた記憶がある。

 

そして、小中学校の経験の中でヒ素ミルクに関する強烈な悲しい思い出がある。毎年、クラスの同級生の中に体育の授業を受けられない子、学校を休みがちな子、顔色の悪い子、杖をついた子たちが数名いる。そして、同級生が一人二人学校に来なくなる。亡くなっていく。

小学校3年の時、同じ年に二名のクラスメイトが亡くなった。私たちはクラス全員で告別式に出席した。みんな泣いていた。先生も泣いていた。

 

1969年昭和44年7月21日アポロ11号が月面着陸に成功した。この時私は中学三年だったがこの日に学校を休んでいたクラスメイトが亡くなった。学校で月面着陸成功のニュースをみんなで見て拍手した直後に亡くなったという知らせがあった。電話を受け、担任の女性教師は泣き出した。クラスメイトもみんな泣いていた。

 

こうして私たちの年代のものは直接的にヒ素ミルクによる障害を持った人もヒ素ミルクによる悲しい思い出を背負った人も年を重ねていく。

 

しかし、当の企業も政府も何ら手を打たず、補償や責任の話が公になったのは昭和52年、つまり昭和29年、30年生まれの人たちが大学を卒業する年のことであった。 

 

私は、私が生まれた年に起きた悲しい事件の内容についてほとんど無知なまま老境を迎えてしまった。知らなかったでは済まされない悲しい事件について多少なりとも真実を知り先に逝った同級生たちの御魂に合掌したいと思う。

エンゼルの青春―森永ヒ素ミルク中毒事件被災児の記録 吉田一法写真集 (1973年)

病院に関する十七の話「①医局図書室の原節子」


入職後のある日の朝礼で「図書室の保管期限終了の本を持ち帰って良い。」と言われた。興味があったので業務終了後に覗いてみようと思った。「図書室はどこですか?」と総務課で尋ねたら二階の医局の隣と教えられた。

医局の扉を開けたら入ってすぐの所が図書室だった。医局の誰かに告げてから本を見ようと思ったが、どうやって医局にいくのかわからない。図書室の端に簡易テーブルがあり白衣の女性が一人読書していた。姿勢がよく気品があって、なんか宮様のような清らかな威厳を漂わせている。気が引けるが勇気を出して声をかけた。名札を見せて、

 

「あのう、庶務のバイトのとくたですが、不要図書を頂けると聞いて伺ったのですが、、、。」

 

宮様はゆっくりと本を置き顔を上げ、私の方を見て「御本がお入り用なのですね?それでは医局の人に話してみましょうね。」とおっしゃった。声は原節子をゆっくりと静かにしゃべらせたような感じで上品だった。

彼女は図書室の奥の医局に行き若い女性職員に私の来意を告げ、ゆっくりと自席に戻って読書を再開した。

医局女子の説明を受け私は廃棄予定本の中に読みたいジャンルのものを見つけ出し、三冊いただくことにした。一冊目を取ろうとした時、私の白衣のポケットから500ミリリットル入りのスクリューボトルが床に落ちてしまった。ガチャンとものすごい音がした。図書室での騒音はご法度である。

「すみません。大きな音を立てて。」

とっさに詫びて宮様の方を見たが彼女は少しも慌てずゆっくりと本から目線を上げて私を見て、「いいえ。どういたしまして。」と、おっしゃった。

私は大いに恐縮しながら、そそくさと図書室を後にした。

(あの女性は誰だろう?ドクターだろうか?)帰り際に医局の人に尋ねることさえ恐れ多いような気がした。

 

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