おおげさな見出しで恐縮だが、多ジャンルでヒット作品を描き続けた戦後漫画界の巨匠について は、残虐なシーンがまったくない。


少年(幼児)のボクにとって見たくない残虐シーンを描く御三家は、水木しげる白土三平楳図かずおの三人だった。
紙芝居作家から転身した水木先生の貸本屋時代の作品は本当に怖くて目をそむけずにはいられなかった。何かに取りつかれたような絵やストーリーに耐えられなかった。

白土三平さんも紙芝居、貸本業界経由のマンガ家だが、やたらと人が負傷する、死ぬ。それも他者の暴力によって殺戮が行使される。世はまさに、60年安保闘争の時代で白土さんはある種のメッセージを作品に叩きつけるように描いていたが、ガキんちょのボクには全く受け入れる力はなかった。

楳図かずおさんについては、そういう怪奇な話や恐怖が現実にあって、楳図さんは漫画という手段を使ってそれを 世間に発表していると思ったから、怖さは倍増し、ボクは心身の成長期にダメージを負ってしまった。
その証に、後年、楳図さんが「まことちゃん」という破天荒なギャグマンガを発表したが、友人たちのように「まことちゃん」を面白い、可愛いとは思えなかった。


その点、横山光輝さんの漫画はどの作品も怖がり読者のボクに取っては安心して読めた。
しかし、横山光輝さんの描く忍者マンガは戦いを描く。必ず人が死ぬシークエンスはある。本来、残虐なシーンをそう思わせないために横山さんは人が死ぬ場面に於いて数コマをカットした。
最も顕著なそのシークエンスは、「伊賀の影丸由比正雪の巻」ラストシーンである。
軍学者由比正雪は実は忍者だったという真相が明かされ、影丸との決着戦に敗れた正雪は深手を負い、切腹し、介錯を部下に依頼し、死んでいく。
部下が丸橋忠弥だったか、金井半兵衛だったか、ボクには記憶が無いが、部下が刀を振り上げ正雪の首を落とすシーンはカットされている。

この場面を水木しげるさんや白土三平さんが描いたら、とんでもない作品になったことだろう。
往時、プロレスの流血試合をテレビで見て全国で何人かのご老人がショック死した。
水木さんや白土さんがこのシーンを描いたら、ボクはマンガを見てショック死した全国初の小学生になっていただろう。

そういう訳で、見出しで「考察する」などと、大層なことを言い、尻切れトンボで駄文を終わらせるボクだった。(これが、一番ショックだったりして。)