高知へ行く。
香川豊浜のパーキングで讃岐うどんを食った。高いがうまい。
南国市のインターで降りる。
なんごくではなくて、なんこくだ。
友人の南国市出身の大学教授に怒られたことがある。
なんこくしが正解。正しく発音しろと!
その教授が「南国市の高知大学医学部の建物の近くにタレントの島崎和歌子の母ちゃんがしてる喫茶店があるぞ。」と言ってたが、僕は見つけることはできなかった。
南国のインターからすぐ近くに高知県民俗資料館があった。
資料館の玄関前に長宗我部元親公の銅像があった。随分とハンサムだ。
この辺に長宗我部元親の最初の砦があったらしい。
地下に降りると板垣退助のルイヴィトンのトランクが展示してあった。感激した。
新聞で発見されたとの記事を読んでいたからだ。
洋行の際、日本人で初めてヴィトンのトランクを購入したのが板垣退助と言うことになっているが(定説)、実は板垣は二人目らしい。初めて買ったのは、明治政府の役人某氏で、二人目が板垣退助、三人目が板垣の幼馴染で親友の後藤象二郎だそうだ。
高知県民俗資料館を出て、僕は板垣退助の大ファンなので、市内の高知県自由民権記念館に行こうと電話をいれたら、なんとその日は休刊日だった。大・大・大・残念!来月、東京に戻ったら、再び高知旅行をすることにした。それまで、辛抱する。なにしろ、自由民権記念館には、板垣が坂崎シランにかかせた龍馬伝「汗血千里の駒」の原資料があるからだ。
桂浜で龍馬さんの銅像をみて坂本龍馬記念館に行こうと電話を入れたら、なんと記念館は2018年まで改装中で休館だった。その代わり、桂浜荘の地下で龍馬の手紙展を入場無料でやっていた。駐車場料金もただであった。僕は、龍馬の手紙の言葉はどれもこれも大好きなのだが、「今一度、日本を洗濯致し申し候。」や「死ぬときはたとえどぶの中でも前のめり。」や「役人は嫌いだから、世界の海援隊でもやつてみる。」なんかはぐっとくる。
桂浜荘の駐車場に愛車のポルシェ(うそ!ほんとはダイハツミラ)を止めさせてもらって桂浜の龍馬さんに会いに行ってきた。感無量。
龍馬さんお久しぶり。龍馬さんは、くしくも33歳の誕生日に、卑怯な何者かに暗殺されてしまったけど(諸説あり。)龍馬さんの二つ年下の乾退助さんは長生きしたよね。お国のために尽くしたよね。でも二人ともお国のために命がけで尽くしたよね。百年たとうが、百五十年たとうが、ぼくらは決して忘れないよ。
乾さんの言葉の中で僕が好きなのは「板垣死すとも自由は死せず。」(発言者別人説有力)と「イタイイタイ。医者を呼んでくれ。」(でも、これは岐阜の演説会場で乾さんの胸か腹を短刀で刺した刺客の相原しょうけいを、竹ノ内流柔術の当身で自ら取り押さえた後に言った言葉だから。)だよね。
また九月、土佐に行く。中岡慎太郎記念館や、龍馬の生まれた町記念館や横山隆一漫画記念館、アンパンマンミュージアムそのほか、沢山いきたいところがある。土佐は、見どころ満載!酒と皿鉢料理がうまい‼(僕は、下戸で魚は苦手です。高知県民さんごめんなさい。)
すまん、今日も落ちなし、教訓なし。