日本武術神妙記 (角川ソフィア文庫)

また、上田馬之助と言う名前についての検証をする。ボクの友人の編集者兼漫画家に言わせると、また、その話かといわれそうだが、なにしろ、浪花節が大好きなので、僕自身としては如何ともし難い。

前にも述べたが、上田馬之助と言う名前には、四人の男が絡んでくる。幕末の剣士上田馬之助、これが元祖である。司馬遼太郎の「斬ってはみたが」と言う風変わりなタイトルの小説に登場する。幕末の頃「銀座事件」と言う決闘事件が実在する。 

山形天童藩の江戸詰め武士二名が銀座の飯屋の二階で酩酊して喚いていた。たまたまその時、江戸に剣術留学中の九州出身の武士上田馬之助は下宿先の町人の子供に飯を食わせようと来店し、隣席に居合わせた。町人の子供が誤って、天童藩士の刀を跨いだ。無礼者と酒乱の二名の武士は、喚き出した。
 
「年端の行かぬ子供の事ゆえ、許されよ。」
 
と話す上田馬之助の諌めも聞かず、二人の武士は怒り罵声を浴びせ、「無礼討ちだ!」と罵る。
子供は怯えて泣き出す。
 
「坊や。心配いらんぞ。」
 
となだめる馬之助。
 
「申し訳ない。これにて失礼致す。ごめん。」
 
と、子供を抱いてきびすを返す馬之助。
 
「卑怯者。逃げるか!」
 
酒乱侍二名は、いきなり抜刀し、階段の降り口付近で、左手に子供を抱き抱えた馬之助に背後から切りつけた。

刹那、馬之助、振り向きざま、抜刀一閃。最初に切りつけた武士は腹を真横に真っ二つに切られ階下に転げ落ち絶命した。間髪入れず、二人目が馬之助に上段から打ち掛かったところへ馬之助は右下から逆袈裟切りに刀を突き上げた。二人目ももんどりうって階下に落ちて絶命した。

この後、馬之助の行動は回りにいたすべての目撃者に称賛された。
馬之助は直ちに大小二刀を目撃者に預け、店の者に子供を託し、自身は番所に丸腰で自首した。
 
馬之助に一刀両断された天童藩士二名は札付きのゴロツキで飲んでは狼藉、たかりを繰り返す暴力常習犯で天童藩でも持て余していたとか。正当防衛どころか、江戸時代、挑まれて逃げる武士は面目丸つぶれである。
 
そういう時代に、売られたケンカを正々堂々と買い、弱い町人の子供をかばって戦い勝ったという事件が美談にならぬはずはない。

江戸町奉行は、おとがめなしの裁断を下し、市井の人々は馬之助をもてはやし、たちまち、事件は江戸講談や浪花節に語られることになった。
 
この人が鏡心明智流桃井道場の上田馬之助。もっとも、司馬遼太郎は小説「斬ってはみたが」に含蓄のある落ちをつけている。
 
剣術留学してみたもののいつまでたっても上達せず、桃井道場の師範代とは名ばかりの馬之助。人を切ったのも、ケンカを買ったのも初めての事。どうやって切ったのか、まるで思い出さない。その時の太刀筋を二度と振るうことはできなかったというのである。

司馬遼太郎短篇全集 第九巻

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上田馬之助はあと三人いる。
 
 
まだら狼プロレスラーの上田馬之助

男は馬之助―場外乱闘を生きてみろ! (ボム!Books)

 
それから、初代まだら狼のファンで弟子になり
二代目を襲名したプロレスラーの上田馬之助である。
 
 
歌舞伎役者や大相撲の力士でもない限り、一個人の名前が後年の人に受け継がれていくと言うことは、そうそうあることではない。あと三人の上田馬之助の名前について、後日考えてみたい。
 
もし、ボクに髪の毛がふさふさとあったなら、ボクは「ちょんまげの上田馬之助か、
金髪に染めて「まだら狼の上田馬之助を演じてみたいところだ。無理か?