昭和44年 東急5000系

 

父が、〇泉は戦後、駅の裏の小屋で親父が一人でやっていた時が一番うまかった。今の〇泉は店が大きくなって、支店が増えてから、まずくなった。などと言っていた。

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同様にこの町からスタートして全国展開している書店がある。A書店である。沖縄から北海道まで350店というから日本最大のブックチェーン店である。

同社が発展したのは、88歳で故人となったT子さんという人を抜きにして語れない。駅のそばの小さな本屋が企業買収や他社への資本参加を繰り返し、現在の規模になったのは女社長の度胸と才覚と優秀なブレーンによるものである。

 

ボクは一時、A書店振出の一億円の約束手形を見たことがある。

同社が県外の経営不振書店を買収した代金か、買い取った店舗のリフォーム、リニューアル工事代金の決済資金だったのかも知れない。

約手は当然のことながら期日決済となった。

 

さて、ボクの父とA書店との関わり合いは、女社長T子氏のご主人である。

当時、父は某社総務部労働課というところに勤めていた。社内の複数の労働組合から情報を収集する仕事をしていた。

父はスーツや背広を着用せず、ほとんど菜っ葉服(機関士や工機部整備士が着用していた紺色の作業服)やポロシャツ姿で出勤していた。出勤退社は不定期で早朝や深夜に帰宅していた。

 

某社総務部労働課に出勤することはまれで機関士の宿泊所や整備工の寮に出入りしていた。酒も博打も仕事のためにこの頃、覚えたと言っていた。マージャンも酒もほどほどに弱くて、そのため、労働組合員、現場の人からも好かれたらしい。

強ければ「経営側の犬」と差別されたり、敵視されたと思う。そもそも、組合員や現場の人と仲良くなれなかったと思う。

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長い長い前置きで恐縮です。

この宿舎や寮、組合本部に自由に出入りできた人物が父のほかにもう一人いた。

それがA書店の女社長T子氏のご主人である。

 

当社や労働組合、乗務員宿舎や寮に本を届けていたらしい。自転車の後ろに大きな籠をつけて、注文の本を積み込んで自由に出入りしていたそうだ。この人も、酒もマージャンもボクの父に負けず劣らず弱かったらしい。

当社以外にも本を届けるために自転車に乗って市内を駆けずり回っていたのだろうが、マージャンの途中でよく、奥さんから電話がかかって来たらしい。

ご主人は配達に行くと必ずここで引っかかって酒やマージャンで職員たちと仲良く遊んでしまう。そのことを女社長である奥さんもよく知っていたのだ。仕事中にさぼってと奥さんは腹も立ったに違いないが、ご主人の好きなようにさせていたらしい。

 

 

 

 

 

 

ぼくらの時代には貸本屋があった―戦後大衆小説考

 

ご夫婦にはご存命の頃からに一度もお会いしたことすらないが、ボクの父の話からは何かほのぼのとした仲良し夫婦しか思い浮かばない。その奥さんが、一億円の振出会社の代表取締役社長であったとは思えないのですが事実です。