![麻雀放浪記(5) [ 嶺岸 信明 ]](https://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/2509/9784575852509.jpg?_ex=128x128)
麻雀放浪記
住んでいたのは中野の十貫坂のさいとうプロダクションの前の学生寮。寮の前の商店街は鍋屋横丁。三島由紀夫の『青の時代』の舞台になった高利貸しの事務所のあったところ。
で、一年の時からマージャンばっかりやって学校には行かなかった。二年になったけどマージャンは下手だった。寮の90人のうち半数ぐらいはマージャンやっていたけどボクは弱い方だった。
弱いけど二年の秋にカキヌマという麻雀牌のメーカーの主催する「柿沼杯争奪戦麻雀大会」というのに出た。毎月読んでいた「近代麻雀」という雑誌に募集が出ていたので葉書を出して大会の出場権を得た。
水道橋で降りて後楽園ホールの二階のでっかい麻雀荘に行った。200人以上集まっていたと思う。関西麻雀のような三人打ちじゃなかったから、適当に四人で組まされて雀卓を囲んだ。意外なことに後の三人はボクより下手だった。
ルールは二時間で打ち切り。半荘勝負だが、早く終わればもう半荘、もう半荘とやっていいことになっていた。これがどういう意味を持つか。この大会は総得点を競うもので、例えば半荘三回分の合計得点を三で割って一試合当たりの平均点を争うものではなかった。
だから、半荘当たりの時間が短いほど回数が稼げる。そして四人中なるべく一位になる。二位以下になってもマイナスだけにはならないこと。要は一か八かではなく、振り込まないように固く堅く打って行けば良いのだ。
その日、ボクは調子が良かったのかトップを二回、二位を一回当てて大きく浮いたまま四回目の半荘に突入した。周りのグループは時間切れで最後まで打ち続けていたボクらのところに集まって来た。
あまりにも周りが賑やかでボクはイライラした。後の三人が少しでもペースダウンすると学生のくせにボクは「チッ❢」と舌打ちして先ヅモして上家にプレッシャーをかけた。(早くしろ早くしろ)ボクは心の中で呟きながら、上家が斬る前に先にツモった。南だった。手のうちで役満の小四喜(ショースーシー)が完成した。
ボクは躊躇せずホーラ(和了。あがること。)した。「ツモ!」
周りでギャラリーのため息と歓声が上がった。
「もったいない。大四喜まであとちょっとなのに。」という声に対しては(欲出して上がれる保証もないのにそんなことができるか。)と心で呟き、
「うわー。すげえ。初めて小四喜を見た。」という人に対しては(この人たちは日頃、マージャンやってないんだな。)と思った。
後日、「近代麻雀」で順位が発表された。あの日大会にはなんと300人余りの人が参加していた。ボクは24位だった。
授業に出ずに麻雀ばかりやっていたので学生寮の中では下手くそだったが、世間的にはまあまあの腕になっていた。そのせいで頭が悪いままで学校を卒業した。就職して二度とマージャンはしなかった。