つげ先生のデビュー作は「百面夜叉」で昭和30年の事である。
小学校を出てすぐメッキ工場で働いていた。
昭和28、9年頃か。
メッキの工員は殆ど肺を病んで死んで行くのでそれが嫌で嫌で、
何とか逃げ出して二回も密航を企てている。
母上は、
「ばかやろう。漫画なんかで食えるか。」
等とつげさんに言うほどひどい女性だったらしい。
ところが、晩年認知症を患い、粗野で暴力的なご自身の生来の性格を失念され
優しいおばあちゃんに変貌したとつげさんは言う。
本当は優しい女性だったのかもしれない。
ボクがいらんでええこと言う権利はない。