親友の漫画家が逝ってから一か月、故人の奥さんから満中陰志が届いた。
彼の所は神道でそういう風習はないはずだが、生前の彼の気遣いが奥様にも届いているのだろう。
彼の人生の幕引きの手際の良さには舌を巻く。
はやい時期に「俺の人生はまんざら悪くもなかった。」等と言いびっくりさせたが、
生前の一挙手一投足がエンディングへの伏線の様だった。
生前の写真がメールやラインで届き、闘病中にも関わらず長文のメールが届いた。
そこにボクたちの出会いから発症、入院に至るまでの経緯と心境と感謝の言葉が綴られていた。
そして、逝く数日前かろうじて声が出せる状況の下で、奥様から電話があり、
「うまく声を出せませんが、相手の言葉は全て理解できるのでどうぞ声を掛けてやってください。」
と言われた。
彼は有難うとかすれた声で言い、ボクは泣きそうになるのを我慢して有難うと返した。
18で出会ってから50年一つのストーリーを完結させるように、彼にとっては得意の漫画のストーリーを
組み立てる作業のように鮮やかに人生を終わらせた。
(拙文と手塚治虫先生の御著書のカットは無関係です。親友が生前手塚治虫先生を尊敬していたので。)