前田光世( コンデ・コマ )の時代と言うと明治30年代。この偉大な柔道家が海外に雄飛を決意した頃の事である。総試合数は二千。道着を着た試合では無敗と言われている。主に海外での他流試合と言う事なので本当に強かったのだろう。

前田光世( コンデ・コマ )が渡米するにあたって先輩の富田常次郎と同行している。富田は嘉納の書生からスタートした講道館創成期からの弟子で初めて段位を授けられた人。講道館四天王の一人。文句なく強かったに違いないが渡米の頃にはピークの年齢を過ぎていたらしく対外試合で敗戦している。

余談ながらこの人の息子が、講道館四天王の一人西郷四朗をモデルにして「姿三四郎」を書いた富田常雄。
姿三四郎
月形竜之介
2015-04-22


さて、富田の敗戦であるが、一行は柔道の普及を目的にアメリカを皮切りに欧州と南米にも回ることになるのであるが、その初戦で講道館柔道が敗北することは許されない。前田は富田を負かした相手と再戦し、きちんと借りを返している。

この後、前田はヨーロッパ、南米を回り、ブラジルでグレーシー一族に柔術を教え、アマゾンの開拓の途中に腎臓を病んで生涯を終える。柔術、柔道にその身を捧げた生涯であった。


柔道の歴史 嘉納治五郎の生涯 4 ~怒濤編~
作麻 正明
グループ・ゼロ
2013-05-31