カシアス・クレイ (1972年)

カシアス・クレイが西海岸のラジオ局でゴージャズ・ジョージと対談した時、ジョージは翌日フレディ・ブラッシー(和名ではフレッド・ブラッシー)とのタイトルマッチを控えていた。

 

それは結果の決まったプロレスワークだったがジョージは明日から俺が世界チャンピオンだとわめきたてた。レスリングでは俺が、ボクシングではカシアスクレイが世界一強いとがなり立てた。

フレッド・ブラッシー自伝

プロレスの試合にももちろん掛け率と金を賭ける人々が存在した。

どちらが勝つか?ではなくて何ラウンドでジョージが出血するか、何度リング上でジョージかブラッシ―に謝罪を乞うか、について人々は賭け銭を出したが、前日の大ぼらにたがわず、ジョージは最終ラウンドまでワークを続行しリング上に立ち続けた。

両者流血のドローとなった。

 

この試合と前夜の対談でカシアスクレイはゴージャス・ジョージから教訓を得た。モハメッド・アリに改名し大口を叩き続けた。ボクシングにブックはないがうぬぼれではなく最強の自分がリングの外でも最強を演じ続ければファンは自分の試合を見に来続けるだろうと確信した。また後年、東京でアントニオ猪木と闘った時はブックのないボクシングとブックのあるプロレス、しょせん嚙み合う事のないない試合をショーとして成立させるためには当然すべてがワークであり、ブックが存在すると思い込んだのだ。そしてそれが「リハーサルはいつやるんだ?」という発言につながるのである。

 

昔、西海岸で滞在中、たまたまゴージャスジョージの仕事をホテルのテレビで見た力道山はテレビジョンでプロレスリングを中継することを思い付いた。もちろんそれはワークであり結末はブッカーが決めることとした。

 

唯一例外は昭和29年の木村政彦戦である。

力道山対木村政彦戦はなぜ喧嘩試合になったのか