ボクがまだ銀行員だった時のことだ。ある倒産事件を思い出して胸が痛くなることがある。
通常、銀行員が倒産の現場に出向いたところで得るものは何もない。苛立った債権者の群れに混じっても、ろくな目にあわない。銀行員は場馴れしていないため、黙っていても必ず周りに正体が知られてしまう。
そして、素人債権者や下請け、従業員たちに囲まれて社長の個人預金はわしらの未払い代金として現金で持って来いと怒鳴られたりすることがある。
たとえ銀行に倒産企業の口座が残っていて、何十万円かの預金があったとしても、何千倍かの回収できない貸出金があるとすれば、銀行こそが不幸な最大の債権者だと言う考え方は否定されなくても良いはずだ。
上の記事は退職して一年後くらいの時期に悔しさに任せて書いたものである。今もそうだが当時も酷い文章である。読む人にはさっぱり伝わらないと思うが辞めるボクは在行時の不遇をぼやいているのだった。
銀行の後輩でセールスの達人がいて金貸しの技術は素晴しかった。借入してくれる顧客の質を問わなければまさに貸出量だけは突出していた。
その男が中途依願退職する時に、辞める理由をボクに語った。銀行に対する貢献度は同僚の何十倍もあるのに何で奴らと同じ給料しかもらえないのか納得できない。ノルマ主義実力主義の企業に再就職する。
後輩は帰国子女だから子供のころから欧米風の実力主義が身に付いていたのだろう。それはそれでよいし、あれから十年以上たつがキチンと飯が食えているらしいので彼の考えは間違っていなかったのだろう。
さて翻ってボクの話である。
ボクは普通の銀行員と違った業務内容だった。
回収屋、不良債権の回収係であった。当時はこの業務の担当者は優秀な行員のやることではなかった。不良債務者つまり銀行にとっては、焦げ付きや自己破産者も含めて、あまり有難くない客の相手をする係であった。
しかし、退職した帰国子女の後輩と同じような考えは不良債権の回収係のボクにもあった。
今月は何千万、今期は何億円の回収をしたことか。会社に対する貢献度は、貸出成績の優秀者なんかよりよっぽど高い。不良債権回収屋としての矜持であった。
事実、どんなに貸出を増やしたとしても回収不能の不良債権となれば銀行の損失は増えるばかりだ。利息は入らない。元金さえ戻らない。こういうロスは銀行の収益をどんどん食い潰していく。そういう焦げ付き債権を回収したり、延滞していた利息を回収することは銀行の利益に多大な功績を与えている。
そういう事を知らないわけではないのにバカな経営者どもは貸出金を増やしたり預金獲得ノルマを達成する行員を褒める。人事考課では高評価を与え昇進させる。結果、ノルマ達成にしか興味のない行員が出世していく。
サラリーマンとして希望が無くなったり働くことの意義を感じられなくなった時は潔く退職して正解である。誰にも遠慮はいらない。一度きりの自分の人生後悔することのないよう精一杯生きるべきである。残念ながらボクは前述の帰国子女行員のように自分の待遇を不満として銀行を途中退社しなかった。
しかし、これについても後悔はない。不遇の時代と自分で思い込んでいたあの時期に他の行員が経験できないような債権回収と言う仕事を通じて貴重な経験ができたと思っている。
民事執行法にのっとって裁判所に競売申し立てをして国家権力で回収する、バルクセールと言って債権買取専門会社に債権売却して回収する方法、信用保証協会に代位弁済してもらう方法、連帯保証人から回収する方法、いずれの方法を取ったとしても債務者に憎まれたり恨まれたりしては何にもならない。
そのために債務者と向き合い、よくその意見を聞き、時には相談に乗り、そして互いの状況を改善していく。そういう努力をしてその方法を身に着けたのはその時の苦労が元になったのだと思う。
通常、銀行員が倒産の現場に出向いたところで得るものは何もない。苛立った債権者の群れに混じっても、ろくな目にあわない。銀行員は場馴れしていないため、黙っていても必ず周りに正体が知られてしまう。
そして、素人債権者や下請け、従業員たちに囲まれて社長の個人預金はわしらの未払い代金として現金で持って来いと怒鳴られたりすることがある。
たとえ銀行に倒産企業の口座が残っていて、何十万円かの預金があったとしても、何千倍かの回収できない貸出金があるとすれば、銀行こそが不幸な最大の債権者だと言う考え方は否定されなくても良いはずだ。
上の記事は退職して一年後くらいの時期に悔しさに任せて書いたものである。今もそうだが当時も酷い文章である。読む人にはさっぱり伝わらないと思うが辞めるボクは在行時の不遇をぼやいているのだった。
銀行の後輩でセールスの達人がいて金貸しの技術は素晴しかった。借入してくれる顧客の質を問わなければまさに貸出量だけは突出していた。
その男が中途依願退職する時に、辞める理由をボクに語った。銀行に対する貢献度は同僚の何十倍もあるのに何で奴らと同じ給料しかもらえないのか納得できない。ノルマ主義実力主義の企業に再就職する。
後輩は帰国子女だから子供のころから欧米風の実力主義が身に付いていたのだろう。それはそれでよいし、あれから十年以上たつがキチンと飯が食えているらしいので彼の考えは間違っていなかったのだろう。
さて翻ってボクの話である。
ボクは普通の銀行員と違った業務内容だった。
回収屋、不良債権の回収係であった。当時はこの業務の担当者は優秀な行員のやることではなかった。不良債務者つまり銀行にとっては、焦げ付きや自己破産者も含めて、あまり有難くない客の相手をする係であった。
しかし、退職した帰国子女の後輩と同じような考えは不良債権の回収係のボクにもあった。
今月は何千万、今期は何億円の回収をしたことか。会社に対する貢献度は、貸出成績の優秀者なんかよりよっぽど高い。不良債権回収屋としての矜持であった。
事実、どんなに貸出を増やしたとしても回収不能の不良債権となれば銀行の損失は増えるばかりだ。利息は入らない。元金さえ戻らない。こういうロスは銀行の収益をどんどん食い潰していく。そういう焦げ付き債権を回収したり、延滞していた利息を回収することは銀行の利益に多大な功績を与えている。
そういう事を知らないわけではないのにバカな経営者どもは貸出金を増やしたり預金獲得ノルマを達成する行員を褒める。人事考課では高評価を与え昇進させる。結果、ノルマ達成にしか興味のない行員が出世していく。
サラリーマンとして希望が無くなったり働くことの意義を感じられなくなった時は潔く退職して正解である。誰にも遠慮はいらない。一度きりの自分の人生後悔することのないよう精一杯生きるべきである。残念ながらボクは前述の帰国子女行員のように自分の待遇を不満として銀行を途中退社しなかった。
しかし、これについても後悔はない。不遇の時代と自分で思い込んでいたあの時期に他の行員が経験できないような債権回収と言う仕事を通じて貴重な経験ができたと思っている。
民事執行法にのっとって裁判所に競売申し立てをして国家権力で回収する、バルクセールと言って債権買取専門会社に債権売却して回収する方法、信用保証協会に代位弁済してもらう方法、連帯保証人から回収する方法、いずれの方法を取ったとしても債務者に憎まれたり恨まれたりしては何にもならない。
そのために債務者と向き合い、よくその意見を聞き、時には相談に乗り、そして互いの状況を改善していく。そういう努力をしてその方法を身に着けたのはその時の苦労が元になったのだと思う。