医局でもらった本の中にその事件について書かれたものがあった。私にとってその事件とは長年私の心の中で燻り続ける得体の知れない火種のようなものであった。

 

昭和29年生れの私がそれまでの人生の中でこの事件について両親や教師から見聞きして知っていたのは以下のような事実である。

西日本の昭和29年、30年生まれの赤ん坊の間に奇妙な病気が流行した。様々な障害が体のあちこちに発生した。発熱、発疹、下痢、皮膚がどす黒く変化した。当初は奇妙な感染症か何かと思われた。ほどなくこれが大手の粉ミルク製造会社の徳島工場で製造された缶入り粉ミルクに混入していたヒ素が原因であることが判明した。

 

私は幼稚園には一年しか通わなかったが、同じクラスの園児が一人亡くなった。ヒ素ミルクの被害児だった。「あの子はなぜ幼稚園に来ないの?なぜ死んだの?どこへ行ったの?誰が悪いの?」私は訳も分からず母親を問い詰めて泣いていた記憶がある。

 

そして、小中学校の経験の中でヒ素ミルクに関する強烈な悲しい思い出がある。毎年、クラスの同級生の中に体育の授業を受けられない子、学校を休みがちな子、顔色の悪い子、杖をついた子たちが数名いる。そして、同級生が一人二人学校に来なくなる。亡くなっていく。

小学校3年の時、同じ年に二名のクラスメイトが亡くなった。私たちはクラス全員で告別式に出席した。みんな泣いていた。先生も泣いていた。

 

1969年昭和44年7月21日アポロ11号が月面着陸に成功した。この時私は中学三年だったがこの日に学校を休んでいたクラスメイトが亡くなった。学校で月面着陸成功のニュースをみんなで見て拍手した直後に亡くなったという知らせがあった。電話を受け、担任の女性教師は泣き出した。クラスメイトもみんな泣いていた。

 

こうして私たちの年代のものは直接的にヒ素ミルクによる障害を持った人もヒ素ミルクによる悲しい思い出を背負った人も年を重ねていく。

 

しかし、当の企業も政府も何ら手を打たず、補償や責任の話が公になったのは昭和52年、つまり昭和29年、30年生まれの人たちが大学を卒業する年のことであった。 

 

私は、私が生まれた年に起きた悲しい事件の内容についてほとんど無知なまま老境を迎えてしまった。知らなかったでは済まされない悲しい事件について多少なりとも真実を知り先に逝った同級生たちの御魂に合掌したいと思う。

エンゼルの青春―森永ヒ素ミルク中毒事件被災児の記録 吉田一法写真集 (1973年)