世相・事件

友情と中傷の間で(後)


ボクが誹謗中傷を受けている事、本名で記事を書くことに対しての怖さ、家の者がそういう書き込みを見て体調不良になっている事、よってしばらくは記事の投稿を休みたいと告げた。

そうすると友人は何を思ったのか、ボクが記事のギャラが払われていないことに不満を言い出したと勘違いした。

ギャラはそのうちまとめて払う、実名が気に入らないならペンネームを考えるなどと言い出した。

そこから話はこじれた。金のことは一言も言っていないのに友人はすぐ無償で書かせていることの言い訳を言い出した。

 ボクは友人が学生時代から知人に借金をして散々踏み倒してきた前科があったことを思い出した。金に汚いというのは嫌なものだ。ボクはますます気がめいった。

 

それから一度だけ記事を彼の考えたペンネームで書いた。東京都の運営する豊洲市場への移転問題についての考察記事だったが、名前を変えたところで文章の癖が変わるわけもなく、これにも誹謗中傷メールは届いた。

 おまけに肩書欄に彼はボクのことを「経済評論家」と書いた。とんでもない嘘だ。

ボクは彼との交際は無理だと判断した。

築地から豊洲へ (~世界最大市場の歴史と将来~)

友情と中傷の間で(前)


【自然のポストカードLac et Soleil】青空と雲の葉書49ハガキはがき photo by MIRO

友人が運営するブログにちょっとでいいから記事を書いてくれと言ってきた。

彼は本も出しているしその道ではウィキペディアにも載っている有名人だったので、

OKした。

ただ、無名のボクの書いた文章を読む人はいないと思っていたから最初は断った。

誤字脱字するだろうし、句読点の正しい打ち方も知らないようなやつの記事が面白いわけないじゃないかと言ったら、俺がサポートするから頼むと友人。

お前のメールやなんかなかなか面白いし、それを俺んところのブログに載せたら読者もふえると思う。ただギャラが払えないんだけどなと彼は言った。

正直に言ってくれたし、友人から金をもらう気もないし、ボクの文章の添削してくれるというのでプロとボクのような素人の文章力の違いも見てみたいと数編記事をメールした。

 

なかなかいいぞ。毎週載せるから。ほかの記者が書けない時は毎日でもお前のを載せるからどんどん送ってくれと言われた。

 

しばらくは毎週記事を5、6編送っていたが、すく変な事に気付いた。

ボクの肩書が文筆業となっていた。それにボクの本名がその横に書かれていた。

ボクの知人だろうかやがて批難する人が現れた。

「文筆業などとうそをついている。」

「本の一冊も出していないくせに、こんな文章力で文筆業とは笑わせる。」

 

批難や中傷の投稿は続きボクは記事を書くのが嫌になった。

友人にそれを告げると慌ててメールしてきた。



久々にカレーを作ったが コメがない。

久々にカレーを作ったが

コメがうちにない。

 

スーパーには、

五キロ7000円

とか4500円のしかない。

 

バカ野郎!

誰に文句言えばいいんだ?

 

仕方ねえから

安売りのキャベツに

カレーかけて食った。

 

ボケ大臣ども

お前らにも食わせたろか!

 

カレーキャベツ

 

胃にも優しいし

よく噛むと甘みが

出て案外食えるぞ。

 

いかん‼

別の話になっとるやんけ

良い人悪い人選んでる場合か!

先日、ボクをだまそうとした屋根瓦詐偽師は悪い人だ。

そのほかのボクの身の回りの人は良い人だ。

永年、良い関係を続けていた人と些細なことからトラブルになったりすると悪い人になってしまう。

なんとも思っていなかった人が何かのきっかけでとても良い人になったりもする。

でも、本当は自分の思い込みひとつなんだけど。

詐欺師だって実害はなかったから悪い人じゃあない。これは違う!

こんな神様みたいな考えはボクにはない。


年寄りになると皆決まって、若い時からもっとたくさん友達を作ればよかったとか、

あの時、ケンカ別れなんかするんじゃなかったとか言うんだけど、後の祭りだよね。


ただ、少なくても、たった一人でも友達がいた方がいいに決まっているから、

ボクにとって良い人と悪い人とか、セグメントしてちゃダメだね。

老い先短いのに選んでる場合か!てとこですかね。





詐偽は許せん<屋根瓦詐偽>

〇〇さんの家の外壁工事の△△塗装と言います。工事でしばらくご迷惑をおかけします。」

というのが普通の工事業者だが、今日来たのは詐欺師だから、名前も工期も施主の名も言わない。
名刺も粗品のタオルも出さない。

その詐欺師が何と言ったかというと、

もう、ご存じだったらすみません。お宅の屋根瓦、割れていますよ。」

そう言われてびっくりしない人はいない。

分かった。ありがとう。すぐ知り合いの工務店を呼ぶ。」

そしたら、その詐欺師は「そうなさってください。」と言いあっさり引き下がった。

その男が詐欺師と分かったのは、夕方、知り合いの工務店に連絡してから後である。

屋根も見ずに工務店の現場監督は言った。

最近その手の詐欺が横行しているんですよ。屋根の方は明日、見に行きますが、
知り合いの工務店に相談すると言わなければ、うちですぐに格安で修理すると言って
金だけ取って逃げるパターンです
。」


☆         ☆
おい‼詐偽師のお前。
顔はうちのインターホンで録画したからな。
警察に突き出してやる。
覚悟しろ。



薬害の怖さについて 〈 2014年6月6日の記事より『 尾崎豊とGRIKO 』〉


ALL TIME BEST

 

かつて、尾崎豊と言う歌手がいた。いたと、過去形で言わなければならない
夭折の天才シンガーである。


日本は法治国家である。薬物等に関する取締法が存在し違法行為は許されない。
しかし、尾崎の死についてボクごときが軽々しく言うことは慎まなければならない。
その人の生き様に他人が口を挟めないように、その死についても言うべき言葉は
慎重でなければならない。


尾崎は、ボクより11歳年下だったが今のボクより34年も若くして亡くなってしまった。
サラリーマンだった頃、十歳くらい年下の後輩がどういう訳か、
我が家を気に入ってよく晩御飯を食べに来た。
家人は大変喜んで晩飯を作った。ある時、尾崎の話題になった。


  「尾崎、良かったすよねえ。」

  「うちも好きやったわあ。声量があって.....。」

  「そうス!あのシャウトが今の歌手には出来ないんスよねえ。」

  「へえ~。若いのによく知っているんやねえ!」

  「そりゃあ、オレらの年代は尾崎は神!ですから。」

  「えっ⁉そうなん?うちらの小学生の頃、凄い人気やったけど。」

  「???奥さんの言ってる尾崎って、尾崎だれ?!」

  「尾崎紀世彦!」

というオチが分かる人も少なくなった。

ゴールデン☆ベスト 尾崎紀世彦[スペシャル・プライス]

 

大阪にGRIKOと言うインディーズのロックバンドがいる。
リーダーは尾崎豊を崇拝している。尾崎もGRIKOも音楽のジャンルはロックと言って良い。
アメリカで誕生した頃のロックンロールと
オールド・ディキシーランド・ジャズとの境界は曖昧模糊としているらしいが、
ただ、尾崎にもGRIKOにもニューオリンズ・ジャズの定番「聖者の行進」を
彷彿とさせる曲がある。

歌詞が似ているわけではない。メロディーが似ているわけでもない。

ボクは尾崎とGRIKO、両方の曲を聞くたびに
このオールド・ディキシーランド・ジャズの名曲を口ずさんでしまう。


♪ Oh, when the saint go marching in~ ♪

聖者の行進


なぜだかわからない。尾崎豊に確かめることはできない。
GRIKOについてはリーダーに訊ねたことがある。

  「ディキシーランド・ジャズのスタンダードで
『聖者の行進』♪~天使が街にやって来るって知ってるよねえ。」

  「知らないっすよ。」

GRIKOのリーダーは『聖者の行進』を知らないと言っている。
尾崎は自分の著書で影響を受けたアメリカの何人かのロックシンガーの名前を挙げている。

しかし、両者ともルイ・アームストロングから影響を受けた痕跡はない。
おそらくモチーフもヒントすら得ていないと思われる。

 


2011年12月9日午前10時ころ、勤務中に脳卒中の症状で
地域の中央病院に救急搬送されたボクは、小康状態のまま、
10時間後の夜の8時に大阪のファンダンゴというライブハウスにいた。
GRIKOがその夜トリをつとめるライブを見るためである。


倒れた日の10時間後に200キロ離れた大阪のライブハウスにいる。
まして真冬の12月。死んでもいいのか⁉ボクの血管は悲鳴をあげていたに違いない‼

この夜のライブはずっと前から楽しみにしていたこともあり、
ボクとしては何としても聞いておきたかったのだ。家人は猛反対した。

  「命とロックのライブとどっちが大事なのよ‼」

ライブについて来た家人はその夜の冷え込みよりも
ロックバンドの奏でる爆音がボクの身体にはリスキーでないかと心配していた。


翌日、奇跡のようなことが起こった。
12月10日、大学病院で検査を受けたボクに医師はどこにも異常はないと告げた。
そして、2週間分の薬を処方し、それがなくなったら、
再度精密検査を受診するようボクに薦めた。

ボクは病院からの帰路、ディキシーランドジャズの名曲を口ずさんでいた。

♪ Oh, when the saint go marching in~ ♪

お父さんは死んじゃったけど ちっとも悲しくないよ      
僕とお兄ちゃんは生きている     天使がお葬式の帰りに僕らの町にやって来た
天使が町にやって来た    僕らはきっと生きていく

 

尾崎豊は死んだけどGRIKOとボクは生きていく。
ロックやジャズを聴きながら…。


  合掌。

 

街路樹(2枚組スペシャルエディション)(Blu-spec CD)

 

 


テレビで複数のコメンテーターが薬物事件は被害者のいない事件と言ったが、
絶対に間違っている。ボクは断言する。多くの被害者が存在する。

そうでなければ命を懸けて薬害をボクらに示してくれた尾崎の御霊に申し訳ないじゃないか。

 

「弱いもんどうしのケンカ」平成の銀行ハラスメントのお粗末

もう古希を過ぎましたのでさすがにバカな真似はやりませんが十年ちょっと前、職場の古参(と言っても定年前や定年過ぎてもやめない嘱託社員の寄せ集めのような部門の古株、つまり60過ぎの爺さん)と揉めたことがあった。その部門は文書の精査だけを一日中やるところで、通称老人ホームと呼ばれていた。正式名称は「債権書類集中センター」。

銀行の営業店で使い物にならなくなった定年前のロートルや定年後も居座り続ける無能老人のたまり場のようなところだった。かくいう私も営業店ではもはや不要の烙印を押されたポンコツ行員だった。揉めたというのは今でいうハラスメントである。

役員にはなれなかったが気位だけは高いかつての無能支店長のなれの果てが65歳近くなって尚且つ、職場にしがみついていたのである。そして後からその部門「債権書類集中センター」に入って来る後輩に嫌がらせをするのである。

元銀行支店長という職業くらい世間知らずで傲慢な人間はいない。私と揉めたこの老人もまさにその典型であった。

世間の人は銀行支店長と言うと温厚で客に親切なイメージがあるかもしれない。実は真逆ですぐ切れるし、客を金づる、利用する者くらいにしか考えていない。何しろ部下の手柄は支店長の手柄。部下の落ち度は部下の責任。支店長の落ち度も部下の責任というのが銀行と言うところである。

そういうのが、この職場通称老人ホーム「債権書類集中センター」にいた。そして赴任間もない私に口やかましく嫌がらせをしてきた。私が老人ホームに飛ばされた理由は営業店で頭の悪い支店長をやり込めたということを知らずにこの先輩老人は私にハラスメントをした。私がもし気弱な定年前の行員だったらこの先輩老人の嫌がらせは奏功したと思う。しかし私は昇進も昇給にも興味のない中年のはみだし行員であった。

私がいつもの癖で「うるせえ!ジジイ!お前は黙ってろ!」と言ったものだから、先輩老人は目を白黒させその後ブチ切れた。私の胸倉をつかみ「お前は誰に向かって物を言うとるんや!?」と怒鳴った。

私はわざと余裕を見せながら先輩老人の腕をねじ上げ、後ろにいた課長に断わった。「課長。ご覧の通り、このジジイが先に暴力を振るいましたので私このケンカ買いますけどいいですか。」

すると、課長は何と半泣きで「この部屋ではやめてくれ!俺が処分される!」と叫んだ。

私は「なんだ?どうなってるんだ!この職場は!バカばっかりか⁉」と吠えてから、先輩老人を朽ち木倒しで転がして(怪我のないよう優しくひっくり返してやった)相手も課長も見ずに自分の席に帰った。

翌日、懲戒処分が出るかと思いながら出勤したが何も起こらず、翌日も翌々日も私に対する処分はなかった。課長がわが身の監督責任を問われ処分されることを恐れ、もみ消したらしい。

取っ組み合いした当の相手の先輩老人はハラスメントをぴたりとやめて私のことを君付けで呼ぶようになった。

この騒ぎ、課長はもみ消したはずだったが、「債権書類集中センター」が入っていた 7階建てのビル全部にうわさが広がっていた。数日後、食堂で昼食をとっていた私のテーブルに数人の若い行員がやってきて口々に話しかけて来た。

「聞きましたよ。『債権書類集中』のジジイを投げ飛ばしたそうですね。」「僕らもあのジジイにいつも嫌がらせされていたんでスーッとしました。」「課長も部長もあのジジイの後輩だから見て見ぬふりをするんですよ。」


「君らは関係ないからいい気味だで済むけど、俺のやったことは暴力だからな。もし、傷害事件に発展したりしたら、クビだぜ。深く反省してますよ。二度とこんな事件は起こしません。」とふざけた調子で私は若い行員たちに告げた。

明治生まれの祖父の名前が変?

祖父は没落地主の末裔だったが名前が変だった。閑(かん)と言う。ひまという字だ。いくら明治生まれと言っても地主の家の惣領だ。親も漢字くらいは書けたはずだし、地主の家の跡取り息子なら親の期待も大きかったはずだ。然るに閑である。どういう思いで長男にこの名前を付けたのだろう。不思議でならない。
で、親友の漫画家に尋ねたことがある。
「俺もよくは知らないが漢字の元々の意味が違うんじゃないか?あくせく働くことが美徳ではなかったのではないか。君の爺さんは名主だったから忙しい忙しいと言って労働に追われることはなかったはずだ。働くのではなく働かせ年貢を管理するのが名主の仕事だからな。つまり閑なことが美徳であり理想形だったのじゃあないか。閑=幸福だったんじゃないか?生前にお爺さんに聞いてみるべきだったな。」



超人気の大相撲部屋に土足で上がり込んだズべ公芸能人①




YouTubeで現在、大人気の相撲部屋がある。関取は一人だが幕下から序二段までの若い取的さんたちの日常とちゃんこの食べっぷりなどを配信して大人気である。長く人権無視や暴力事件、いじめ、ハラスメントの温床のように誹謗中傷されてきた角界の弟子たちに光を当てている。十数人の青春群像劇のようであるが実はドキュメンタリーで脚色、やらせのない真実である。

それから、師匠とおかみさんが実にいい。私たち老夫婦の子どもくらいの年齢だが厳しい中にもほのぼのとした愛情を持って弟子たちに接している。関取も若い衆の尊敬を集めていて怖いけれども後輩たちはあこがれているようだ。

若い衆の中で一番関取に近い幕下上位の取的さんがYouTubeの中で、「自分たちのありのままの日常を見て興味を持ってお相撲を目指してくれる人が増えてくれたら嬉しい。」と語っていた。本心だと思う。

そう言うこともあって私達老夫婦は毎日朝起きてから夜中までこの相撲部屋のYouTubeを楽しみに見ている。何回も何回も毎日毎日見るため、力士の本名、四股名、、身長、体重、階級、得意技、出身校、家族、趣味、外見の性格などはそらんじて言えるようになった。YouTubeのタイトルから内容は説明できるし、次にどんなシークエンスになるかも言える。老夫婦が互いにあきれている。まるで孫に熱中している老人である。老い先が短いので許してほしい。


と、ここまで書いてきてつづきを書くべきかどうか迷っている。続きはタイトルのような芸能人の悪口になる。私が憤慨している回のYouTubeは数日前に配信されたため、すでに話題になっているらしい。私同様その回の配信を見て友人たちも「ものすごく不愉快だった。」「あの回だけはもう絶対見ない。」と言っている。

また、タイトルが下品だ。叱られたら書き直すことにする。
内容は続けて書くかどうか迷っています。























































































































































入れ替わった二枚の計算書

昔話で恐縮ですが。

部下が青い顔をしてやってきた。
「A社にB社の割引計算書が届いたとの電話がありました。」
A社は優良先のメーカーで商手の割引レートは2%に優遇されていた。
そこに要注意先の連続赤字企業B社の計算書が誤封入されていたらしい。
B社の割引レートは6%と、最も高いレベルのレートであった。

(逆だったら一騒動あったところだとほっとした。)
A社にしてみれば、
(今時、こんな高いレートで割引している企業もあるのか?気の毒に。わが社は恵まれているなあ。)
その程度の反応に違いないと思ったが。


が、愕然とした。A社の2%の割引計算書はB社の封筒に誤封入のまま発送されたのではないか?
まずそうに違いない。
で、2%の割引計算書を見たB社の社長はどんなふうに感じるだろう。
零細な赤字企業だとしても社長はまじめに事業を営んでいる。
有名会社で優良企業と評判のA社並みとはいかなくてもせめて3%か4%なら我慢できるが他者の三倍もの金利を徴収されていると知ったらB社の社長は間違いなく怒るであろう。
場合によっては取引解消にもなりかねない。

私はすぐに営業課長にB社に行き謝罪してくるように命じた。
私もできる限り早く約束のある来客との面談を済ませてからB社に向かうと告げた。


来客は単なる表敬訪問だったのでそこそこに済ませて私はB社に車を向けた。
B社の小さな事務所兼工場が得て来た時、営業課長の姿が見えた。
彼も私に気づいてにこにこ笑いながら近づいて来た。

「大丈夫でした。事なきを得ました。」
彼は右手に封緘の破られた封筒を持っていた。

「社長はいたのか?」
「いいえ。留守です。事務所も鍵がかかっています。」
「じゃあ、君。その封筒はどうしたんだ?」
「郵便受け見たら当行からの封書でしたからちょっと失敬して開封したら案の定A社宛の計算書だったので回収してきました。」
「えっ⁉そんな事をしたら郵便物の窃盗と開封で罪になるだろう‼」
「いや、ばれなきゃいいんですよ。それとも、支店長はB社と揉めたいんですか?こうすることがB社の社長にも迷惑をかけない事になるんですよ。」

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結局、私は営業課長の行為を黙認したがその後二度と管理職につかず退職した。



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