プロレス

ジャイアント台風4巻~ちょっとだけマンネリ。

LINE_ALBUM_202372_230702_0


『ジャイアント台風4巻』登場するレスラーが二回目以降の人がいてちょっとだけマンネリ。

(初登場)
ハッピー・ハンフリー
ターザン・ゾロ
アーニー・ラッド
ハンス・モーター
ザ・ビースト

(再登場)
ヘイスタック・カルホーン
ブルーノ・サンマルチノ
カウボーイ・ビルワット
ルー・テーズ
フリッツ・フォン・エリック
グレート東郷
ザ・デストロイヤー



ボクは子供の頃、同級生のハーフの子に少年キングを貸してもらって『ジャイアント台風』を読んでいた。彼は肌の色が冬でも真っ黒で日焼けしてたのかと、ボクは本気で思っていた。名前も日本名だし、だからそれは個性だと思い、肌の色が黒いとか言ったことはない。ボクもでぶと言われるのが嫌だったように。

実は彼は父親がアフリカ系アメリカ人だった。後から知った。
















ジャイアント台風3巻~人の道、正義の道を説くプロレス漫画の金字塔!梶原節絶好調‼



ジャイアント馬場 王者の魂 VOL.2 [DVD]










ジャイアント台風第三巻では登場するレスラーがさらに増えて17人。
強いレスラー、うまいレスラー、怪奇派レスラー、人気のあるレスラーいっぱい出てくる。17人もいると列挙するだけで面倒だけど、、、、、。

馬場正平
バディ・ロジャース
ブルーノ・サンマルチノ
ミスターМ
ミスターX
ドクター・ビル・ミラー
力道山
カール・ゴッチ
ザ・シーク
キラー・コワルスキー
ジム・ライト
サニー・マイヤース
パット・オコーナー
エドワード・カーペンティア―
プリモ・カルネラ
スカイ・ハイ・リー

今回明らかに梶原一騎先生の脚色と思われるエピソードが二つあったので検証してみたい。

まず①のバディ・ロジャースである『ジャイアント台風』の中ではロジャースは「チーズ・チャンピオン」として描かれ馬場の挑戦を逃げ回っている卑怯者として描かれる。しかし、馬場さんの著書『たまにはオレもエンタテイナー』の中では実力と人気のあるキングオブキングスとして描かれている。新人時代の馬場さんはロジャースのスター性やかっこよさ、強さにあこがれている。米国修行中の天龍源一郎さんも晩年のロジャースと対戦して掛け値なしで強かったと証言している。



次に②のブルーノ・サンマルチノ
については『ジャイアント台風』の中では若い頃、出世競争を誓い合った親友で宿命のライバルとしている。おそらく梶原さんの漫画を読んで育った記者が後年、直接サンマルチノに質問している。



記者「馬場正平とブルーノ・サンマルチノは若き日にニューヨークでプロレスラーとしての出世競争を誓い合ったのは真実か?」

サンマルチノ「ごめん、よく覚えていない。ただ、馬場は英語が話せなかったので私とはフレンドリーではなかった。誰かと人違いしていないか?」



記者「馬場はアメリカでバディー・ロジャースの試合を見て憧れ、チャンピオンシップを戦って尊敬するに至った。と言う話があるが、馬場と同年代の選手として貴方はバディー・ロジャースをどう評価するか?」

サンマルチノ「馬場がロジャースを崇拝し、そのようなレスラーに成りたいと考えたのは彼の自由で構わない。私はレスラーとしても、チャンピオンとしても、ロジャースのやり方は間違っていると思う。人間的にも好きではない。」

「馬場が誰のファンであろうと私には関係ない。馬場が私をオールジャパンに招聘してくれて以来、彼が私に不誠実であったことは一度もない。彼は世界中で一番信用できるプロモーターであり、信頼できる対戦相手だ。」




やはり、馬場サンマルチノ親友宿命のライバル説は梶原一騎先生の創作だったのかもしれない。しかし、ボクは個人的には素晴らしい創作だと思う。子供のころから、こういうストーリーが大好きでしかたない。


さらに、ついでに興覚めだが記する。馬場さん逝去後、ジャイアント馬場の引退興行で三人の外人レスラーが呼ばれた。ジン・キニスキー、ザ・デストロイヤー、ブルーノ・サンマルチノである。ジン・キニスキーとザ・デストロイヤーは涙ぐんだりこぇを詰まらせたりしていた。しかし、ブルーノ・サンマルチノはまっすぐ正面を見据え弔辞を述べた。それは永年のビジネスパートナーに贈る別れの言葉だった。

サンマルチノ「馬場が私をオールジャパンに招聘してくれて以来、彼が私に不誠実であったことは一度もない。彼は世界中で一番信用できるプロモーターであり、信頼できる対戦相手だった。サンキュー・ババ。」



さらにさらに余談ついでにその後のネイチュアー・ボーイ、バディー・ロジャースの消息について書く。1992年スーパーマーケットで床に落ちていたクリームチーズに足を滑らせ頭部を強打して死亡した。享年71歳。 合掌。





『ジャイアント台風・2』ニューヨーク無冠の帝王・鳥人・アントニオロッカの虚実綯い交ぜを紡ぐ梶原一騎の世界

DVD プロレス最強列伝炸裂!驚異のアルゼンチンバックブリーカー RAX-114 格闘技 アメリカンプロレス アントニオ・ロッカ ハンス・シュミット ルー・テーズ ザ・ビースト アントニーノ・ロッカ 幻の帝王 レスラー 70年代 80年代 プロレス 格闘家 スポーツ [メール便]
DVD プロレス最強列伝炸裂!驚異のアルゼンチンバックブリーカー  アメリカンプロレス アントニオ・ロッカ  アントニーノ・ロッカ 幻の帝王 レスラー 70年代  プロレス 



第二巻で馬場さんのアメリカプロレス武者修行はいきなり佳境に入る。登場人物も一挙に四人増える。

馬場正平
デューク・ケオムカ
フリッツ・フォン・エリック
アントニオ・ロッカ
力道山
フレッド・ブラッシー
ミスターМ
ロイ・マクラリティ―
スィート・ダディ・シキ
ハード・ボイルド・ハガティ
ドクター・ビル・ミラー
ボボ・ブラジル
アントニオ猪木

この中でボクの好きなレスラーはアントニオ・ロッカだ。
世界中のレスラーの中で最高のギャラを稼いだ男。チャンピオンベルトに執着しなかった男。技の神様。黄金の男。鳥人。ニューヨークの帝王。無冠の帝王。様々なエピソードが残されているがボクが一番好きなのは修業時代の馬場さんがアントニオ・ロッカに勝利したこと、だがロッカはリングを降りると新人の馬場にもフレンドリーで会うたびに葉巻をくれたという話などである。

馬場さんのトレーナーのフレッド・アトキンスは「飛んだり跳ねたりのサーカス野郎」と軽蔑したらしい。鉄人ルー・テーズは「自分勝手な試合運びでレスリングにならない」と切って捨てたようだ。

そして『ジャイアント台風』の中でアントニオ・ロッカにまつわる一番凄まじい話は「日本人柔道家殺害事件」だ。今でいうところの、リング上の異種格闘技戦でアントニオ・ロッカが日本柔道家谷五段を弑してしまったというのだ。

梶原一騎先生は「1961年フロリダの夏は暑かった。」という書き出しの名調子でその悲惨なエピソードを紹介している。その事件の出典がアメリカのプロレス専門誌なのか、当時のフロリダのプロレス紙なのかわからない。底本を明らかにしていないことから梶原先生の創作であったかも知れない。

とにかくそうやって梶原さんは余談で盛り上げてロッカの強さ、非情さをクローズアップして最高潮に達したところで1962年3月29日ニューヨーク、マジソン・スクェア・ガーデンで両者が対戦したという事実にボクらを引きずり戻すのである。

どうでしょうか。素晴らしいストーリーテラーだとボクは思うのですが。

ボクらはあのころ梶原一騎先生を教師としてプロレスや力道山やジャイアント馬場を学習していた


ジャイアント台風―ジャイアント馬場物語 (1) (講談社漫画文庫)



『ジャイアント台風』を講談社の文庫で久々に読んだ。ジャイアント馬場さんのプロレス修業時代(主に海外)の試合内容とエピソードを時系列的に延々とコミックにしているのである。

ボクは力道山関が亡くなった後プロレスを見るのをやめた時期があったので豊登の台頭も馬場さんのワールドシリーズ連覇も知らなかった時があるのだけど、ちょうどそのころのプロレス界の様子を梶原一騎先生がコミックの原作として書いたものだ。

ジャイアント馬場さんが実名で登場し海外武者修行を経て超一流のプロレスラーになるまでを描いてはいるが、現実に馬場さんが考え行動したこととコミックの内容に乖離があるのは致し方ない。

梶原先生の原作で同様のテイストの物語に『空手バカ一代』があるが、こちらはこちらで素晴らしいが、『ジャイアント台風』の方は試合結果だとか試合記録はキチンと残っているので、あまり事実を逸脱するようなストーリーの進行は無理がある。

『空手バカ一代』の方は大山倍達さんの戦績は正式記録と言うものがあまり残っていないため、ある程度、梶原先生がデフォルメしても読者にはわからない。
『ジャイアント台風』は事実や馬場選手の実績を踏まえて物語は進行していく。それだけにストーリーの組み立ては難しかったと思う。

本編を読んでいて思い出したのだが馬場さんに関するエピソードや知識はこの作品で学んだことばかりだった。ボクらはあのころ梶原一騎先生を教師としてプロレスや力道山やジャイアント馬場を学習していたのだ。




【『ジャイアント台風』講談社文庫全6巻中第1巻の主な登場人物 】
(実在する人)
馬場正平
力道山
キラーコワルスキー
ジョニーバレンタイン
ブルーノサンマルチノ
アーノルドスコーラン
ブルカリー
フリッツフォンエリック

(架空の人)
ジョージ岡本ミノル

馬場さんの大ファンで親友の日系少年と言う役どころ。
純真な少年ファンとの交流がストーリーに花を持たせたり、強敵との試合の勝利のヒントになったりする。梶原漫画のだいご味で特徴で大切な必要不可欠なキャラクターとなっている。



プロレスの味方の人のプロレスの見方





1970年代の初めころよりプロレスファンがものすごく饒舌に変化していったことがある。プロレス雑誌を二誌とプロレス新聞を二紙購読してしたが、一般のプロレスファンがひどく理論武装するようになった。非力で腕力に自信のない学生が口先でペラペラ言ってけんかの強い体育会系男子を煙に巻くというのによく似ている。
プロレスにいろんな見方があると言い出したのは村松友視だったが「私、プロレスの味方です」が出版されたのが1980年であるからファンがプロレスを言葉であれこれ解説してみせると言うのは、村松さんが本を出したころにはもう世間一般のプロレスファンの「あれこれ理屈を言い合ってプロレスを楽しむ」という風潮はごく当たり前のことだったのだろう。

プロレスが好き

生まれた時から

日本のプロレスは始まっていた

力道山がいた

悪い外人レスラーがいた

空港で覆面のまま暴れた

世界チャンピオンもいた

アメリカの大統領なみの歓迎に沸いた

それらみんなを力道山かやっつけた

空手チョップでやっつけた






BlogPaint

BlogPaint

力道山と日本プロレス史 (梶原一騎著)を読んで


最終章以外は1971年の執筆らしいです。

漫画、劇画の原作では「空手バカ一代」の少年マガジン連載開始の頃の梶原一騎さんの、いわば絶頂期(私見です)に書かれたものです。

推薦文を極真会館の大山倍達総裁が故力道山関の思い出とともに書いています。が、その文章が梶原先生の筆致に似ているのもご愛嬌です。

当時大山倍達総裁と梶原一騎先生は大親友、義兄弟ともいわれた時代です。梶原一騎先生が多忙な大山倍達総裁に代わって自分で自著作品の推薦文を書いて、「大山先生、こんなことを書いておきましたけど、名前だけ貸してくださいね。」等と言ったんだろうか?と勝手に妄想しています。

それくらい私は梶原一騎先生も大山倍達総裁も力道山関も大好きでこの本を読めて幸せです。

アメリカ修行時代の力道山関のブック破りのエピソードが胸を打ちます。
ルー・テーズのように自分の試合の筋書きは自分自身で作ると決意したであろう力関の米日における思想と言動を代弁しているようで梶原一騎さんの
最も充実した時代の筆の冴えに感動します。

力道山と梶原一騎

力道山と日本プロレス史

梶原一騎先生が何かの本で力道山関について書いていたことがある。

まだ梶原さんが力関に面識のない頃、少年雑誌に力道山に関する読み物を書いたそうだ。

今なら本人の許可を取ってから書くだろうが肖像権とかパテントがずいぶんいい加減な時代の話、

ある時、力関本人から梶原先生のところに電話をかけてきたそうだ。

梶原さんにしてみれば許可も取らず、インタビューもなしで記事にしているものだから

ものすごい負い目をもってこわごわ電話に出たそうだ。

力関は開口一番、いつもプロレスや力道山について子供向けの読み物で好意的に書いてくれて

感謝しています、今後ともよろしくという内容だったそうだ。

叱られることもなく逆に優しい言葉を掛けられてお墨付きをもらったようなものでとても感謝したと言

うふうに結んでいたと思う。

ボクなど、もちろんテレビのプロレス中継や実写の「チャンピオン太」、少年雑誌の記事を読んで

力関について知識を仕入れていた。。





ブルーノ・サンマルチノの話




その時のプレスマンは過去に得た知識だけで二つの質問をサンマルチノに投げ掛けて失敗した。
最初の質問は、

「馬場正平とブルーノ・サンマルチノは若き日のニューヨークでプロレスラーとしての出世競争を誓い合ったのは真実か?」

と言うものだった。

これに対するサンマルチノの回答は、

「ごめん、よく覚えていない。ただ、馬場は英語が話せなかったので私とはフレンドリーではなかった。誰かと人違いしていないか?」

とだった。


二番目にプレスマンは、

「馬場はアメリカでバディー・ロジャースの試合を見て憧れ、チャンピオンシップを戦って尊敬するに至った。と言う話があるが、場と同年代の選手として貴方はバディー・ロジャースをどう評価するか?」

と質問した。

返してサンマルチノは、

「馬場がロジャースを崇拝し、そのようなレスラーに成りたいと考えたのは彼の自由で構わない。私はレスラーとしても、チャンピオンとしても、ロジャースのやり方は間違っていると思う。人間的にも好きではない。」

さらに、

「馬場が誰のファンであろうと私には関係ない。馬場が私をオールジャパンに招聘してくれて以来、彼が私に不誠実であったことは一度もない。彼は世界中で一番信用できるプロモーターであり、信頼できる対戦相手だ。」

と語った。


この二つの質問はどちらも失敗であった。しかし、サンマルチノのビジネスパートナーとしてのジャイアント馬場の立場について日本のプロレスマスコミとしては新しい発見をしたと言っていいだろう。


雲上の巨人 ジャイアント馬場

バディーロジャース

日本のファンがその試合を日本で見ることのできなかった偉大なプロレスラーと言うとバディーロジャースとアントニオロッカです。ボクは二人とも大好きなのですがテレビでも生でも見ていない。YouTubeやテレビの世界のプロレスやプロレス雑誌でしか見たことがない。
それなのになぜそんなに惹かれるのだろうか?
タイトルとかケンカの強さとかにはあまり興味がない。格闘シークエンスの見せ方の凄さ、鮮やかさと言う点で惹かれるのだろうと思う。

最近ではバディーロジャースの記録や写真、動画、エピソードに凝っている。フィギアフォーレッグロックはデストロイヤーがロジャースのパクったと言うことが最近では常識だし、クラシカルのパイルドライバーもロジャースの発案と言われている。ロープに飛んでのドロップキックもロジャース以降と言われている。

またダーティーチャンプとかゴッチとミラーによるリンチ事件とかその最期はスーパーの床に落ちていたアイスクリームに足を滑らせて後頭部を打撲、それが死因だったという悲しい人生の終わり方をしている。

なかなかリングの上で脚光を浴びていた時のような華々しいばかりの人生ではなかったようだけれどリングを降りて周りにファンやプレスがいなければ、後は素の自分に生まれつきの性格の自分に戻るのはごく自然なことだ。


公表されている唯一の例外は妻と赤ん坊を抱いているロジャースの写真である。実にいい顔をしている。いい笑顔。幸せそうな顔。これはプレスのカメラマンが撮ったのだろうけれど夫として父としてのロジャースの素顔をとらえた良い写真だと思う。
カテゴリー
お問い合わせ