プロレス

ヒューストンの惨劇ルーテーズVSキムイルNWA世界戦〈王者にセメントマッチを仕掛けた大木を唆した犯人は誰だ⁉〉

史論‐力道山道場三羽烏 (G SPIRITS BOOK)


のちにヒューストンの惨劇と呼ばれるルーテーズVSキムイル大木金太郎のNWA世界ヘビー級選手権試合について詳細が述べられている書籍を見つけた。
「史論 力道山道場三羽烏」著者小泉悦次先生著 2020年6月初版発行 辰巳出版である。
先生は1960年生まれでボクよりは若い。
こう言うと大変失礼な言い方になるが先生より年長のボクは力道山の数々の試合をリアルで見ている。

しかし、この本は大量の資料と写真をもとに日本を代表するプロレスラーの試合と生き様を時系列で紹介しその縦糸に、戦後日本、アメリカ、韓国の歴史を横糸に織りなした壮大なプロレス史観論となっている。
小泉さんは東京生まれでサラリーマンをしながら膨大な資料を収集し、それに基づいて本作を誕生させた。ボクとしてはまさにこういう本が読みたかった。そういう一冊である。

ボクはただボーっとしてプロレスファンを続けて来ただけ。小泉さんはボクより年下であるが手間暇かけ地
道な努力で資料を集め研究者としてこの本を世に出した。頭の下がる思いだ。



さて、世に言う「ヒューストンの惨劇」ルーテーズVSキムイル大木金太郎NWA世界ヘビー級選手権についてである。1964年昭和39年10月19日テキサス州ヒューストン、フォートワースでの事件。
試合開始後18分40秒でレフェリーストップとなっている。キムイル大木金太郎の七発のヘッドバットにブック破りを感じたテーズが激怒してキムイルにパンチを浴びせ顔面を24針も縫う大けがをさせている。

試合経過とその後日談については著者の本に詳細が描かれているから略すとしてボクが気になるのはキムイルにブック破りをそそのかした人物についてである。

犯人は事件試合当日会場にいたのだろうか?
長くグレート東郷黒幕説が言われてきたがそれが事実でないことは現在ならプロレスファンなら小学生でも理解できることだ。
東郷はアメリカ国内でNWAやテーズと友好的なビジネス展開を熱望するプロモーターである。キムイルがベルトを巻いたところで何のメリットもない。
セコンドのデュークケムオカに至っては「押さえろ押さえろ」といってキムイルの暴走を止めている。





犯人は当日、日本にいた。このキムイルの、試合に見せかけたテーズ襲撃事件を画策したのは日本にいる複数の人物であった。なかには日本人も韓国人もいた。またキムイルの「力道山襲名」構想や裏社会、反社会勢力、右翼、政治家などの思惑が複雑に絡み合っている。

だからこそガチンコを仕掛けられたテーズにしてみれば新人のキムイルの信じられない行動と目に映った。そして自ら返り討ちにして担架に乗せられた血まみれのキムイルにこう尋ねた。
「ボーイ。大丈夫か?誰にそそのかされた?」




この事件の真相、ブック破りの犯人については「史論 力道山道場三羽烏」の中で著者小泉悦次先生がエビデンスに基づいて語っている。

キムイルは生涯犯人の名前を明かさなかったし、テーズは「誰にそそのかされた?」と尋ねたものの、王者のプライドから試合後には犯人を知ろうともしなかった。だから永年、真相は藪の中であったが著者の小泉悦次さんは精度の高い資料により綿密な検証を重ね遂に答えを見つけた。




銀髪鬼フレッドブラッシーヤスリで吸血の牙を研ぐ




親日家のプロレスラー銀髪鬼。力道山との流血試合で各地で老人がショック死した。今の老人は絶対にそんなことでショック死しない。
当時はプロレスワークを真剣勝負と視聴者が誤解した。現在なら大変な責任問題に発展するところだろう。
ボクは当時幼児で白黒テレビの不鮮明な画像で力道山の顔から流れているものが血だとは思えなかった。ブラッシーて技がなく急所うちと噛み付きしか記憶にない。今YouTubeなどで鮮やかなネックブリーカーをする様子を見てもとても同じ選手と思えない。

唐突だがブラッシーの奥さんは日本人である。九州の駅のホームでブラッシーが奥さんに一目ぼれして求婚したと伝えられている。奥さんはプロレスなど全く関心のない深窓の令嬢だったので銀髪のアメリカ人紳士のプロポーズを受けたとか。


ボクは最近、workとしてのプロレスがクローズアップされるにつけ、つくづく選手というもののキャラクターの多様さに感心している。

フレッド・ブラッシー自伝
グリーンバーグ,キース・エリオット
エンターブレイン
2003-12-08


フレッドブラッシーは本国でのリング上の名乗りを『クラッシー・フレディー・ブラッシー』と言う。

『上品なフレディー・ブラッシー』と言うほどの意味合いか?

これでは長すぎて日本人には受けない。上品でなくてもいい。吸血鬼、銀髪鬼フレッドブラッシー。
リングの上なら親でもかみ殺す。毎日、吸血の刃(歯)をやすりで研いでいる。

そういうフェイクをブッカーの力道山が考え出したのだ。


力道山が非業の死を遂げ、ブラッシーが愛妻と幸福な老後を過ごしたのは何とも皮肉な話だが二人のプロレスリングのタイトルマッチは間違いなく戦後の昭和史の一ページに彩りを添えた。
力道山は生き急ぎ昭和を駆け抜けた。
『クラッシー・フレディー・ブラッシー』は最愛の妻と手を取りあい上品なフレディーのまま老後を過ごした。
今こそJAPANに力道山!―空手チョップに込められた願い
敬子, 田中
パロアルトコード
2019-01-01











力道山が死んだ!〈昭和のヒーローたち〉

テレビや映画にたびたび登場する正義のヒーローだから、またすぐカムバックするだろうと思っていたら、一週間くらいしたらマスコミは力道山の死を報じた。

「母ちゃん!力道山、なんで死んだんや?」

何度も何度も同じ質問する息子に母は答えようもなかったに違いない。BlogPaint

ザ・G・カブキ自伝を読む。


ゴルゴ13(139) (コミックス単行本)

リイド社から出た59年5月の初版本。リイド社。中野区本町6丁目と記されている。これは、さいとうたかを先生のさいとうプロダクションの当時の住所じゃないか。懐かしさでいっぱいになる。

ボクは、以前、本町4丁目に住んでいた。リイド社は、その後、杉並区高円寺に転居したらしい。

のっけから、カブキに関係ない話で、つぶしてしまった。

ボクらに取っては、高千穂やミスターサト、米良明久等々のワードの方が親しみやすいと、思っていたが、 もう、当時、『ザ・G・カブキ』は、全米の超一流ブランドで、アメリカン・ドリームになっていた。

ザ・G(グレート)・カブキ自伝―星条旗を毒霧で染めろ!


ザ・G・カブキのアメリカンドリームのあらすじは端的に言うとこうだ。

プロレスにあこがれた15歳の少年が日本プロレスの門を叩いた時、力道山が刺されて死んだ。
東南アジア遠征でシンガポールのプロモーターから乞われて米良少年(以後、変身前もカブキで統一する。)は前座の身ながら、苦労と困難の中でもがきながら成長して行く。

時に年上の後輩からひどい仕打ちを受けるが、力でねじ伏せ認めさせていく。日本プロレスに凱旋帰国しても中堅のポジションから抜け出せないカブキ少年は考え抜いた末、渡米を決心する。運賃しか出せないがと言われてもジャイアント馬場選手の「一年半たってもダメだったら戻ってこい。お前の籍は置いておく。」との激励に燃え、渡米する。
ジャイアント馬場―王道十六文 (人間の記録)

しかし、田吾作スタイルの「ミスター・サト」は、実力の割には客に受けない。
ここでもカブキは考え抜いて、カラテ、ジュードー、ニンジャ、東洋の神秘をモチーフにして「ザ・G・カブキ」像を完成させる。奇抜なメイクや独霧もすべて考え抜いた末の成果であった。

敏腕マネージャーゲーリー・ハート、富豪プロモーター フリッツ・フォン・エリックの協力を得て、次々と当時のビッグレスラーとの対戦が実現する。
WWE リック・フレアー アルティメット・コレクション [DVD]

ダスティー・ローデス、ハーリー・レイス、ブルーザー・プロディ、アンドレ・ザ・ジャイアント、リック・フレアー、夢のようなメンバーで当時、彼らを日本に数週間、招聘すれば何憶、何十億円のギャラが発生するかわからないといわれた時代である。カブキは、渡米後、数年でそんなスターレスラーたちと対戦するポジションにまで登り詰める。
WWE アンドレ・ザ・ジャイアント [DVD]

ハーリー・レイス自伝 キング・オブ・ザ・リング


しかし、その裏には、差別と偏見、言葉や思考の壁があった。それらを次々と乗り越えていったカブキのバックボーンは、単に遠征してきた日本人レスラーではなく、永住許可をとりアメリカで骨をうずめる選手になるという覚悟であった。


☆       ☆

カブキの著書に書かれていることは、困難に遭遇した時、どうやってそれを克服するか、どうやって敵を味方にするか、どうやって売り上げを増やすか(ギャランティーを増やせるか。)という真剣な思いと実践した行動の記録である。

もうひとつ忘れてならないことは、家族への思いである。日本から呼び寄せた三人の子供と夫人をロサンゼルスに残したまま、自身は永住許可の申請のため、カンサスシティーで一年間定住し、許可の下りるのを待った。

当時、カンサスシティーは不況のどん底で、プロレスラーとしてのギャラは最低だったらしい。事前にリサーチをせずにこの地を選択した自分のミスだと、カブキはこともなげに述懐しているが、どうやって苦境を乗り切り、全米のトップレスラーに成り得たかと言うことは、彼の著書に書かれている。ボクがくどくどと書く必要はない。

カブキは、自身のすべてを開示しているが「独霧」についてだけは「あえて言わない。」としている。のちに武藤敬司とリング上の養子縁組をして「グレート・ムタ」が誕生していることから、ムタだけには独霧の秘密が伝授されたと思われる。

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ちなみに、武藤敬司アメリカでのマネージャーはカブキと同じゲーリー・ハートである


ああ、涙のプロレス漫画‼ 〈原作高森朝雄(梶原一騎)、漫画つじなおき、ジャイアント台風、タイガーマスク〉

ジャイアント台風―ジャイアント馬場物語 (1) (講談社漫画文庫)

ジャイアント台風―ジャイアント馬場物語 (6) (講談社漫画文庫)

 
昭和59年(1984年)12月1日に、少年画報社から初版単行本の出た「ジャイアント台風」価格370円也、が今、私の手元にある。
原作高森朝雄、漫画つじなおき。34年の時の移ろいを経て、原作者も主人公のモデルも、もう、この世にいない。無情の感を禁じ得ない。原作者高森朝雄梶原一騎の本名だ。「ジャイアント台風」と言うのはジャイアント馬場選手のプロレス人生の前半をストーリー化したものだ。

ジャイアント台風―ジャイアント馬場物語 (5) (講談社漫画文庫)

ジャイアント台風―ジャイアント馬場物語 (3) (講談社漫画文庫)

ジャイアント台風―ジャイアント馬場物語 (4) (講談社漫画文庫)

 


そして、この頃同時期に、この原作者と漫画家のコンビは不朽の名作「タイガーマスク」(ぼくらマガジン、少年マガジン連載)を世に送り出すことになる。

タイガーマスク(4) (週刊少年マガジンコミックス)

 
週刊「少年キング」には実在のプロレスラーの漫画「ジャイアント台風」が連載されたことで、力道山亡き後のプロレス界の活性化にも一役買った作品と言えよう。単行本が出る16年ほど前のことだった。つまり、昭和43年(1968年)にこの二つのプロレス漫画は初めて世に出た。今から50年前のことである。

タイガーマスク(1) (週刊少年マガジンコミックス)

タイガーマスク  完全復刻版 (KCデラックス) 全14巻完結セット【マーケットプレイスコミックセット】


キレイだが、躍動感に乏しい、つじなおきの漫画のタッチと高森朝雄(梶原一騎)の説教口調風のト書きが、クラシカルだが、今読むと、むしろ、新鮮で読者の私は昭和の古き良き時代の少年に戻って涙してしまう。

< 巌流島の船木誠勝 >まだ18歳だった。


 

新日本プロレスリング 巌流島の決戦 【アントニオ猪木vsマサ斎藤】 フィギュア
船木少年が巌流島で見たもの。それは何か?

いつまでたっても、始まらない試合。喉かな海岸線。緑の山々。波の音。潮の香り。

退屈で退屈で海辺でカニを捕まえる。林の中でトカゲを追っかける。膝まで海水に浸かってみる。退屈はまぎれることはない。

昼寝をする。2時間くらいで目覚める。

夜明けとともに始まるはずの戦いはいつまで待っても始まらない。

結局、午後になり、マサ斉藤が到着した。夕刻になり、だいぶ遅れてアントニオ猪木が到着した。けれどそれから、猪木は自分のテントにこもって出て来ない。

業を煮やしたマサ斉藤が猪木のテントに突入し、試合開始。もはや、落日の時刻。

ここに至るも、船木少年は退屈であったらしい。

リングに上がった二人は間接技の応酬に終始する。

そんなのは巌流島でやんなくたって道場でやってよとは、言えない。もの言わぬはストレスの心地だ。

夜のとばりが降りて漆黒の巌流島。松明に火が灯り、リングの周りだけが真昼の明るさを取り戻す。

二人は無言で格闘する。船木少年も無言。会社の人たちも記者たちも無言。

巌流島は静寂の中で二人の荒々しい息づかいと体がぶつかり合う音のみが響き渡る。船木君は依然として退屈だ。



試合が動いたのは、再びリング外に出た時、猪木がマサ斉藤をつかんで篝火の支柱にぶつけた時だった。

そのあと、大技を喰らってマサ斉藤は倒れた。グロッキーで動かない。生きてるのか?と心配するほど動かなかった。

一方、猪木社長は汗一つかいていない。こうして巌流島の一日は終わった。


猪木社長に付き添い、ホテルに帰り、船木少年もシャワーを使い落ち付いた時、

「船木。河豚を食いに行くぞ。」

と社長から電話があり、にわか付き人の船木君は飛んで行った。


巌流島で学んだ事は、猪木選手の底なしのスタミナと、ふくさしの旨さと、退屈に慣れる事。

船木誠勝選手は述懐している。




筆者注記

アントニオ猪木マサ斎藤の巌流島決戦について、当時サラリーマンであったボクはテレビ放送を楽しみにしていた。中継は無理だろうと思ったがそれでも、録画くらいしてあって金曜夜8時~9時の「ワールドプロレスリング」の番組内で放送されるものと思い込んでいた。しかし、それはなかった。

猪木はこの試合の前に家庭的に問題を起こしており、海外の事業の方でも資金繰りの不調など、本業のリングも含めて行き詰っていたらしい。この閉塞感を打開するために自分はレスラーであるからレスリングをする中で気持ちの整理をしたい。マサ斎藤が自分の気持ちを慮って付き合ってくれた。そのように猪木に対するプレスのインタビュー記事で読んだことがある。

それ以外は「巌流島」に関して猪木はあまり多くを語らない。マサ斎藤に至っては全くコメントしていない。両者も新日本プロレスもその後は黙して語らない。ファンには伝える必要のない大人の事情があったのかもしれない。この二人に付き添った新日プロの選手は船木選手と当時の猪木の付き人の2名だけである。2名についても船木選手のコメント通り、事前には試合の一切合切が伝えられていない。船木選手には会社から同行せよとの命令だけである。
だから、YouTube内で「巌流島」について語る船木選手はアントニオ猪木の身近にいて当時を証言できる唯一の存在かも知れない。

大声で言う「川田利明!ありがとう!」



開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学


今日は、横浜で買えず地方で買った川田利明さんの本読んで、YouTubeで一日中、三冠戦や三沢越え、四天王の動画を見た。今も昔も妥協しない真剣で厳しい生きざまに感動する。

少年の日に馬場さんの後ろに付き従っていた澄んだ瞳の新弟子さん。試合会場での、若き頃の川田さんを思い出しています。

寡黙で不器用はご自身の演出という御著作でのカミングアウトも、三冠初奪取のプレスインタビューに「これまでのレスラー人生で一番うれしい!!」と答えた時の素晴らしい笑顔で納得です。

「ベンツ3台をスープに溶かした。」も恥でも失敗でもありません。元入れ金を増やしたんです。法人なら増資です。

苦労や努力は必ず報われる。だから、川田さんのファンはあなたに「頑張れ!」とか、「勝ってくれ!」とか言わない。

みんなは、こう言う。

「川田!ありがとう!!」

最高の褒め言葉だ。


俺だけの王道―川田利明自伝 Dangerous K

プロレスラーが愛したレスラー

プロレス・スーパースター列伝 vol.1 キラー・コワルスキー&ペッパー・ゴメッツ [DVD]

アントニオ猪木はキラーコワルスキーのファンだった。

猪木さんがアメリカ修行時代、「トーキョー・トム」時代の話。

アントニオ猪木 オフィシャルDVD キラー猪木 コンプリートBOX

「男はみんなプロレスラー」なのか⁉

男はみんなプロレスラー1982/10村松友視著

男はみんなプロレスラー
男はみんなプロレスラーって、極端なタイトルだけど、昭和の最後半の大プロレスブームのころだから、立派に通用してたんだ。こういう言い回しが。

そういえば、プロレスは地上波でゴールデンタイムの放送だった。今はそうじゃない。

例えば、シェーッ‼と叫べば、世間のほとんどの人には、良い悪いは別にして通じていた赤塚不二夫のあの漫画のギャグと同じように、プロレスも、リアルかフェイクかは別にして、ちゃんと通じていた。今は残念なことにそうじゃない。

この直木賞作家のプロレス本は複数あるが、当時は読んで面白かった。私、プロレスの味方ですなどと言うタイトルからして、面白かったが、今はそうじゃない。
テレビの地上波から消えたプロレス番組に似てどこか、見ていて覚めてしまう自分がいる。

ブームが去ったからだろうか?レスラーもファンもプロレス物書きも歳を取る。熱は、いつか冷める。昭和の終焉と共にテレビのプロレス番組は地上波から消え、男はみんなプロレスラーとは言えなくなったのだろう。まさに時のうつろいを感じてしまう。

昭和40年男 増刊号「昭和プロレス大全」

プロレスを読む〈三島由紀夫と力道山〉

三島由紀夫と力道山

編集

からっ風野郎

昭和58年に買ったプロレス関連本15冊。単行本14冊。文庫本1冊。三島由紀夫の文庫本はプロレスには関係ないだろうと思うことなかれ。収録されている『日記』には、

「(三島由紀夫が、)ラテン・クォーターで飲んでいたら後ろの席に力道山がいた。」

と言う記述がある。たったの一行だが、それだけでこの文庫本を購入した。
この頃は、プロレス好きがこうじて「プロレス」と言う文字が見えたら、むやみやたらと買っていた。


「プロレス  キュー部隊」などと言う本も買った。
家に帰って中を見ると「プロ・レスキュー部隊」の物語だった。

 

ルー・テーズ対力道山 世界選手権争奪戦 [DVD]