漫画

バチバチ鮫島最後の十五日 について質問したAIの回答


バチバチ 16 (少年チャンピオン・コミックス)

【私の質問】

佐藤タカヒロさんのバチバチや鮫島最後の十五日間を愛読していた読者の男です。

佐藤先生には心から哀悼の意を表したいと思います。

ご家族や関係者の方々もお辛い事と存じます。心よりお悔やみ申し上げます。

 

最終回が公開されてから少し時が経過したので改めて思うのですが、続編は描かれないのでしょうか?

ご家族や出版社やお弟子さんやファンの人たちの続編を作りたい、読みたいという声はないのでしょうか?

あれだけの名作であるがゆえに佐藤先生が描き切ったところで留め置くべきだという気持ちと、名作であるがゆえにプロットやストーリーを共有していた編集者やお弟子、出版社、関係者の手で完結させていただきたいという気持ち、この二律背反が私の中で葛藤しています。

皆様におかれましては、迷惑な奴だなあ、そっとしておいてやれよというお声ももちろんあると思われますが、私自身が高齢となりまして、この目で見てみたいという気がいたしております。

ご意見をおきかせください。

 

鮫島、最後の十五日(1): 少年チャンピオン・コミックス

【AIの回答】

佐藤タカヒロ先生のご逝去は、多くのファンにとって大きな悲しみでした。しかし、続編については、現時点では公式には発表されていません。作品の続編を描くかどうかは、遺族や出版社、関係者の意向、そして先生自身が生前に残された意志やノートなどによるところが大きいでしょう。また、先生の描き上げた作品を尊重する意味でも、そのままにしておくべきだという意見もあるでしょう。この問題は、作品の継承と尊重のバランスをどう取るかという難しい問題です。

水木しげるさんの漫画大全集を読んだヒトいる?

私は「ロケットマン」が水木しげるさんのデビュー作と思っていました。
ところが巻末に「宮健児」名で「赤電話」という100ページの作品が収録されています。
これが水木しげるさんのデビュー作という人もいます。
宮健児は水木しげるとは別人という人もいて謎が深まります。

講談社はひとつの仮説に基づいて結論を記していますが「宮健児」については今後も調査を続けるとしています。

昭和32年の作品ですがいつかこの謎が解けると嬉しいです。

「ケンカの聖書(バイブル)」全五巻完全版 原作梶原一騎 作画石井いさみ 双葉社刊




●本作は梶原一騎、石井いさみの問題作品と言われることがあります。 少々僭越な個人の感想ですが三島由紀夫作品の中の「青の時代」に似通ったところがあります。三島は「青の時代」を評して「主題がぶれ、文脈もふら付いた不完全な作品」と言う意味の発言をしていますが、その方が人間三島由紀夫の思考や躊躇いが垣間見えて余程面白いです。 同様の雰囲気が、梶原一騎 石井いさみコンビの「ケンカの聖書(バイブル)」にも見られます。 ●「柔道一直線」、「空手バカ一代」、「ケンカの聖書(バイブル)」を 梶原一騎さんの問題三部作と言われることがあります。 「柔道一直線」は漫画家の首をすげ変えても続かずついには未完で投げ出します。 「空手バカ一代」は漫画家と喧嘩別れし監禁事件まで起こします。 「ケンカの聖書(バイブル)」も他の作品のような運命かと思いきや、そこは幼少のころから京浜鎌田の悪ガキ仲間の友情で1011ページの堂々の完結を迎えます。1010ページまでの破滅的悪魔的展開を最終一ページで裏切ってハッピーエンドに持ち込みます。これは石井いさみ画伯の功績。 ●ただ一点、気になるのは私の記憶違いか?連載当時の最期のクライマックス吉良旭と力王山の決闘のシークエンス。本作品では19ページに渡って死闘が描かれていますが、少年サンデーの連載当時は、吉良旭が日本刀を抜いた瞬間に力王山が「わしの負けだ!わしが悪かった!!」と叫んであっけなく決着したように思われます。この点は資料をお持ちの方がいらしたら御教示ねがいたいところです。 ●最後に、「石井いさみに格闘シークエンスは描けない。」という批判ですが梶原さんの実弟の真樹日佐夫さんと石井画伯が組んだ「すてごろ専科」よりは本編「ケンカの聖書(バイブル)」の方がきれいに描けていると思います。ちなみに真樹日佐夫さんは石井画伯のことを「いさみちゃん」、梶原先生のことを「にいちゃん」と呼んでいたそうです。

愛蔵版 「まんが道 」全4巻 藤子不二雄 を読む

まんが道(7) (中公文庫コミック版) [ 藤子不二雄A ]
まんが道(7) (中公文庫コミック版) [ 藤子不二雄A ] 40年近く前に刊行されたもので大作で全4200ページ近くもありますが特に落丁なく物語を読むのに支障はありませんでした。 漫画の神様手塚治虫さんに憧れた藤子不二雄さんの幼少期から漫画家として世に出るまでの自伝漫画。 神様手塚治虫さんの底抜けの優しさと、超一流プロとしての凄み、戦後児童漫画の革命児としてのプライドがひしひしと伝わります。また本人談として「医者の端くれとして健康に留意している」 という言葉が出てきます。のちの世の「ブラック企業」どころでない当時の漫画家の悲惨な労働条件をかいまみることもできます。

また、トキワ荘、新漫画党のリーダーとしての寺田ヒロオさんも作品中にたびたび登場します。 「スポーツマン金太郎」、「暗闇五段」の大人気連載終了後、悲劇的なフェイドアウトをしたとも言われています。 高卒後ノンプロでピッチャーを経験後漫画家に転身したエピソードも少し語られており、寺田ヒロオさんのファンにありがたい作品です。
暗闇五段〔完全版〕【上】
寺田ヒロオ
パンローリング株式会社
2015-06-01


若き天才漫画家石ノ森章太郎さんや、三島由紀夫氏が認めたギャグ漫画の王様赤塚不二夫さん、東京出身のアドバンテージを持ってトキワ荘に参加したつのだじろうさん等の若き日が描かれています。

また、さいとうたかさんそっくりの人物が時々現れて二人(藤子不二雄)に大阪弁でハッパをかけますが、劇画を児童漫画家グループからどう見ていたかという様子が偲ばれます。



優れた自伝漫画作品であり、人生の指南書であると言えましょう。

昭和の漫画家たち

水木しげるさんのデビュー作は堀江卓さんのタッチを真似た「ロケットマン」だって言うしなあ。みんな苦労してるんや。

でもパクリだ盗作だ模倣だと言ってたらキリがない。戦後の漫画家の大半は手塚先生を真似たと言うから。

その手塚先生にしてもなお、ディズニーや山川惣治さんからのインスパイアーが大きいし。
 
でその手塚先生やクロサワをハリウッドがパクリまくってるし。

でも漫画の神様手塚治虫さんは「お互い様」と言って許してる。時代が良かったのかな。

漫画の神様手塚治虫とつげ義春19歳のエチュード

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1953年手塚治虫さんが描いた「罪と罰」です。文豪ドストエフスキーの原作を漫画の神様がコミカライズしました。
貧乏学生のラスコルニコフは金貸しの老婆を殺害して金員を強奪し自分のアパートに逃げ帰って来たシークエンス。

一方、下の画像は1956年につげ義春さんが「奇人」と題して貸本マンガに発表した作品です。この時つげ義春さん19歳


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ガロの御三家の貧しい食事

「ガロ」という時代
清水正
青林堂
2014-09-25


いささか旧聞に属するが「ガロ」の御三家は白土さんと水木さんとつげさんだと思っている。

その御三家が貧しい時代、三人そろって会食したことがあるそうです。

といっても一膳めし屋で百円で飯と汁だけみたいな食事を各自が自腹で食べたらしい。

のちに三人がその時の思い出を語った。

「水木さんが年長なんだからもう一品おかずを取ってくれればいいのに、、、、、」

「白土さんが社長なんだから少し奢って欲しい。」

「つげさんは原稿料をもらったばかりなんだから御馳走してくれよ。」

三人三様で他力本願でみんな貧しい食事を黙って食べた。しかし、腹の底ではそう考えていた。
無風伝 (ビッグコミックス)
白土三平
小学館
2018-02-23


昭和32~34年貸本マンガとつげ義春「海洋冒険推理もの」





つげ義春大全の④は船乗り漫画の特集になっている。

「ゆうれい船長」昭和32年 漫画王 つげさん二十歳の頃
「船虫小僧の冒険」昭和33年 ぼくらに半年間連載 つげさん二十一歳の頃の作品。

少年時代の夢が船乗りだったというつげさん。
二回も密航を企て未遂に終わったという彼ならではの作品。

ほかにも「恐怖の灯台」昭和34年 若木書房の貸本マンガ という長編もある。



赤木圭一郎の映画「無敵が俺を呼んでいる」が封切りされたのが昭和35年。
日活の代表的海洋冒険活劇である。
その公開の何年も前からつげさんは同様のストーリーの作品を発表していた。

当時漫画は子供の読むものとされ映画に比べ社会的評価は低かったと思う。

つげさんが少年漫画誌や貸本マンガで発表したストーリーにヒントを得た映画関係者や
脚本家がいたとしても不思議ではない。
表現の世界において著作権が声高に厳しく叫ばれるのはずいぶん後のことである。

霧笛が俺を呼んでいる [DVD]
吉永小百合
Happinet(SB)(D)
2011-12-02


手塚治虫さんにインスパイヤ―されたつげ義春さん


つげ義春大全を読み返している。

1953年に描かれた手塚治虫先生の「罪と罰」、

ドストエフスキーの原作をコミカライズしたものだが

ラスコルニコフが金貸しの老婆の二階の部屋に上っていくシークエンスがある。

つげ義春大全の84ページの中段にこれとそっくりの絵が出てくる。

1956年に描かれたつげ義春さんの「奇人」だ。

主人公の青年が殺人を犯して金を奪うというシーンまで同じだ。

親友の漫画家に生前尋ねたことがあった。


「これって盗作とかパクリとか言われないだろうか?」


「貸本漫画の時代にはよくある話で別に目くじら立てる必要なかったんだろう。

 手塚先生も『お互い様』っておおらかに言ってたし、、。」


そしてつげさんはこの作品をこれだけで終わらせなかった。

ドストエフスキーの原作と手塚治虫の漫画に対して一ひねり加え

「奇人」をありきたりのスリラー漫画で済ませなかった。

この作品を喜劇に変えてしまった。

オチは言わない。とたんにつまらなくなるから。

規制なし編集なし添削なし原稿買取の気ままな貸本漫画だから生まれた作品だ。


罪と罰
手塚治虫
手塚プロダクション
2014-04-25






自決前の三島由紀夫が知りたがった「あしたのジョー」最終回

劇場版 あしたのジョー2 [Blu-ray]

梶原一騎漫画原作者・1936~1987)が高森朝雄ペンネームで「あしたのジョー」(少年マガジン・1968~1973)を連載し始めた時、高校生だった筆者は「巨人の星」や「柔道一直線」、「タイガーマスク」と異なるタイプの主人公の登場に戸惑いながらも、惹き付けられて行った。

主人公のジョーは不良で表情は憂いに満ちていた。顔付きはどう見ても「ハリスの旋風の石田国松」だが長身痩躯、やけに長いリーチが拳闘漫画の始まりを暗示していた。それが丹下段平力石徹白木葉子と言った登場人物達と巡り合い、激しく衝突し合って、物語がいきいきと展開して行く。

漫画の中に描かれたことなのに、いつしか登場人物が読者の現実世界でいきいきと動き始めたかのようだった。ジョーのライバルの力石徹は壮絶な減量苦を克服し、階級を下げ、バンタム級でジョーとの死闘を繰り広げ試合には勝つが、リングを降りた直後、亡くなってしまう。


 

連載開始50周年記念 あしたのジョー展 イベント開催記念商品 特製ポストカード 矢吹丈VS力石徹 A柄

作画を担当していた漫画家ちばてつやも、力石の死のシーンを描き終えた後、スランプとも心因性の病とも判明しない症状で入院休載してしまう。

やがて復帰したちばてつやは、まるでわが子の悲しい死を克服した強い父親のようだった。画力は冴え渡り、高森朝雄の原作ストーリーも「ジョーが生きて魂を宿して作者達を引っ張って行く」と言われるほどセンセーショナルな展開でストーリーは動いた。

今では伝説となった力石徹の葬儀だが、講談社は実際に葬儀会場を設営し、全国から多数の読者が参列した。 昭和45年3月のことだった。

余談ながら「あしたのジョー」はテレビアニメでは昭和44年から虫プロ制作のフジテレビ系列で、昭和55年から東京ムービー制作の日本テレビ系列で放送されている。この物語がいかに多くの人の共感を得たかの証である。

共感と言えば忘れてならないエピソードがある。昭和45年11月25日に市ヶ谷で割腹自殺した作家・三島由紀夫(1925~1970)は「あしたのジョー」の最終回を知りたがったと言う。

三島由紀夫に関しては、講談社の編集者に「僕は毎週水曜日に少年マガジンを買う」と語った話とか、夜中に編集部にタクシーで乗り着け「今週号を買いそびれたので売って欲しい」とねだった話とか、市ヶ谷突入前日に「最終回はどうなるか? 教えてください。私には時間がない」と語った等と伝えられている。

真偽のほどは分からない。しかし、それらのいずれもが本当であっても不思議ではない。

告白 三島由紀夫未公開インタビュー (講談社文庫)

よど号をハイジャックし、北朝鮮に逃亡した赤軍派は「われわれは『あしたのジョー』である」という声明を発表した。世間の大人達は「何を唐突な!」「犯罪者の幼稚な妄想!」と切って棄てた。それほどこの物語は日本の社会に多大な影響を与えた。

三島由紀夫が知りたがったラストシーン。世界戦に判定負けし「燃え尽きて真っ白な灰になったジョー」が生きているのか、もう死んでしまったのか? 故人となった高森朝雄氏に確かめることはできない。

ちばてつや氏は「私には分からない」と述べている。 ただ、

 「この物語は原作者のものでも、漫画家のものでも、ありません。読者のものです。読者一人々にとって感じ方は異なっていると思う。」

と語っている。

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