●本作は梶原一騎、石井いさみの問題作品と言われることがあります。 少々僭越な個人の感想ですが三島由紀夫作品の中の「青の時代」に似通ったところがあります。三島は「青の時代」を評して「主題がぶれ、文脈もふら付いた不完全な作品」と言う意味の発言をしていますが、その方が人間三島由紀夫の思考や躊躇いが垣間見えて余程面白いです。 同様の雰囲気が、梶原一騎 石井いさみコンビの「ケンカの聖書(バイブル)」にも見られます。 ●「柔道一直線」、「空手バカ一代」、「ケンカの聖書(バイブル)」を 梶原一騎さんの問題三部作と言われることがあります。 「柔道一直線」は漫画家の首をすげ変えても続かずついには未完で投げ出します。 「空手バカ一代」は漫画家と喧嘩別れし監禁事件まで起こします。 「ケンカの聖書(バイブル)」も他の作品のような運命かと思いきや、そこは幼少のころから京浜鎌田の悪ガキ仲間の友情で1011ページの堂々の完結を迎えます。1010ページまでの破滅的悪魔的展開を最終一ページで裏切ってハッピーエンドに持ち込みます。これは石井いさみ画伯の功績。 ●ただ一点、気になるのは私の記憶違いか?連載当時の最期のクライマックス吉良旭と力王山の決闘のシークエンス。本作品では19ページに渡って死闘が描かれていますが、少年サンデーの連載当時は、吉良旭が日本刀を抜いた瞬間に力王山が「わしの負けだ!わしが悪かった!!」と叫んであっけなく決着したように思われます。この点は資料をお持ちの方がいらしたら御教示ねがいたいところです。 ●最後に、「石井いさみに格闘シークエンスは描けない。」という批判ですが梶原さんの実弟の真樹日佐夫さんと石井画伯が組んだ「すてごろ専科」よりは本編「ケンカの聖書(バイブル)」の方がきれいに描けていると思います。ちなみに真樹日佐夫さんは石井画伯のことを「いさみちゃん」、梶原先生のことを「にいちゃん」と呼んでいたそうです。
漫画
いささか旧聞に属するが「ガロ」の御三家は白土さんと水木さんとつげさんだと思っている。
その御三家が貧しい時代、三人そろって会食したことがあるそうです。
といっても一膳めし屋で百円で飯と汁だけみたいな食事を各自が自腹で食べたらしい。
のちに三人がその時の思い出を語った。
「水木さんが年長なんだからもう一品おかずを取ってくれればいいのに、、、、、」
「白土さんが社長なんだから少し奢って欲しい。」
「つげさんは原稿料をもらったばかりなんだから御馳走してくれよ。」
三人三様で他力本願でみんな貧しい食事を黙って食べた。しかし、腹の底ではそう考えていた。
つげ義春大全の④は船乗り漫画の特集になっている。
「ゆうれい船長」昭和32年 漫画王 つげさん二十歳の頃
「船虫小僧の冒険」昭和33年 ぼくらに半年間連載 つげさん二十一歳の頃の作品。
少年時代の夢が船乗りだったというつげさん。
二回も密航を企て未遂に終わったという彼ならではの作品。
ほかにも「恐怖の灯台」昭和34年 若木書房の貸本マンガ という長編もある。
赤木圭一郎の映画「無敵が俺を呼んでいる」が封切りされたのが昭和35年。
日活の代表的海洋冒険活劇である。
その公開の何年も前からつげさんは同様のストーリーの作品を発表していた。
当時漫画は子供の読むものとされ映画に比べ社会的評価は低かったと思う。
つげさんが少年漫画誌や貸本マンガで発表したストーリーにヒントを得た映画関係者や
脚本家がいたとしても不思議ではない。
表現の世界において著作権が声高に厳しく叫ばれるのはずいぶん後のことである。
つげ義春大全を読み返している。
1953年に描かれた手塚治虫先生の「罪と罰」、
ドストエフスキーの原作をコミカライズしたものだが
ラスコルニコフが金貸しの老婆の二階の部屋に上っていくシークエンスがある。
つげ義春大全の84ページの中段にこれとそっくりの絵が出てくる。
1956年に描かれたつげ義春さんの「奇人」だ。
主人公の青年が殺人を犯して金を奪うというシーンまで同じだ。
親友の漫画家に生前尋ねたことがあった。
「これって盗作とかパクリとか言われないだろうか?」
「貸本漫画の時代にはよくある話で別に目くじら立てる必要なかったんだろう。
手塚先生も『お互い様』っておおらかに言ってたし、、。」
そしてつげさんはこの作品をこれだけで終わらせなかった。
ドストエフスキーの原作と手塚治虫の漫画に対して一ひねり加え
「奇人」をありきたりのスリラー漫画で済ませなかった。
この作品を喜劇に変えてしまった。
オチは言わない。とたんにつまらなくなるから。
規制なし編集なし添削なし原稿買取の気ままな貸本漫画だから生まれた作品だ。
梶原一騎(漫画原作者・1936~1987)が高森朝雄のペンネームで「あしたのジョー」(少年マガジン・1968~1973)を連載し始めた時、高校生だった筆者は「巨人の星」や「柔道一直線」、「タイガーマスク」と異なるタイプの主人公の登場に戸惑いながらも、惹き付けられて行った。
主人公のジョーは不良で表情は憂いに満ちていた。顔付きはどう見ても「ハリスの旋風の石田国松」だが長身痩躯、やけに長いリーチが拳闘漫画の始まりを暗示していた。それが丹下段平、力石徹、白木葉子と言った登場人物達と巡り合い、激しく衝突し合って、物語がいきいきと展開して行く。
漫画の中に描かれたことなのに、いつしか登場人物が読者の現実世界でいきいきと動き始めたかのようだった。ジョーのライバルの力石徹は壮絶な減量苦を克服し、階級を下げ、バンタム級でジョーとの死闘を繰り広げ試合には勝つが、リングを降りた直後、亡くなってしまう。
作画を担当していた漫画家ちばてつやも、力石の死のシーンを描き終えた後、スランプとも心因性の病とも判明しない症状で入院休載してしまう。
やがて復帰したちばてつやは、まるでわが子の悲しい死を克服した強い父親のようだった。画力は冴え渡り、高森朝雄の原作ストーリーも「ジョーが生きて魂を宿して作者達を引っ張って行く」と言われるほどセンセーショナルな展開でストーリーは動いた。
今では伝説となった力石徹の葬儀だが、講談社は実際に葬儀会場を設営し、全国から多数の読者が参列した。 昭和45年3月のことだった。
余談ながら「あしたのジョー」はテレビアニメでは昭和44年から虫プロ制作のフジテレビ系列で、昭和55年から東京ムービー制作の日本テレビ系列で放送されている。この物語がいかに多くの人の共感を得たかの証である。
共感と言えば忘れてならないエピソードがある。昭和45年11月25日に市ヶ谷で割腹自殺した作家・三島由紀夫(1925~1970)は「あしたのジョー」の最終回を知りたがったと言う。
三島由紀夫に関しては、講談社の編集者に「僕は毎週水曜日に少年マガジンを買う」と語った話とか、夜中に編集部にタクシーで乗り着け「今週号を買いそびれたので売って欲しい」とねだった話とか、市ヶ谷突入前日に「最終回はどうなるか? 教えてください。私には時間がない」と語った等と伝えられている。
真偽のほどは分からない。しかし、それらのいずれもが本当であっても不思議ではない。
よど号をハイジャックし、北朝鮮に逃亡した赤軍派は「われわれは『あしたのジョー』である」という声明を発表した。世間の大人達は「何を唐突な!」「犯罪者の幼稚な妄想!」と切って棄てた。それほどこの物語は日本の社会に多大な影響を与えた。
三島由紀夫が知りたがったラストシーン。世界戦に判定負けし「燃え尽きて真っ白な灰になったジョー」が生きているのか、もう死んでしまったのか? 故人となった高森朝雄氏に確かめることはできない。
ちばてつや氏は「私には分からない」と述べている。 ただ、
「この物語は原作者のものでも、漫画家のものでも、ありません。読者のものです。読者一人々にとって感じ方は異なっていると思う。」
と語っている。
昭和35年の5月から9月にかけて「忍風」誌上に発表された剣豪宮本武蔵に関する作品「妖刀村正」、「一番首」、「船島余話」というオムニバスである。このうち武蔵自身が登場するのは「妖刀村正」、「一番首」の二作品である。
ちなみに二作品とも武蔵の顔、要望は全く別人然として描かれているから、連作と言うのかなんか、素人のボクには不詳だが、同一主人公が次々と別の作品に登場していくと言った仕立ての作品とは違うようだ。
こういう作品は、手塚治虫さんの漫画のキャラクターに多い。ロックとかアトムとかコジローやランプなんかがそうだ。横山光輝さんの天魔野邪鬼なんかもそうだ。
「妖刀村正」、「一番首」の二作品では、武蔵は単なる狂言回しとして描かれていて、作品としての妙味は「妖刀村正」の神秘性と、「一番首」では戦国時代の合戦場での死の恐怖について武蔵野目を借りて表現している。
「船島余話」では、武蔵死後の物語が描かれる。武蔵の養子と小次郎の縁者が偶然にも、同日の同一時刻に決闘の跡地船島に上陸して戦う意思、争う理由のないまま、武蔵小次郎戦を再現してしまうというストーリーだ。(勝敗の結果はボクは書かない。書くと柘植さんの漫画の価値が下がってしまう気がするからだ。)
この本には、つげさんのコラムやインタビュー、元ガロ編集長南伸坊さんの解説なんかも載っている。コラムでは、柘植さんは直木三十五の武蔵論に反対しているがボクも全く同感だ。
この時代は、つげさんは貸本主体で貧乏だったと聞くが作品を読む限りでは、気力体力とも充実していた時期のようだ。この時代の作品をもっと読みたいのだが、原稿が現存してないそうだ。作品は多いのに原稿が一つも残っていないのは貸本出版社が貧乏で倒産が日常的だったからかもしれない。非常に悲しい事だ。
本屋で見つけた。55人ものつげ義春好き有名人のつげ先生の評論集だ。
この本は買わなければならない。
ということで即買いした。
白土三平、水木しげる、永島慎二、つげ忠男、赤塚不二夫、池上遼一各氏の
インタビューや評論を読んだ。漫画家ばかりの名前が続いたがたまたまです。
各界の著名人が書いている。
面白い。実にいい。好意的な話ばかりではない。悪口を言う人もいる。
それがまた他人を傷つけるような悪口ではなくて面白くて実にいい。
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