漫画

日本人の好きな漫画家

水木しげるさんは、つげ義春のタッチにほれ込んで、雑誌ガロ誌上に
つげ義春さん。連絡をください。水木しげる。」と言う広告を
載せた。
それを見たつげさんが調布市の水木さん宅を訪れアシスタントに
なったという。


その時、つげさんはもうすでに「つげ義春」というブランドとして
確立されたプロの漫画家であった。しかし、水木さんに乞われて
水木さんのアシスタントを引き受けた。
引き受けたつげさんの本心は誰にも分らない。

一部漫画ファンがよく水木さんに尋ねたという。

「つげさんは自分がプロの漫画家なのに今更、水木さんのアシスタント
なんかして、プロとして自信喪失でもしたのでしょうか?」


水木さんの答えは明快である。


「ボクはつげさんのタッチがボクの漫画にピッタリだと思った。
何とかボクの作品作りを助けてもらいたいと思ってオファーした。
もちろん、彼は自分のタッチが確立されたプロの漫画家だ。だけど
プロのアシスタントとして仕事をして生活の糧を得たいと思って
ボクのところに来た。
ただ、それだけのことであって、別に、つげさんが堕落したわけでも、
プロとして自信喪失したわけでもない。」


つげさんはつげさんでアシスタントをしながらこの時期、「ねじ式」、
「ゲンセンカン主人」、「紅い花」を発表している。

だから、生活の糧を得るために水木さんのアシスタントをしながら、
自分の描きたいものを描いていた。堕落や自信喪失ではなくてまさに
充実した漫画家活動をしていたと言えよう。三作品はつげさんの

代表作と言う人もいる。

ボクの友人の漫画家兼編集者は、個人的にと前置きして
「ゲンセンカン主人」が一番好きだと言っているほどだ。

つげさんは水木さんを尊敬していたらしく、ゲゲゲの女房
水木しげる夫人の著作によると水木さんの車を池上遼一さんの運転で
水木さんつげさんが同乗して神田の古本屋街によくでかけていったそうだ。

水木夫人の話ではつげさんはガロの広告を見てふらりと水木邸に現れ
、住むところもないというので、水木さんはあわててアパートを
契約したそうだ。ふらりと現れ、「ヤスミタイ」という謎の手紙を
残して失踪事件を起こし、また、ふらりと姿を現してアシスタントの
仕事をしたりしたそうだ。

つげさん自身は、一連の行動に関して「自分の中の精神的な不安定」と
「旅行癖( 異常な放浪癖 )」を挙げている。

休筆宣言をした後、深大寺かどこかで偶然バッタリ、水木さんと再会し、

( 仕事と生活が思うようにいかず)「不安で不満ですよ。」

と水木さんが言うのを聞いて、

「あれほどの成功者にして、心の不安はぬぐい切れないのだ。」

と思い、ますます尊敬したと語っている。

 


池上遼一さんに関しては水木夫人の著書によると、関西で看板を
描いていた池上さんがガロに発表した作品の画力に感心した水木さんが
編集部に頼み込んで関西からアシスタントをしてもらうために
呼び寄せたという。

上京したその日から、水木さんの原稿の背景を担当し、驚くほどの
スピードで完成させ、水木夫人が用意した夜食の握り飯を片膝立てて、
これまた驚くべき程のスピードで平らげ、仕事に戻り、
また、すごいスピードで仕事を続けたという。

水木夫人は、池上さんの何をするにも驚くべきスピードでやってのける様に
驚いているが、同時にとてもきれいな絵を描いていたと述懐している。

 

不思議な事に池上さんのヒット作品のほとんどが原作付き漫画(劇画)で
あることだ。ボクが知っているだけでも、「スパイダーマン」、
「ひとりぼっちのリン」、「I餓男」、「男組」、「信長」、
サンクチュアリ」、、、などすべてだ。

ボクは、原作付き漫画の作画家が悪いとかは全然思わない。それどころか、
他人の作ったストーリーを絵に表わせる人は、ストーリーを創作する人と
同じくらいの力を尽くして作画化していると思う。


今一つ不思議な事は、池上さんはつげ義春さんの大ファンで水木さんの
アシスタントになった時、そこにつげさんがいて驚いたが、
水木さんの言によると、

「私よりも、つげさんのことを先生々と呼んで、よっぽど尊敬していた。」

と言う話である。本当に興味深い不思議な関係だ。


最高の弟子【水木しげるのアシスタントつげ義春、池上遼一】


無能の人・日の戯れ(新潮文庫)

水木しげるさんは、つげ義春のタッチにほれ込んで、雑誌ガロ誌上に「つげ義春さん。連絡をください。水木しげる。」と言う広告を載せた。それを見たつげさんが調布市の水木さん宅を訪れアシスタントになったという。

その時、つげさんはもうすでに「つげ義春」というブランドとして確立されたプロの漫画家であった。しかし、水木さんに乞われて水木さんのアシスタントを引き受けた。引き受けたつげさんの本心は誰にも分らない。

一部漫画ファンがよく水木さんに尋ねたという。

「つげさんは自分がプロの漫画家なのに今更、水木さんのアシスタントなんかして、プロとして自信喪失でもしたのでしょうか?」

水木さんの答えは明快である。

人生をいじくり回してはいけない (ちくま文庫)

「ボクはつげさんのタッチがボクの漫画にピッタリだと思った。何とかボクの作品作りを助けてもらいたいと思ってオファーした。もちろん、彼は自分のタッチが確立されたプロの漫画家だ。だけと゛、プロのアシスタントとして仕事をして生活の糧を得たいと思ってボクのところに来た。ただ、それだけのことであって、別に、つげさんが堕落したわけでも、プロとして自信喪失したわけでもない。」

つげ義春日記 (講談社文芸文庫)


つげさんはつげさんでアシスタントをしながらこの時期、「ねじ式」、「ゲンセンカン主人」、「紅い花」を発表している。

だから、生活の糧を得るために水木さんのアシスタントをしながら、自分の描きたいものを描いていた。堕落や自信喪失ではなくてまさに充実した漫画家活動をしていたと言えよう。三作品はつげさんの代表作と言う人もいる。

ボクの友人の漫画家兼編集者は、個人的にと前置きして「ゲンセンカン主人」が一番好きだと言っているほどだ。


つげさんは水木さんを尊敬していたらしく、ゲゲゲの女房水木しげる夫人の著作によると水木さんの車を池上遼一さんの運転で水木さんつげさんが同乗して神田の古本屋街によくでかけていったそうだ。

水木夫人の話ではつげさんはガロの広告を見てふらりと水木邸に現れ、住むところもないというので、あわててアパートを契約したそうだ。ふらりと現れ、「ヤスミタイ」という謎の手紙を残して失踪事件を起こし、また、ふらりと姿を現してアシスタントの仕事をしたりしたそうだ。

新版 貧困旅行記(新潮文庫)


つげさん自身は、一連の行動に関して「自分の中の精神的な不安定」と「旅行癖( 異常な放浪癖 )」を挙げている。

休筆宣言をした後、深大寺かどこかで偶然バッタリ、水木さんと再会し、

( 仕事と生活が思うようにいかず)「不安で不満ですよ。」

と水木さんが言うのを聞いて、

「あれほどの成功者にして、心の不安はぬぐい切れないのだ。」

と思い、ますます尊敬したと語っている。

 

漫画家本vol.12 池上遼一本 (少年サンデーコミックススペシャル)

池上遼一さんに関しては水木夫人の著書によると、関西で看板を描いていた池上さんがガロに発表した作品の画力に感心した水木さんが編集部に頼み込んで関西からアシスタントをしてもらうために呼び寄せたという。

上京したその日から、水木さんの原稿の背景を担当し、驚くほどのスピードで完成させ、水木夫人が用意した夜食の握り飯を片膝立てて、これまた驚くべき程のスピードで平らげ、仕事に戻り、また、すごいスピードで仕事を続けたという。

水木夫人は、池上さんの何をするにも驚くべきスピードでやってのける様に驚いているが、同時にとてもきれいな絵を描いていたと述懐している。

 

BEGIN(1) (ビッグコミックス)


不思議な事に池上さんのヒット作品のほとんどが原作付き漫画(劇画)であることだ。ボクが知っているだけでも、「スパイダーマン」、「ひとりぼっちのリン」、「I餓男」、「男組」、「信長」、「サンクチュアリ」、、、などすべてだ。

ボクは、原作付き漫画の作画家が悪いとかは全然思わない。それどころか、他人の作ったストーリーを絵に表わせる人は、ストーリーを創作する人と同じくらいの力を尽くして作画化していると思う。


今一つ不思議な事は、池上さんはつげ義春さんの大ファンで水木さんのアシスタントになった時、そこにつげさんがいて驚いたが、水木さんの言によると、

「私よりも、つげさんのことを先生々と呼んで、よっぽど尊敬していた。」

と言う話である。本当に興味深い不思議な関係だ。

ゲゲゲの鬼太郎(1) (コミッククリエイトコミック)

描き替えられたラストシークエンス・横山光輝著「伊賀の影丸」

秋田書店刊の秋田文庫・横山光輝著「伊賀の影丸」第一巻「半蔵暗殺帳の巻」を再読。


「半蔵暗殺帳の巻」が「伊賀の影丸」のシリーズの第一巻に来ること自体、ボクは違和感を感じたが、よくよく考えてみると合点がいった。

小学館の少年サンデーでの連載順は、一番目が「若葉城の秘密」(これは謀反計画・宇都宮の吊り天井事件がモデル)、二番目が「由比正雪の巻」(これは歴史的にも有名で歌舞伎にも題材がある。)、そして三作目がフィクションだが「闇一族」。もっとも、地名や人物、団体のモデルはちゃんと存在している。地域は今の奈良県だし、一揆で領主と対立した人々も実在する。


話が逸れるところだった。「若葉城の秘密」、「由比正雪の巻」、「闇一族」と連載され、「半蔵暗殺帳の巻」はずっと後なのだ。
世間で一番人気のある「七つの影法師」(これは、薩摩藩の間者がモデル)よりも後のはずだ。



では、秋田書店はなぜ、連載順を無視したのだろう。答えはこうだ。つまり、出版社同士のバーター取引だ。秋田書店少年チャンピオンで人気連載の「バビル二世」を小学館に渡し、小学館は少年サンデーで好評を博した「伊賀の影丸」の出版の権利を秋田書店に譲渡する。

そうして、出版社、装丁、大きさや表紙のカラーデザイン、紙質などなどに変化をつけて、再出版、再々出版を繰り返す。やがて、ほんの売れ行きが低下したころには、また次の出版社、講談社とか集英社とか、とバーター取引をすると、こういう訳だ。


本が売れると作者だって印税が入るから文句は無い訳だ。すまん、この話、実は裏を取ってない。(取ってねえんかいっ‼)今から、友人の漫画家、編集者に裏を取る。(おそっ~。)



で、平成七年の初版・秋田書店文庫・横山光輝著「伊賀の影丸」第一巻「半蔵暗殺帳の巻」のラストシークエンスなのだけど、326ページ寒月斎から巻物を奪い返して、伊賀地獄谷忍軍と五代目服部半蔵正吉(五代目は徳川将軍家の文官でもう、忍者の統領ではないとの説が有力。だから、影丸の師匠でも上司でもないはずだけど。いいんだ。そんなのはッ。フィクションだから。)の配下とともに去っていく影丸が振り返って、寒月斎の死体を無言で見つめるシークエンスは、少年サンデー連載中、「半蔵暗殺帳の巻」ラストにはなかった。

約五十年の時をへて描き替えられた絵である。何のためにそうしたのか?編集者の意向か?作者がそう願ったのか?雑誌の広告が抜けたためか?その辺の事情はボクにはわからない。友人の漫画家兼編集者に尋ねてみたい。

原作愛蔵版 伊賀の影丸 第5巻 半蔵暗殺帳 (5) (KCデラックス)

伊賀の影丸 半蔵暗殺帳の巻 (秋田トップコミックスW)

水木さんつげさん・調布の「クロ」と言う喫茶店

水木しげるコレクションマグカップシリーズ ゲゲゲの鬼太郎




つげさんが水木さんのうちで御馳走になったコーヒーが大変美味しかったので、どこで豆を買ったか聞いたら
調布の駅前の「クロ」という喫茶店を教えられた。

凝り症のつげさんは探し回った見つからない。

水木先生にもう一度尋ねたら

あんた。あんな店なんか行かない方が良いですよ。きったないとこなんだから。

と言う。

ふたたび、探すが尋ねた住所には汚い民家が一軒。
看板もない。
それでも尋ねてみようと言う気になって玄関の硝子戸をあけようとしたら建付けが悪く戸が外れた。
戸を抱えたまま尻もちをついたつげさん。

中からおばちゃんがお昼ご飯でも食べていたのか、口をもぐもぐさせながら出てきた。その店が探していた喫茶店だった。 

KINTO (キントー) コーヒーカップ OCT カップ&ソーサー 220ml ブラック 28894



さすがのつげさんも気おくれし、そうそうにコーヒーを飲んで退出したが何回か行くと慣れてきて気に入った。しばらく通ったが、やがて駅前再開発によって店は取り壊された。
後年、つげさんが「クロ」と言う名前について水木さんに尋ねると、本当の名前は知らない。
あまりに汚くて黒い店だから水木さんが勝手に名付けたと聞かされた。


マンホールカード 東京都 調布市 鬼太郎













或る漫画家の大団円

ぼくのマンガ人生 (岩波新書)
手塚 治虫
岩波書店
1997-05-20




親友の漫画家が逝ってから一か月、故人の奥さんから満中陰志が届いた。
彼の所は神道でそういう風習はないはずだが、生前の彼の気遣いが奥様にも届いているのだろう。
彼の人生の幕引きの手際の良さには舌を巻く。

はやい時期に「俺の人生はまんざら悪くもなかった。」等と言いびっくりさせたが、
生前の一挙手一投足がエンディングへの伏線の様だった。

生前の写真がメールやラインで届き、闘病中にも関わらず長文のメールが届いた。
そこにボクたちの出会いから発症、入院に至るまでの経緯と心境と感謝の言葉が綴られていた。

そして、逝く数日前かろうじて声が出せる状況の下で、奥様から電話があり、

「うまく声を出せませんが、相手の言葉は全て理解できるのでどうぞ声を掛けてやってください。」

と言われた。
彼は有難うとかすれた声で言い、ボクは泣きそうになるのを我慢して有難うと返した。


18で出会ってから50年一つのストーリーを完結させるように、彼にとっては得意の漫画のストーリーを
組み立てる作業のように鮮やかに人生を終わらせた。




(拙文と手塚治虫先生の御著書のカットは無関係です。親友が生前手塚治虫先生を尊敬していたので。)











貸本屋漫画家時代のつげさん

つげ義春初期傑作短編集 (第1巻)










昭和32、3年頃の話だが、つげさんは貸本屋に勤める女性と同棲していたことがあったらしい。
暮しは楽でなく二人分の生活費を稼ぐため、生涯で最も多作だった時期と振り返る。

貧乏が続いて彼女の不貞行為が発覚する。
彼女を貧窮に巻き込んでいると思ったそれ以上追及できず、ただうなだれていた。
貧困が女性の心を歪ませるのはよくあることだとつげさんは女と別れた。

女との別れはさしてつらくはなかったが、いくら頑張っても生活の成り立たない貸本業界に失望した。

その頃発表されたのが名作「港のリリーちゃん」や「走れ!ぼろバス」である。貧しくても明るく一所懸命に生きる主人公たちが描かれている。

現実の苦しみから逃れたいと願いを込めて作品を描いていたのだろうか。

つげ義春さんの密航未遂

大場電気鍍金工業所/やもり つげ義春コレクション (ちくま文庫) [ つげ義春 ]

つげさんは小学校を卒業するとメッキ工場で働きだしたが、その仕事が嫌で嫌で、そこから逃れたい一心で横浜港に行き、日産汽船の1万トン船日啓丸に潜り込んだ。密航を企てた。東回りニューヨーク行の日啓丸が横浜から出港して四時間後、野島岬を通過し太平洋へ出たところで甲板員に見つかった。

余程叱られると覚悟していたが船員はみな優しく親切にしてくれた。ケーキの差入や昼食をごちそうしてくれて風呂にも入らせてくれた。

数時間経過して観音崎付近で海上保安庁の巡視艇に身柄を引き渡された。
巡視艇から日啓丸を振り返ると、甲板に船員がずらりと並び、少年のつげさんに手を振った。
別れの汽笛が脳天を打ちのめすように鳴らされた。


ボクはつげさんの回想記を読んでいて涙が出そうになった。
汽笛が聞こえてくるようだった。
少年のつげさんの心情を知ろうとしても深く複雑で分からない。
同情なんか恐れ多くてできない。
ただ圧倒されて悲しくなった。

つげ義春さんから見た水木しげるさん

新版 貧困旅行記(新潮文庫)
つげ義春
新潮社
2017-04-28





水木さんの助手をして日当で生活をしていた頃、つげさんが寿司屋で昼食をとっていたら、偶然そこへ予約の折詰を受取りに水木さんがやって来た。
ひどい貧乏生活をしていたつげさんは何か身分不相応で悪いことをしているのを見つかったような気がした。
慌てふためいてその場で棒立ちになって口もきけないでいた。寿司屋の店員が何事かと驚いたほどだったという。
水木さんはというと、チラッとつげさんを見てにこりと微笑んだだけで出て行った。
食事を終えて水木邸へ仕事をするために戻って来たつげさんを水木さんは、

 「あんたがあんなに驚くもんだから、私は自分が刑事になったような気がしましたよ。」

とユーモアで慰めた。


つげさんはこう振り返る。
「その一件以後、苦労人の水木さんに私はあらためて親近と信頼感をおぼえた。」



つげ義春ワールド

つげ義春 「ガロ」時代 [ 正津勉 ]

つげ義春大全別巻の二の紀行文やエッセイが大変興味深い。ボクは東京の下町を知らない。昭和20年代の田舎で生まれ育ったから、つげさんの文章に綴られた下町の暮らしぶりを読んで驚くばかり。

他の漫画家についても語っている。
手塚先生とは三度会った。いつも丁寧に質問に答えてくれた。
横山さんが「音無しの剣」で登場した時はうまいなあ、とてもかなわないと思った。
水島さんの山の手育ちでインテリぽく明るい家庭に憧れかつ嫉妬した。


辰巳さんは温厚な常識人だったが作品は一番影響され憧れた。
白土さんの模倣をして時代物を描いて生活費を稼いだ。釣りや旅行は氏の影響だった。
水木さんは恩人だというふうなニュアンスで話されている。

水木さんの助手をして生活費を稼ごうと面接に言ったら、こたつの部屋に通され、水木さんはごろりと寝転がって話をされたので自分も気が楽になって同じように寝転がって話をした。

自分が給料をもらいに行くと、後で知ったのだが奥さんが質屋に走ったり、借金に走ってつげさんの給料を渡してくれた。
ガロが原稿料を払えない時は、白土さんが肩代わりして払ってくれた。けど、白土さんも質屋なんかで工面していたらしい。
辰巳さんの出版社でも描いたが、原稿料は辰巳さんが借金してきて払ってくれた。

ぜんぶ当時は知らなかった。あとから聞いたとのこと。

つげさんは感謝や尊敬の念をもって他の人の事を書く。

ボクは読んでいてジーンとした。。



大漫画家からの返信メール



週刊誌の編集をやったことがないので詳しいことは分かりません。ですから、以下は私の想像です。漫画家から聞いた話と、知り合いから聞いた週刊誌の事情を元に、類推したものです。正しいかどうかは判りません。

週刊誌の連載は大変で、どの漫画家もギリギリの状態でこなしています。アシも大変で、スケジュールはガチガチ。合併号が出せたからといって、一週間たっぷり休めるということにはならないのです。ましてや合併号の出る時は前倒しで原稿を上げなければならず(お盆進行、年末進行)、その負担は普段以上で披露困憊です。応援にアシを雇う漫画家は少なくありません。そこで制作のペースを崩すこともあります。漫画家からすると「合併号は迷惑なだけ」なのです。

合併号の次の号の話がつまらなくなるというのは、待たされた分その漫画への期待が大きくて、再開された話がつまらなく思えてしまった…ということではないかと。心理的要因が大きかったのでは。そんな気がします。読者にとって二週間待つのは辛いですもんね。
絵のクオリティが落ちたのはたまたまで、筆の達者なアシが抜けていたとか、そういう理由があったのかも。

鉄人の話は、おそらく御大の推理通りだと。アシの方が描くというのは考えられませんから。

で、この影丸バッジ、私も持っていました。サンデーに申し込んで手に入れました。懐かしいなぁ。実家に残っているかも。