つげ義春さんの奇跡の一年半は1967年~1968年、30歳~31歳までを言うらしい。
僕が思うに、もう一つ、つげさんの創作活動人生において注目すべき年がある。
1961年7月つげさん24歳の年から1963年4月26歳までである。この間は『空白の2年』
と言っていい。この間、休筆状態であった。1961年7月『忍者くん』を発表して1963年
4月『野盗の砦』で再デビューするまで作品を描いていない。1961年7月『忍者くん』は
大塚で同棲していた金のかかる女性との生活を守るため、金を稼ぐ目的で必死で描いた
珍妙な作品(編集者高野慎三さんが聞いたと言う本人談)らしい。1963年4月『野盗の砦』
は東京トップ社の熱血編集者、熊 藤男さんに「時代は変わった。古い絵ではだめだ。」
と発破をかけられて描いたものだという。
1961年7月の『忍者くん』は手塚治虫先生と初期の白土三平さんのテイストだし、1963
年4月の『野盗の砦』はもうカムイ伝の始まったころの白土三平タッチをベースにしな
がら、台頭してきた劇画工房さいとう・たかをの影響が感じられる。まるで『空白の2
年』で、つげ義春が生まれ変わったかのような『変化』を感じ取ってしまう。




















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