龍馬

土佐の漫画家に龍馬を問う

ボクの質問

「 高知県民の何割かは龍馬が嫌い。龍馬は地元のために何もしなかったからという理由で。」

実際にこう考えている高知県人はいるのでしょうか?他県人の勝手な創作だと思うんですが。



友人の土佐の漫画家の答え


龍馬嫌いは何人かはいると思います。

でもそれは、彼が地元のために何もしなかったという理由からではないと思います。

司馬遼太郎の創作した龍馬像によって、彼が伝説化され過ぎている、

それに乗って、何でも「龍馬」「龍馬」と騒ぐ高知県人が恥ずかしい…という理由から「あんまり好きじゃない」と発言するタイプがちらほら。


あの小説読んだら惹かれない男はいないと思います。ですから、そう言う方々は大抵が小説を読んでいません。


それから高知県人には、逆張りが好きな天邪鬼が多いですから。
そういう方々も同じような答えをするのではないかと。で、嫌いな理由に「地元のために云々」を引っ張ってくる。

何もしなかったってことはないんですよ。でも、そういう人らは決まってそう答える。
誰かがそう言っているのを聞いていたのでしょう。阿呆の受け売りです。

「わしのためには何もしてくれんかった」程度の戯れ言です。
吉田の爺さんだって地元には自信と誇りを残してくれた。偉人は偉人です。


そういう人がいるのも高知県。香川県人のように知的ではないのです。酒呑んで楽しく遊んで暮らす。

23龍馬さんと、板垣退助のルイ・ヴィトン



 

高知へ行く。
香川豊浜のパーキングで讃岐うどんを食った。高いがうまい。
南国市のインターで降りる。
なんごくではなくて、なんこくだ。
友人の南国市出身の大学教授に怒られたことがある。
なんこくしが正解。正しく発音しろと!

 

その教授が「南国市の高知大学医学部の建物の近くにタレントの島崎和歌子の母ちゃんがしてる喫茶店があるぞ。」と言ってたが、僕は見つけることはできなかった。


南国のインターからすぐ近くに高知県民俗資料館があった。
資料館の玄関前に長宗我部元親公の銅像があった。随分とハンサムだ。
この辺に長宗我部元親の最初の砦があったらしい。


地下に降りると板垣退助のルイヴィトンのトランクが展示してあった。感激した。
新聞で発見されたとの記事を読んでいたからだ。
洋行の際、日本人で初めてヴィトンのトランクを購入したのが板垣退助と言うことになっているが(定説)、実は板垣は二人目らしい。初めて買ったのは、明治政府の役人某氏で、二人目が板垣退助、三人目が板垣の幼馴染で親友の後藤象二郎だそうだ。


高知県民俗資料館を出て、僕は板垣退助の大ファンなので、市内の高知県自由民権記念館に行こうと電話をいれたら、なんとその日は休刊日だった。大・大・大・残念!来月、東京に戻ったら、再び高知旅行をすることにした。それまで、辛抱する。なにしろ、自由民権記念館には、板垣が坂崎シランにかかせた龍馬伝「汗血千里の駒」の原資料があるからだ。

桂浜で龍馬さんの銅像をみて坂本龍馬記念館に行こうと電話を入れたら、なんと記念館は2018年まで改装中で休館だった。その代わり、桂浜荘の地下で龍馬の手紙展を入場無料でやっていた。駐車場料金もただであった。僕は、龍馬の手紙の言葉はどれもこれも大好きなのだが、「今一度、日本を洗濯致し申し候。」や「死ぬときはたとえどぶの中でも前のめり。」や「役人は嫌いだから、世界の海援隊でもやつてみる。」なんかはぐっとくる。


桂浜荘の駐車場に愛車のポルシェ(うそ!ほんとはダイハツミラ)を止めさせてもらって桂浜の龍馬さんに会いに行ってきた。感無量。

龍馬さんお久しぶり。龍馬さんは、くしくも33歳の誕生日に、卑怯な何者かに暗殺されてしまったけど(諸説あり。)龍馬さんの二つ年下の乾退助さんは長生きしたよね。お国のために尽くしたよね。でも二人ともお国のために命がけで尽くしたよね。百年たとうが、百五十年たとうが、ぼくらは決して忘れないよ。


乾さんの言葉の中で僕が好きなのは「板垣死すとも自由は死せず。」(発言者別人説有力)と「イタイイタイ。医者を呼んでくれ。」(でも、これは岐阜の演説会場で乾さんの胸か腹を短刀で刺した刺客の相原しょうけいを、竹ノ内流柔術の当身で自ら取り押さえた後に言った言葉だから。)だよね。


また九月、土佐に行く。中岡慎太郎記念館や、龍馬の生まれた町記念館や横山隆一漫画記念館、アンパンマンミュージアムそのほか、沢山いきたいところがある。土佐は、見どころ満載!酒と皿鉢料理がうまい‼(僕は、下戸で魚は苦手です。高知県民さんごめんなさい。)

すまん、今日も落ちなし、教訓なし。

22ローマの休日

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高知県でやってる観光キャンペーン、「龍馬の休日」
って、これ、あかんやろ。
龍馬さんに謝れッ!

ついでに、グレゴリー・ペックとオードリーにも。
春日じゃねえぞ。ヘップバーンのほうだよ。


まあ、軽いだじゃれ、ジョーダン、ジョークだから、いいんですけどね

21龍馬と西郷と明治大帝に愛された板垣退助


土佐一の武闘派で軍人。
戰爭の専門家で自身も子供のころから戦場格闘技の天才と言われる板垣退助は、実はナイーヴだが意志の強い平和主義者であり、自由民権運動の始祖である。


西南の役で武力蜂起した西郷さんを見捨てたとは思わない。

「殺し合いでは何も解決しない。」

この言葉が板垣の本心であったに違いない。
ともに長州藩閥明治政府を嫌い、野に下ったが、恐れ多くも、若い明治大帝はいつまでも、

「西郷、板垣」

と二人を慕っていた。

余談だが、西南の役で西郷死すの報告を聞いた青年大帝は、涙ながらに、

「西郷を死なせるなと言うたやろ。」

と側近、侍従を責めた。


板垣から岐阜暗殺未遂事件の犯人、相原しょうけいに対する恩赦の願い出を受けた明治大帝は、

「なんと、板垣は自分を殺そうとした男を許しまんのか?」

と驚いたという。

 

 

官軍先方の総司令として甲府に進攻作戦を展開した時、同じ日本人同士が傷つけ合い、殺し合うことを嫌った板垣は、当時、八王子の防衛にあたっていた千人同心の鳥居隊長に掛け合い、説得し、幕府軍国境警備隊の精鋭を一人も殺さず降伏させた。

鳥居は幕府軍の隊長として義を重んじ、責任をとり切腹した。

甲府に進攻すると当時の乾退助は自分の先祖は甲府の板垣であるとして、あっさりと板垣退助と改名した。甲府無血開城した。


日光に差し掛かった時、官軍の兵士が東照宮を焼き払おうとした。

「馬鹿なことをするな!」

と、官軍総司令官として板垣はこれを制止した。

「略奪、放火、盗み、打ちこわしをやったものは即刻叩き切る!」

と板垣は吠えた。



日光の人々はこれを感謝した。東照宮を創設した天海僧正と、東照宮を戦火から守った板垣退助、二人の銅像日光東照宮に仲良く立っている。

⑳龍馬ファンだった板垣退助


世界中に「龍馬会」はいったい、いくつあるのだろうか?
250とも300とも言われているが実数は定かではない。一番新しい龍馬会は台湾龍馬会で初代会長は李登輝氏。表立って日本と国交のないこの国の有名な指導者だが、日本の大学に学び知己も多いことから、超法規的措置が政府間でなされ、心臓弁膜症の手術を岡山県倉敷市の倉敷中央病院心臓血管外科で行ったことがある。

ヨーロッパやアメリカには龍馬会は結構、多い。特にアメリカでは州ごとに龍馬会がある。国内でもほとんど全県にある。

有名なのは、元祖高知龍馬会
海援隊の長崎龍馬会
幕府海軍の操練所のあった神戸龍馬会
若き日に龍馬が生きた江戸、東京龍馬会
龍馬が海難事故を処理するため逗留した福山龍馬会
龍馬最期の地京都龍馬会
龍馬の養子坂本直さんが移住した北海道龍馬会
桂、高杉、三吉と交流した山口龍馬会
お竜さんと新婚旅行に出かけた鹿児島龍馬会



龍馬ブームの火付け役となったのは土洋新聞に坂崎シランが連載した「汗血千里の駒」だ。それを書かせたのは立志社板垣退助である。

司馬遼太郎は「汗血千里の駒」を下敷きにして名作「龍馬が行く」を書いたと言われている。


最初の龍馬ブームは日露戦争の時、明治大帝の御后の夢枕に白袴の武士が立ち、「私が日本海軍の守り神となって陛下と日本国をお守り致します。」と奏上したことに由来する。皇后陛下内務省板垣退助をお召しになり、「あの者はたれか?」と御下問された。
板垣奏上す。「陛下、恐れながら、その者は土佐藩坂本龍馬直柔でございます。」


それから、幕末に非業の死を遂げた維新回天の英雄、坂本龍馬の名が全国に知れ渡った。日本は龍馬の守護により日本海海戦の勝利を得て、日露戦争に勝った。明治大帝と皇后さまは大変お喜びになり、龍馬の手紙、書籍、資料を求められた。



一方、板垣退助自由民権運動に龍馬を利用したとする意見もあるけど、僕はそうは思わない。板垣退助後藤象二郎武市半平太中岡慎太郎は上士、下士の区別なく交流があったとされている。
史実では板垣と龍馬は面識はあったものの、交流はなかったとされている。司馬遼太郎は作品の中で二人に会話させている。



僕の友人の高知出身の大学教授は、

「交流はなかったというのが定説になっているが、龍馬の生家、後藤、板垣屋敷と言うのは本当に近隣で徒歩十分圏内。800メートル程度しか離れていない。龍馬は板垣の二歳年上で子供のころの遊び場も一緒だったようだから、交流があったという方が自然だ。」

と言っている。
ひょっとすると、二人で「日本の夜明けは近いぜよ。」などと語り合ったかもしれない。

そうしてみると板垣退助にとって坂本龍馬とは愛すべき先輩で、生き方の手本であったかもしれない。

今一度言おう。板垣退助は生涯、坂本龍馬をリスペクトし、土洋新聞に龍馬伝「汗血千里の駒」を連載するよう坂崎シランに命じた。

龍馬会の元祖は高知龍馬会で初代会長は板垣退助かも知れない?