大陸出身者など、いろんな人と知り合った。
ボクは、1975年10月21日から国鉄労組が8日間の「スト権スト」
(ストライキを禁止されている労働者が、ストライキを行う
権利を求めて行うストライキ)を行った時の国鉄四国総局の
幹部に話を聞いたことがある。
「昭和22年の2・1ゼネストは革命前夜という感じだった。
食う為の暴力闘争。それに対して10・21はイデオロギー
闘争だった。公共企業体としての国鉄職員のスト権の是非を
世間に問う為の闘争だった。そして、いずれの時代も
労使の間に立ち、闘争直前まで双方のことを考えた
少数の人たちがいた。彼らのおかげで四国高松管内の
ストライキ現場が血を見ることはなかった。」
勤続三十年目に<彼>に係長推薦の打診があったが、自ら謝絶を
願い出た。そして次のように語ったのだ。
「私なぞに役が付いたら、組合員の連中は私に話を
しなくなります。組合員は私をもう『当局の犬』とも
『裏切り者』とも言いません。私を『仲間』と
認めてくれています。
だから、私は定年まで、ただの『国鉄職員』でいたいのです。」
高倉健さんの逝去に際し、思い出される映画「鉄道員」。
これを思うたびに、ボクは<彼>のことが頭をよぎる。