昭和

『ジャイアント台風・2』ニューヨーク無冠の帝王・鳥人・アントニオロッカの虚実綯い交ぜを紡ぐ梶原一騎の世界

DVD プロレス最強列伝炸裂!驚異のアルゼンチンバックブリーカー RAX-114 格闘技 アメリカンプロレス アントニオ・ロッカ ハンス・シュミット ルー・テーズ ザ・ビースト アントニーノ・ロッカ 幻の帝王 レスラー 70年代 80年代 プロレス 格闘家 スポーツ [メール便]
DVD プロレス最強列伝炸裂!驚異のアルゼンチンバックブリーカー  アメリカンプロレス アントニオ・ロッカ  アントニーノ・ロッカ 幻の帝王 レスラー 70年代  プロレス 



第二巻で馬場さんのアメリカプロレス武者修行はいきなり佳境に入る。登場人物も一挙に四人増える。

馬場正平
デューク・ケオムカ
フリッツ・フォン・エリック
アントニオ・ロッカ
力道山
フレッド・ブラッシー
ミスターМ
ロイ・マクラリティ―
スィート・ダディ・シキ
ハード・ボイルド・ハガティ
ドクター・ビル・ミラー
ボボ・ブラジル
アントニオ猪木

この中でボクの好きなレスラーはアントニオ・ロッカだ。
世界中のレスラーの中で最高のギャラを稼いだ男。チャンピオンベルトに執着しなかった男。技の神様。黄金の男。鳥人。ニューヨークの帝王。無冠の帝王。様々なエピソードが残されているがボクが一番好きなのは修業時代の馬場さんがアントニオ・ロッカに勝利したこと、だがロッカはリングを降りると新人の馬場にもフレンドリーで会うたびに葉巻をくれたという話などである。

馬場さんのトレーナーのフレッド・アトキンスは「飛んだり跳ねたりのサーカス野郎」と軽蔑したらしい。鉄人ルー・テーズは「自分勝手な試合運びでレスリングにならない」と切って捨てたようだ。

そして『ジャイアント台風』の中でアントニオ・ロッカにまつわる一番凄まじい話は「日本人柔道家殺害事件」だ。今でいうところの、リング上の異種格闘技戦でアントニオ・ロッカが日本柔道家谷五段を弑してしまったというのだ。

梶原一騎先生は「1961年フロリダの夏は暑かった。」という書き出しの名調子でその悲惨なエピソードを紹介している。その事件の出典がアメリカのプロレス専門誌なのか、当時のフロリダのプロレス紙なのかわからない。底本を明らかにしていないことから梶原先生の創作であったかも知れない。

とにかくそうやって梶原さんは余談で盛り上げてロッカの強さ、非情さをクローズアップして最高潮に達したところで1962年3月29日ニューヨーク、マジソン・スクェア・ガーデンで両者が対戦したという事実にボクらを引きずり戻すのである。

どうでしょうか。素晴らしいストーリーテラーだとボクは思うのですが。

「ケンカの聖書(バイブル)」全五巻完全版 原作梶原一騎 作画石井いさみ 双葉社刊




●本作は梶原一騎、石井いさみの問題作品と言われることがあります。 少々僭越な個人の感想ですが三島由紀夫作品の中の「青の時代」に似通ったところがあります。三島は「青の時代」を評して「主題がぶれ、文脈もふら付いた不完全な作品」と言う意味の発言をしていますが、その方が人間三島由紀夫の思考や躊躇いが垣間見えて余程面白いです。 同様の雰囲気が、梶原一騎 石井いさみコンビの「ケンカの聖書(バイブル)」にも見られます。 ●「柔道一直線」、「空手バカ一代」、「ケンカの聖書(バイブル)」を 梶原一騎さんの問題三部作と言われることがあります。 「柔道一直線」は漫画家の首をすげ変えても続かずついには未完で投げ出します。 「空手バカ一代」は漫画家と喧嘩別れし監禁事件まで起こします。 「ケンカの聖書(バイブル)」も他の作品のような運命かと思いきや、そこは幼少のころから京浜鎌田の悪ガキ仲間の友情で1011ページの堂々の完結を迎えます。1010ページまでの破滅的悪魔的展開を最終一ページで裏切ってハッピーエンドに持ち込みます。これは石井いさみ画伯の功績。 ●ただ一点、気になるのは私の記憶違いか?連載当時の最期のクライマックス吉良旭と力王山の決闘のシークエンス。本作品では19ページに渡って死闘が描かれていますが、少年サンデーの連載当時は、吉良旭が日本刀を抜いた瞬間に力王山が「わしの負けだ!わしが悪かった!!」と叫んであっけなく決着したように思われます。この点は資料をお持ちの方がいらしたら御教示ねがいたいところです。 ●最後に、「石井いさみに格闘シークエンスは描けない。」という批判ですが梶原さんの実弟の真樹日佐夫さんと石井画伯が組んだ「すてごろ専科」よりは本編「ケンカの聖書(バイブル)」の方がきれいに描けていると思います。ちなみに真樹日佐夫さんは石井画伯のことを「いさみちゃん」、梶原先生のことを「にいちゃん」と呼んでいたそうです。

プロレスの味方の人のプロレスの見方





1970年代の初めころよりプロレスファンがものすごく饒舌に変化していったことがある。プロレス雑誌を二誌とプロレス新聞を二紙購読してしたが、一般のプロレスファンがひどく理論武装するようになった。非力で腕力に自信のない学生が口先でペラペラ言ってけんかの強い体育会系男子を煙に巻くというのによく似ている。
プロレスにいろんな見方があると言い出したのは村松友視だったが「私、プロレスの味方です」が出版されたのが1980年であるからファンがプロレスを言葉であれこれ解説してみせると言うのは、村松さんが本を出したころにはもう世間一般のプロレスファンの「あれこれ理屈を言い合ってプロレスを楽しむ」という風潮はごく当たり前のことだったのだろう。

愛蔵版 「まんが道 」全4巻 藤子不二雄 を読む

まんが道(7) (中公文庫コミック版) [ 藤子不二雄A ]
まんが道(7) (中公文庫コミック版) [ 藤子不二雄A ] 40年近く前に刊行されたもので大作で全4200ページ近くもありますが特に落丁なく物語を読むのに支障はありませんでした。 漫画の神様手塚治虫さんに憧れた藤子不二雄さんの幼少期から漫画家として世に出るまでの自伝漫画。 神様手塚治虫さんの底抜けの優しさと、超一流プロとしての凄み、戦後児童漫画の革命児としてのプライドがひしひしと伝わります。また本人談として「医者の端くれとして健康に留意している」 という言葉が出てきます。のちの世の「ブラック企業」どころでない当時の漫画家の悲惨な労働条件をかいまみることもできます。

また、トキワ荘、新漫画党のリーダーとしての寺田ヒロオさんも作品中にたびたび登場します。 「スポーツマン金太郎」、「暗闇五段」の大人気連載終了後、悲劇的なフェイドアウトをしたとも言われています。 高卒後ノンプロでピッチャーを経験後漫画家に転身したエピソードも少し語られており、寺田ヒロオさんのファンにありがたい作品です。
暗闇五段〔完全版〕【上】
寺田ヒロオ
パンローリング株式会社
2015-06-01


若き天才漫画家石ノ森章太郎さんや、三島由紀夫氏が認めたギャグ漫画の王様赤塚不二夫さん、東京出身のアドバンテージを持ってトキワ荘に参加したつのだじろうさん等の若き日が描かれています。

また、さいとうたかさんそっくりの人物が時々現れて二人(藤子不二雄)に大阪弁でハッパをかけますが、劇画を児童漫画家グループからどう見ていたかという様子が偲ばれます。



優れた自伝漫画作品であり、人生の指南書であると言えましょう。

プロレスが好き

生まれた時から

日本のプロレスは始まっていた

力道山がいた

悪い外人レスラーがいた

空港で覆面のまま暴れた

世界チャンピオンもいた

アメリカの大統領なみの歓迎に沸いた

それらみんなを力道山かやっつけた

空手チョップでやっつけた






BlogPaint

BlogPaint

昭和の漫画家たち

水木しげるさんのデビュー作は堀江卓さんのタッチを真似た「ロケットマン」だって言うしなあ。みんな苦労してるんや。

でもパクリだ盗作だ模倣だと言ってたらキリがない。戦後の漫画家の大半は手塚先生を真似たと言うから。

その手塚先生にしてもなお、ディズニーや山川惣治さんからのインスパイアーが大きいし。
 
でその手塚先生やクロサワをハリウッドがパクリまくってるし。

でも漫画の神様手塚治虫さんは「お互い様」と言って許してる。時代が良かったのかな。

「貸本マンガと戦後の風景」高野慎三著を一気に読んでしまった

LINE_ALBUM_2023512_230512_9
LINE_ALBUM_2023512_230512_8
LINE_ALBUM_2023512_230512_7
LINE_ALBUM_2023512_230512_6

LINE_ALBUM_2023512_230512_5LINE_ALBUM_2023512_230512_2
LINE_ALBUM_2023512_230512_10
LINE_ALBUM_2023512_230512_1
LINE_ALBUM_2023512_230512_0


LINE_ALBUM_2023512_230512_4
LINE_ALBUM_2023512_230512_3

簿記や会計のできない銀行員



【ノーブランド品】【100万円グッズ】 新型 百万円札 メモ帳 300束セット

ボクは三桁の加減乗除の計算が苦手だ。筆算のことである。そろばんや電卓では何も問題ない。

だから小学校の時の算数は2であった。筆算が困難、できない、なぜそうなるのかわからない。

多分そういう病気だと思う。それでよくもまあ40年近くも金融機関勤めができたものだと思う。

困ったのは企業分析の連結決算の時だった。

通常、損益や利益を親子企業の規模で案分して求めるがその計算が遅い。

だから徹夜や持ち帰り残業がしょっちゅうであった。現在は情報漏洩にあたるので禁止行為だが、

そういうことをしていた。

計算が早くなるように努力してもどうにもならないので、徹夜しても翌日に響かないように体力養成に

務めた。

そうして定年退職したが退職記念の食事会でかつての上司の頭取がボクに言った。


「簿記や会計のできない銀行員は珍しかった。昇進や昇給の推薦を書こうとしてもその点が引っかかってどうしようもなかった。」


出世せず銀行員としては名も財も残せなかったが健康で長生きできているだけでもありがたいと思っている。




自決前の三島由紀夫が知りたがった「あしたのジョー」最終回

劇場版 あしたのジョー2 [Blu-ray]

梶原一騎漫画原作者・1936~1987)が高森朝雄ペンネームで「あしたのジョー」(少年マガジン・1968~1973)を連載し始めた時、高校生だった筆者は「巨人の星」や「柔道一直線」、「タイガーマスク」と異なるタイプの主人公の登場に戸惑いながらも、惹き付けられて行った。

主人公のジョーは不良で表情は憂いに満ちていた。顔付きはどう見ても「ハリスの旋風の石田国松」だが長身痩躯、やけに長いリーチが拳闘漫画の始まりを暗示していた。それが丹下段平力石徹白木葉子と言った登場人物達と巡り合い、激しく衝突し合って、物語がいきいきと展開して行く。

漫画の中に描かれたことなのに、いつしか登場人物が読者の現実世界でいきいきと動き始めたかのようだった。ジョーのライバルの力石徹は壮絶な減量苦を克服し、階級を下げ、バンタム級でジョーとの死闘を繰り広げ試合には勝つが、リングを降りた直後、亡くなってしまう。


 

連載開始50周年記念 あしたのジョー展 イベント開催記念商品 特製ポストカード 矢吹丈VS力石徹 A柄

作画を担当していた漫画家ちばてつやも、力石の死のシーンを描き終えた後、スランプとも心因性の病とも判明しない症状で入院休載してしまう。

やがて復帰したちばてつやは、まるでわが子の悲しい死を克服した強い父親のようだった。画力は冴え渡り、高森朝雄の原作ストーリーも「ジョーが生きて魂を宿して作者達を引っ張って行く」と言われるほどセンセーショナルな展開でストーリーは動いた。

今では伝説となった力石徹の葬儀だが、講談社は実際に葬儀会場を設営し、全国から多数の読者が参列した。 昭和45年3月のことだった。

余談ながら「あしたのジョー」はテレビアニメでは昭和44年から虫プロ制作のフジテレビ系列で、昭和55年から東京ムービー制作の日本テレビ系列で放送されている。この物語がいかに多くの人の共感を得たかの証である。

共感と言えば忘れてならないエピソードがある。昭和45年11月25日に市ヶ谷で割腹自殺した作家・三島由紀夫(1925~1970)は「あしたのジョー」の最終回を知りたがったと言う。

三島由紀夫に関しては、講談社の編集者に「僕は毎週水曜日に少年マガジンを買う」と語った話とか、夜中に編集部にタクシーで乗り着け「今週号を買いそびれたので売って欲しい」とねだった話とか、市ヶ谷突入前日に「最終回はどうなるか? 教えてください。私には時間がない」と語った等と伝えられている。

真偽のほどは分からない。しかし、それらのいずれもが本当であっても不思議ではない。

告白 三島由紀夫未公開インタビュー (講談社文庫)

よど号をハイジャックし、北朝鮮に逃亡した赤軍派は「われわれは『あしたのジョー』である」という声明を発表した。世間の大人達は「何を唐突な!」「犯罪者の幼稚な妄想!」と切って棄てた。それほどこの物語は日本の社会に多大な影響を与えた。

三島由紀夫が知りたがったラストシーン。世界戦に判定負けし「燃え尽きて真っ白な灰になったジョー」が生きているのか、もう死んでしまったのか? 故人となった高森朝雄氏に確かめることはできない。

ちばてつや氏は「私には分からない」と述べている。 ただ、

 「この物語は原作者のものでも、漫画家のものでも、ありません。読者のものです。読者一人々にとって感じ方は異なっていると思う。」

と語っている。

つげ義春昭和35年


昭和35年の5月から9月にかけて「忍風」誌上に発表された剣豪宮本武蔵に関する作品「妖刀村正」、「一番首」、「船島余話」というオムニバスである。このうち武蔵自身が登場するのは「妖刀村正」、「一番首」の二作品である。

ちなみに二作品とも武蔵の顔、要望は全く別人然として描かれているから、連作と言うのかなんか、素人のボクには不詳だが、同一主人公が次々と別の作品に登場していくと言った仕立ての作品とは違うようだ。

こういう作品は、手塚治虫さんの漫画のキャラクターに多い。ロックとかアトムとかコジローやランプなんかがそうだ。横山光輝さんの天魔野邪鬼なんかもそうだ。

 

「妖刀村正」、「一番首」の二作品では、武蔵は単なる狂言回しとして描かれていて、作品としての妙味は「妖刀村正」の神秘性と、「一番首」では戦国時代の合戦場での死の恐怖について武蔵野目を借りて表現している。

 

船島余話」では、武蔵死後の物語が描かれる。武蔵の養子と小次郎の縁者が偶然にも、同日の同一時刻に決闘の跡地船島に上陸して戦う意思、争う理由のないまま、武蔵小次郎戦を再現してしまうというストーリーだ。(勝敗の結果はボクは書かない。書くと柘植さんの漫画の価値が下がってしまう気がするからだ。)

 

 

この本には、つげさんのコラムやインタビュー、元ガロ編集長南伸坊さんの解説なんかも載っている。コラムでは、柘植さんは直木三十五の武蔵論に反対しているがボクも全く同感だ。

 

この時代は、つげさんは貸本主体で貧乏だったと聞くが作品を読む限りでは、気力体力とも充実していた時期のようだ。この時代の作品をもっと読みたいのだが、原稿が現存してないそうだ。作品は多いのに原稿が一つも残っていないのは貸本出版社が貧乏で倒産が日常的だったからかもしれない。非常に悲しい事だ。

 

カテゴリー
お問い合わせ