昭和

荒木一郎の全て<四日目①>

再び荒木一郎さんについて〈昭和のヒーローたち〉


野口五郎 35th anniversary LIVE

YouTubeで、子供の頃の野口五郎さんが荒木一郎さんの「今夜は踊ろう」をエレキギターを弾きながら歌っている映像を見た。白黒の映像で一瞬だったが、あれはたぶん、インスタントラーメンのメーカーのエースコックかどこかが提供していた物真似の歌番組だと思う。

うちのは野口五郎は知っているが、荒木一郎を知らない。坂上二郎や鈴木一郎を知っていて荒木一郎を知らないのはどういうことだ。当然、荒木道子は知らない。ナショナルキッド大鵬も知らない。恐怖のミイラも怪傑ハリマオも知らない。力道山は知っている。が、リアルタイムでは見ていないと言う。

ゴールデン☆ベスト 荒木一郎の世界+12



まあ、いい。知らないものは仕方ない。そこで、荒木一郎さんの「愛しのマックス」、「空に星があるように」、「今夜は踊ろう」を歌ってやった。いや、ボクは音痴だから無理矢理聞かせた。それがいけなかった。


「最後の歌は知ってる。こないだ燃えたヨットのオーナー‼」

それは、加山雄三だろって‼

 

加山雄三ベスト40

荒木一郎さんについて<三日目の①> 四たび「回り舞台の上で」を読んでみたら

去年家の女を歯科医に連れて行った時にロビーで読んで以来、また、また、また、また、読み返してみた


面白い


ひとには伝わらないかも知れないけれど


それでいい



家の女は荒木一郎さんの映像を見て野坂昭如と言ったくらいだから



論外だが


友人にも知人にも荒木さんの含蓄のあるインタビュー記事は伝わりにくいと思う


「バス通り裏」を知っている世代でもわかる人にはわかるが    


気づかない人には役者荒木一郎の機微は伝わらないだろう


知り合いの漫画家は荒木一郎の最高傑作は「まむしの兄弟」だと言っている


あれを単に東映やくざ映画としてのみ見る人には伝わるまい

荒木一郎の世界④ 引き続き荒木一郎さんのまわり舞台の上でを読む〈面白いぞっ‼しかし、半分も読めてない。面白くて。〉


まわり舞台の上で 荒木一郎

荒木一郎さんのまわり舞台の上でを読んでいる。
面白くてまだ、半分までも進まない。面白いから、荒木さんの言葉を反芻する。時にネットで検索するのでますます、遅延する。
本編はインタビューによる構成になっている。歌手としての荒木さん。俳優としての荒木さん。作家としての荒木さんについて、書かれている。今、歌手の途中。そして、インタビュアーは、荒木さんについて熟知している。そういう人を厳選している。
野坂昭如勝新太郎若山富三郎大原麗子研ナオコ、宇崎竜童、羽仁進等々の名前がポンポン出てくる。大原麗子のために作った曲とか、桃井かおりのプロデュースに心血を注いでいる様子、岸本佳代子の欲の無さとか、ボクらが知らなかった荒木一郎さんのエピソードに「へえ~。そんな事情があったのか?」と驚かされる。

空に星があるように


考えてみれば、「バス通り裏」、「空に星があるように」、「いとしのマックス」、「今夜は踊ろう」、「町田警察署の勇み足事件」、「温泉こんにゃく芸者」、「荒木道子さんの息子」くらいの知識しかない。
これは失礼な話だが赦してほしい。田舎では、本当にミュージシャンとか、俳優とか、小説家とか、芸能界とか、についての情報が少ない。ない。荒木一郎さんが青学の付属に通っていて同棲していた。学生の時からバス通り裏に出ていた。渋谷で遊んでいた。
当時、ジャズ喫茶で遊んでいたら、解散した安藤組のチンピラとバッティングした。荒木さんは、ああ見えて結構、喧嘩師だ。手が早い。有名だったらしい。武闘派芸能人だ‼今じゃテレビに出てる俳優なり、タレントなり、歌手が、町の不良とけんかしてただで済むはずがない。そういう、ことが日常だったらしい。

ボクなんか、田舎の子だから、東京はわかる、渋谷も分かる、でも、解散した安藤組の人なんてまわりにいないし、ボクの村には、ジャズ喫茶もない。奪い合う女の子もいないし、遊ぶところもない。田舎の僕には、荒木さんに対して、、「バス通り裏」、「空に星があるように」、「いとしのマックス」、「今夜は踊ろう」、「町田警察署の勇み足事件」、「温泉こんにゃく芸者」、「荒木道子さんの息子」くらいの知識しかない。

こんなのは失礼だ。「荒木一郎さんのファンです。」とは言えない。だから、本を読む。荒木一郎さんのインタビュー記事をもとに構成されている3200円の本を読む。そして、昭和のヒーロー荒木一郎さんの時代を想像している。その時代の東京に思いを巡らす。

自選ベスト15 いつか聴いた歌 [名盤1000円]



うちのが時々、口をはさむ。
「ねえ、荒木一郎って歌手だったの?俳優だったの?歌、うまかった?テレビドラマによく出てくる人?レコード大賞は取った?イケメンだった?お父さんはファンだったの?」
誠に五月蠅い。やかましい。やぐらしかたい。でも仕方ない。リアルタイムで見てない人には荒木一郎さんの独特の雰囲気はわからない。

その点、ボクは、子供のころ、テレビで「荒木一郎」を見ただけだが、、リアルタイムで見ているから断言できる。

「ファンだ‼」
 
 
 

ありんこアフター・ダーク

 
<以下余談なんだけど>

友人の漫画家の娘さんは女優だが、その子のお父さんを通して、

荒木一郎さんの本を読む?」

と尋ねたら、
父曰く。

「うちの子は台本もろくに読まないので、せっかくもらっても読まないと思う。もったいないから、君の蔵書にしてください。」

と言われた。
お父さんにあげる訳じゃあ、ねえんだけどな。

まあいいか。面白いから、何度でも読めるもんなあ。
友人に譲渡する以外には他人にはあげたくねえ。
メルカリやBOOKOFFにゃあ出さねえぞ。

3200円じゃ安すぎる。買取は半値二掛けくらいなんじゃろう。五百円以下か。
そんなもんじゃろう。

あと、小説巨人の星初版本箱入りブックカバー付き汚れ虫食い無しという完品もあるぞ。
って、わしゃあ、アフィリもネット販売でもねえから、大事な本は墓場まで持って行くつもりだ。
( いつものように話は脱線してしまった。ごめん )


荒木一郎の世界①

荒木一郎さんのライヴに行き損ねた

 

BlogPaint
もう、三年になるか?近くにいたのに、行かなかった。知らなかったんだよね。知ってたら、前売りSOLDOUTでも、だふ屋から買ってでも(ダメ!違法行為です。)入ってたのに。

DVD見ると荒木一郎さん本人が言ってるもんね。

「ボクも高齢者だから、次(のライヴ)は、もう、(やるかどうか)わかんないよ。」!

ゴールデン☆ベスト荒木一郎~ビクター篇

荒木一郎/自選ベスト15 いつか聴いた歌

ゴールデン☆ベスト

昭和のヒーローたち

ボクらのヒーローたち


日活100周年邦画クラシック GREAT20 紅の拳銃 HDリマスター版 [DVD]

 

映画俳優・赤木圭一郎が生きていたら、今年で75歳になる。ジェームス・ディーンと八代目・市川雷蔵は同い年だから、生きていれば、共に84歳だ。

必殺の空手チョップ 今 蘇る!力道山 ~伝説の格闘王 [DVD]

プロレスラー・力道山は満91歳のはずだし、ジョン・F・ケネディは生誕99年を迎える。いずれも筆者の幼い頃のヒーローたちである。もしも、彼らが生きていたら・・・と今でも残念でならない。

ジョン・F・ケネディ・ストーリー The JFK Story (ラダーシリーズ Level 4)

ジェームス・ディーンは、1955年9月30日に24歳で交通事故で亡くなっている。筆者は一歳半だから、知る由もない。ジェームス・ディーンの存在を知ったのは、赤木圭一郎が亡くなってからあとのことだ。

エデンの東 (字幕版)

和製ジェームス・ディーンと言われた赤木圭一郎は、1961年2月14日調布撮影所で、ゴーカートに乗っていて事故を起こし、一週間後に亡くなっている。この時、筆者は7歳、小学校一年生だった。

7歳だったとはいえ、この事はよく覚えている。日活アクション映画の大ファンだった母親と初めて映画館で見たのが、小林旭の「銀座旋風児」だった。それは1959年のことで、筆者はまだ5歳。未就学児童で、「銀座旋風児」が言えず「銀座扇風機」と言って母を笑わせていたそうだ。

日活アクション映画では小林旭赤木圭一郎が大好きだった。石原裕次郎は大人のファンが多かったのと、裕次郎の放つカリスマ性と深いメッセージが複雑な思いがして苦手だった。

それに対して、小林旭の、なーんにも考えてないようなパープリンな底抜けの明るさと腕っぷしの強さ(という演技)、また赤木の暗い憂いを含んだ瞳と独特な早口の台詞回し、殺死屋のくせに決して人を殺さない拳銃の名手、劇中、突然流れ出す調子っぱずれだが一度聞いたら絶対忘れられない歌声、そのどれもが大好きだった。

赤木の死亡を知った時、筆者は「旭は大丈夫なの?」と母親に尋ねた。赤木は誰かに殺されたのではないかと妄想し、次いで小林旭の安否を尋ねたのだ。宍戸錠は竜(大好きだった「拳銃無頼帖」での赤木の役名)を殺す筈はない。

藤村有広が犯人に違いない。変な日本語を喋る謎の人を怪しいと思った。近所のお菓子屋の親爺が、子供心に藤村有広そっくりだと思った。

赤木圭一郎が死んでから、母親は映画を見なくなった。筆者もテレビばかり見るようになった。

その頃テレビでは、しばしば、アメリカの若き大統領ジョン・F・ケネディのことを報じていた。ケネディも子供達の間では、ヒーローだった。強くて大きく正しいアメリカの象徴だったのだ。

その大好きなケネディが死んだ! 銃で撃たれて殺された。すぐ犯人と言う男が捕まった。が、この犯人も白昼、公衆の面前で別の男に射殺された。それもテレビで知った。

アメリカは怖くて乱暴でめちゃくちゃな国になってしまった。それが、1963年11月22日のことでケネディは46歳。筆者は小学校3年生9歳だった。

驚いたことに翌月もヒーローが死んだ。同年12月15日、東京赤坂のナイトクラブで力道山が酔って喧嘩し、ナイフで腹を刺されて入院した。

テレビドラマや映画にもたびたび出演する正義のヒーローだった力道山だから、大したこと無いだろうと思っていたら、一週間くらいして、亡くなったとテレビが突然報じた。まだ、39歳だった。この時、筆者は泣きながら母親に、

「母ちゃん! なんで力道山、死んだんや?」

と、しつこく尋ねていた。正義のヒーローが死ぬと言う不条理に我慢が出来なかった。

それからは、子供心に熱中するヒーローを持つことを意識的に避けた。思い入れが深いほど、ヒーローが消えた時の悲しみは深いということを知った。

昭和のヒーローたちは夭逝の人が多かった。今、テレビの映像で昭和のヒーローたちの映像を見るたび、あの時代の悲しみが蘇って来る。ヒーローたちは生き急ぎ、時代を形づくり、昭和を駆け抜けて行った。

咲き定まりて 市川雷蔵を旅する

水木さんつげさん・調布の「クロ」と言う喫茶店

水木しげるコレクションマグカップシリーズ ゲゲゲの鬼太郎




つげさんが水木さんのうちで御馳走になったコーヒーが大変美味しかったので、どこで豆を買ったか聞いたら
調布の駅前の「クロ」という喫茶店を教えられた。

凝り症のつげさんは探し回った見つからない。

水木先生にもう一度尋ねたら

あんた。あんな店なんか行かない方が良いですよ。きったないとこなんだから。

と言う。

ふたたび、探すが尋ねた住所には汚い民家が一軒。
看板もない。
それでも尋ねてみようと言う気になって玄関の硝子戸をあけようとしたら建付けが悪く戸が外れた。
戸を抱えたまま尻もちをついたつげさん。

中からおばちゃんがお昼ご飯でも食べていたのか、口をもぐもぐさせながら出てきた。その店が探していた喫茶店だった。 

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さすがのつげさんも気おくれし、そうそうにコーヒーを飲んで退出したが何回か行くと慣れてきて気に入った。しばらく通ったが、やがて駅前再開発によって店は取り壊された。
後年、つげさんが「クロ」と言う名前について水木さんに尋ねると、本当の名前は知らない。
あまりに汚くて黒い店だから水木さんが勝手に名付けたと聞かされた。


マンホールカード 東京都 調布市 鬼太郎













銀髪鬼フレッドブラッシーヤスリで吸血の牙を研ぐ




親日家のプロレスラー銀髪鬼。力道山との流血試合で各地で老人がショック死した。今の老人は絶対にそんなことでショック死しない。
当時はプロレスワークを真剣勝負と視聴者が誤解した。現在なら大変な責任問題に発展するところだろう。
ボクは当時幼児で白黒テレビの不鮮明な画像で力道山の顔から流れているものが血だとは思えなかった。ブラッシーて技がなく急所うちと噛み付きしか記憶にない。今YouTubeなどで鮮やかなネックブリーカーをする様子を見てもとても同じ選手と思えない。

唐突だがブラッシーの奥さんは日本人である。九州の駅のホームでブラッシーが奥さんに一目ぼれして求婚したと伝えられている。奥さんはプロレスなど全く関心のない深窓の令嬢だったので銀髪のアメリカ人紳士のプロポーズを受けたとか。


ボクは最近、workとしてのプロレスがクローズアップされるにつけ、つくづく選手というもののキャラクターの多様さに感心している。

フレッド・ブラッシー自伝
グリーンバーグ,キース・エリオット
エンターブレイン
2003-12-08


フレッドブラッシーは本国でのリング上の名乗りを『クラッシー・フレディー・ブラッシー』と言う。

『上品なフレディー・ブラッシー』と言うほどの意味合いか?

これでは長すぎて日本人には受けない。上品でなくてもいい。吸血鬼、銀髪鬼フレッドブラッシー。
リングの上なら親でもかみ殺す。毎日、吸血の刃(歯)をやすりで研いでいる。

そういうフェイクをブッカーの力道山が考え出したのだ。


力道山が非業の死を遂げ、ブラッシーが愛妻と幸福な老後を過ごしたのは何とも皮肉な話だが二人のプロレスリングのタイトルマッチは間違いなく戦後の昭和史の一ページに彩りを添えた。
力道山は生き急ぎ昭和を駆け抜けた。
『クラッシー・フレディー・ブラッシー』は最愛の妻と手を取りあい上品なフレディーのまま老後を過ごした。
今こそJAPANに力道山!―空手チョップに込められた願い
敬子, 田中
パロアルトコード
2019-01-01











貸本屋漫画家時代のつげさん

つげ義春初期傑作短編集 (第1巻)










昭和32、3年頃の話だが、つげさんは貸本屋に勤める女性と同棲していたことがあったらしい。
暮しは楽でなく二人分の生活費を稼ぐため、生涯で最も多作だった時期と振り返る。

貧乏が続いて彼女の不貞行為が発覚する。
彼女を貧窮に巻き込んでいると思ったそれ以上追及できず、ただうなだれていた。
貧困が女性の心を歪ませるのはよくあることだとつげさんは女と別れた。

女との別れはさしてつらくはなかったが、いくら頑張っても生活の成り立たない貸本業界に失望した。

その頃発表されたのが名作「港のリリーちゃん」や「走れ!ぼろバス」である。貧しくても明るく一所懸命に生きる主人公たちが描かれている。

現実の苦しみから逃れたいと願いを込めて作品を描いていたのだろうか。

つげ先生の母上






つげ先生のデビュー作は「百面夜叉」で昭和30年の事である。
小学校を出てすぐメッキ工場で働いていた。
昭和28、9年頃か。
メッキの工員は殆ど肺を病んで死んで行くのでそれが嫌で嫌で、
何とか逃げ出して二回も密航を企てている。

母上は、

「ばかやろう。漫画なんかで食えるか。」

等とつげさんに言うほどひどい女性だったらしい。

ところが、晩年認知症を患い、粗野で暴力的なご自身の生来の性格を失念され
優しいおばあちゃんに変貌したとつげさんは言う。

本当は優しい女性だったのかもしれない。
ボクがいらんでええこと言う権利はない。

つげ義春さんの密航未遂

大場電気鍍金工業所/やもり つげ義春コレクション (ちくま文庫) [ つげ義春 ]

つげさんは小学校を卒業するとメッキ工場で働きだしたが、その仕事が嫌で嫌で、そこから逃れたい一心で横浜港に行き、日産汽船の1万トン船日啓丸に潜り込んだ。密航を企てた。東回りニューヨーク行の日啓丸が横浜から出港して四時間後、野島岬を通過し太平洋へ出たところで甲板員に見つかった。

余程叱られると覚悟していたが船員はみな優しく親切にしてくれた。ケーキの差入や昼食をごちそうしてくれて風呂にも入らせてくれた。

数時間経過して観音崎付近で海上保安庁の巡視艇に身柄を引き渡された。
巡視艇から日啓丸を振り返ると、甲板に船員がずらりと並び、少年のつげさんに手を振った。
別れの汽笛が脳天を打ちのめすように鳴らされた。


ボクはつげさんの回想記を読んでいて涙が出そうになった。
汽笛が聞こえてくるようだった。
少年のつげさんの心情を知ろうとしても深く複雑で分からない。
同情なんか恐れ多くてできない。
ただ圧倒されて悲しくなった。