昭和

ブルーノ・サンマルチノの話




その時のプレスマンは過去に得た知識だけで二つの質問をサンマルチノに投げ掛けて失敗した。
最初の質問は、

「馬場正平とブルーノ・サンマルチノは若き日のニューヨークでプロレスラーとしての出世競争を誓い合ったのは真実か?」

と言うものだった。

これに対するサンマルチノの回答は、

「ごめん、よく覚えていない。ただ、馬場は英語が話せなかったので私とはフレンドリーではなかった。誰かと人違いしていないか?」

とだった。


二番目にプレスマンは、

「馬場はアメリカでバディー・ロジャースの試合を見て憧れ、チャンピオンシップを戦って尊敬するに至った。と言う話があるが、場と同年代の選手として貴方はバディー・ロジャースをどう評価するか?」

と質問した。

返してサンマルチノは、

「馬場がロジャースを崇拝し、そのようなレスラーに成りたいと考えたのは彼の自由で構わない。私はレスラーとしても、チャンピオンとしても、ロジャースのやり方は間違っていると思う。人間的にも好きではない。」

さらに、

「馬場が誰のファンであろうと私には関係ない。馬場が私をオールジャパンに招聘してくれて以来、彼が私に不誠実であったことは一度もない。彼は世界中で一番信用できるプロモーターであり、信頼できる対戦相手だ。」

と語った。


この二つの質問はどちらも失敗であった。しかし、サンマルチノのビジネスパートナーとしてのジャイアント馬場の立場について日本のプロレスマスコミとしては新しい発見をしたと言っていいだろう。


雲上の巨人 ジャイアント馬場

プロレス・oldies

巨大な惑星のような引力で数多くの才能や偉大な人物が #力道山 先生の魅力に惹き寄せられて行った。 #グレート東郷 もその一人。 貧困から一代で莫大な資産を成したが最期は孤独死だったと伝わる。もし彼にほんの少し慈悲の心があれば力道山先生と共に日本プロレスの父と並称されていたかも知れない
画像
画像

日本人の好きな漫画家

水木しげるさんは、つげ義春のタッチにほれ込んで、雑誌ガロ誌上に
つげ義春さん。連絡をください。水木しげる。」と言う広告を
載せた。
それを見たつげさんが調布市の水木さん宅を訪れアシスタントに
なったという。


その時、つげさんはもうすでに「つげ義春」というブランドとして
確立されたプロの漫画家であった。しかし、水木さんに乞われて
水木さんのアシスタントを引き受けた。
引き受けたつげさんの本心は誰にも分らない。

一部漫画ファンがよく水木さんに尋ねたという。

「つげさんは自分がプロの漫画家なのに今更、水木さんのアシスタント
なんかして、プロとして自信喪失でもしたのでしょうか?」


水木さんの答えは明快である。


「ボクはつげさんのタッチがボクの漫画にピッタリだと思った。
何とかボクの作品作りを助けてもらいたいと思ってオファーした。
もちろん、彼は自分のタッチが確立されたプロの漫画家だ。だけど
プロのアシスタントとして仕事をして生活の糧を得たいと思って
ボクのところに来た。
ただ、それだけのことであって、別に、つげさんが堕落したわけでも、
プロとして自信喪失したわけでもない。」


つげさんはつげさんでアシスタントをしながらこの時期、「ねじ式」、
「ゲンセンカン主人」、「紅い花」を発表している。

だから、生活の糧を得るために水木さんのアシスタントをしながら、
自分の描きたいものを描いていた。堕落や自信喪失ではなくてまさに
充実した漫画家活動をしていたと言えよう。三作品はつげさんの

代表作と言う人もいる。

ボクの友人の漫画家兼編集者は、個人的にと前置きして
「ゲンセンカン主人」が一番好きだと言っているほどだ。

つげさんは水木さんを尊敬していたらしく、ゲゲゲの女房
水木しげる夫人の著作によると水木さんの車を池上遼一さんの運転で
水木さんつげさんが同乗して神田の古本屋街によくでかけていったそうだ。

水木夫人の話ではつげさんはガロの広告を見てふらりと水木邸に現れ
、住むところもないというので、水木さんはあわててアパートを
契約したそうだ。ふらりと現れ、「ヤスミタイ」という謎の手紙を
残して失踪事件を起こし、また、ふらりと姿を現してアシスタントの
仕事をしたりしたそうだ。

つげさん自身は、一連の行動に関して「自分の中の精神的な不安定」と
「旅行癖( 異常な放浪癖 )」を挙げている。

休筆宣言をした後、深大寺かどこかで偶然バッタリ、水木さんと再会し、

( 仕事と生活が思うようにいかず)「不安で不満ですよ。」

と水木さんが言うのを聞いて、

「あれほどの成功者にして、心の不安はぬぐい切れないのだ。」

と思い、ますます尊敬したと語っている。

 


池上遼一さんに関しては水木夫人の著書によると、関西で看板を
描いていた池上さんがガロに発表した作品の画力に感心した水木さんが
編集部に頼み込んで関西からアシスタントをしてもらうために
呼び寄せたという。

上京したその日から、水木さんの原稿の背景を担当し、驚くほどの
スピードで完成させ、水木夫人が用意した夜食の握り飯を片膝立てて、
これまた驚くべき程のスピードで平らげ、仕事に戻り、
また、すごいスピードで仕事を続けたという。

水木夫人は、池上さんの何をするにも驚くべきスピードでやってのける様に
驚いているが、同時にとてもきれいな絵を描いていたと述懐している。

 

不思議な事に池上さんのヒット作品のほとんどが原作付き漫画(劇画)で
あることだ。ボクが知っているだけでも、「スパイダーマン」、
「ひとりぼっちのリン」、「I餓男」、「男組」、「信長」、
サンクチュアリ」、、、などすべてだ。

ボクは、原作付き漫画の作画家が悪いとかは全然思わない。それどころか、
他人の作ったストーリーを絵に表わせる人は、ストーリーを創作する人と
同じくらいの力を尽くして作画化していると思う。


今一つ不思議な事は、池上さんはつげ義春さんの大ファンで水木さんの
アシスタントになった時、そこにつげさんがいて驚いたが、
水木さんの言によると、

「私よりも、つげさんのことを先生々と呼んで、よっぽど尊敬していた。」

と言う話である。本当に興味深い不思議な関係だ。


最高の弟子【水木しげるのアシスタントつげ義春、池上遼一】


無能の人・日の戯れ(新潮文庫)

水木しげるさんは、つげ義春のタッチにほれ込んで、雑誌ガロ誌上に「つげ義春さん。連絡をください。水木しげる。」と言う広告を載せた。それを見たつげさんが調布市の水木さん宅を訪れアシスタントになったという。

その時、つげさんはもうすでに「つげ義春」というブランドとして確立されたプロの漫画家であった。しかし、水木さんに乞われて水木さんのアシスタントを引き受けた。引き受けたつげさんの本心は誰にも分らない。

一部漫画ファンがよく水木さんに尋ねたという。

「つげさんは自分がプロの漫画家なのに今更、水木さんのアシスタントなんかして、プロとして自信喪失でもしたのでしょうか?」

水木さんの答えは明快である。

人生をいじくり回してはいけない (ちくま文庫)

「ボクはつげさんのタッチがボクの漫画にピッタリだと思った。何とかボクの作品作りを助けてもらいたいと思ってオファーした。もちろん、彼は自分のタッチが確立されたプロの漫画家だ。だけと゛、プロのアシスタントとして仕事をして生活の糧を得たいと思ってボクのところに来た。ただ、それだけのことであって、別に、つげさんが堕落したわけでも、プロとして自信喪失したわけでもない。」

つげ義春日記 (講談社文芸文庫)


つげさんはつげさんでアシスタントをしながらこの時期、「ねじ式」、「ゲンセンカン主人」、「紅い花」を発表している。

だから、生活の糧を得るために水木さんのアシスタントをしながら、自分の描きたいものを描いていた。堕落や自信喪失ではなくてまさに充実した漫画家活動をしていたと言えよう。三作品はつげさんの代表作と言う人もいる。

ボクの友人の漫画家兼編集者は、個人的にと前置きして「ゲンセンカン主人」が一番好きだと言っているほどだ。


つげさんは水木さんを尊敬していたらしく、ゲゲゲの女房水木しげる夫人の著作によると水木さんの車を池上遼一さんの運転で水木さんつげさんが同乗して神田の古本屋街によくでかけていったそうだ。

水木夫人の話ではつげさんはガロの広告を見てふらりと水木邸に現れ、住むところもないというので、あわててアパートを契約したそうだ。ふらりと現れ、「ヤスミタイ」という謎の手紙を残して失踪事件を起こし、また、ふらりと姿を現してアシスタントの仕事をしたりしたそうだ。

新版 貧困旅行記(新潮文庫)


つげさん自身は、一連の行動に関して「自分の中の精神的な不安定」と「旅行癖( 異常な放浪癖 )」を挙げている。

休筆宣言をした後、深大寺かどこかで偶然バッタリ、水木さんと再会し、

( 仕事と生活が思うようにいかず)「不安で不満ですよ。」

と水木さんが言うのを聞いて、

「あれほどの成功者にして、心の不安はぬぐい切れないのだ。」

と思い、ますます尊敬したと語っている。

 

漫画家本vol.12 池上遼一本 (少年サンデーコミックススペシャル)

池上遼一さんに関しては水木夫人の著書によると、関西で看板を描いていた池上さんがガロに発表した作品の画力に感心した水木さんが編集部に頼み込んで関西からアシスタントをしてもらうために呼び寄せたという。

上京したその日から、水木さんの原稿の背景を担当し、驚くほどのスピードで完成させ、水木夫人が用意した夜食の握り飯を片膝立てて、これまた驚くべき程のスピードで平らげ、仕事に戻り、また、すごいスピードで仕事を続けたという。

水木夫人は、池上さんの何をするにも驚くべきスピードでやってのける様に驚いているが、同時にとてもきれいな絵を描いていたと述懐している。

 

BEGIN(1) (ビッグコミックス)


不思議な事に池上さんのヒット作品のほとんどが原作付き漫画(劇画)であることだ。ボクが知っているだけでも、「スパイダーマン」、「ひとりぼっちのリン」、「I餓男」、「男組」、「信長」、「サンクチュアリ」、、、などすべてだ。

ボクは、原作付き漫画の作画家が悪いとかは全然思わない。それどころか、他人の作ったストーリーを絵に表わせる人は、ストーリーを創作する人と同じくらいの力を尽くして作画化していると思う。


今一つ不思議な事は、池上さんはつげ義春さんの大ファンで水木さんのアシスタントになった時、そこにつげさんがいて驚いたが、水木さんの言によると、

「私よりも、つげさんのことを先生々と呼んで、よっぽど尊敬していた。」

と言う話である。本当に興味深い不思議な関係だ。

ゲゲゲの鬼太郎(1) (コミッククリエイトコミック)

ゴージャス・ジョージがカシアス・クレイことモハメッド・アリと力道山に与えたもの

カシアス・クレイ (1972年)

カシアス・クレイが西海岸のラジオ局でゴージャズ・ジョージと対談した時、ジョージは翌日フレディ・ブラッシー(和名ではフレッド・ブラッシー)とのタイトルマッチを控えていた。

 

それは結果の決まったプロレスワークだったがジョージは明日から俺が世界チャンピオンだとわめきたてた。レスリングでは俺が、ボクシングではカシアスクレイが世界一強いとがなり立てた。

フレッド・ブラッシー自伝

プロレスの試合にももちろん掛け率と金を賭ける人々が存在した。

どちらが勝つか?ではなくて何ラウンドでジョージが出血するか、何度リング上でジョージかブラッシ―に謝罪を乞うか、について人々は賭け銭を出したが、前日の大ぼらにたがわず、ジョージは最終ラウンドまでワークを続行しリング上に立ち続けた。

両者流血のドローとなった。

 

この試合と前夜の対談でカシアスクレイはゴージャス・ジョージから教訓を得た。モハメッド・アリに改名し大口を叩き続けた。ボクシングにブックはないがうぬぼれではなく最強の自分がリングの外でも最強を演じ続ければファンは自分の試合を見に来続けるだろうと確信した。また後年、東京でアントニオ猪木と闘った時はブックのないボクシングとブックのあるプロレス、しょせん嚙み合う事のないない試合をショーとして成立させるためには当然すべてがワークであり、ブックが存在すると思い込んだのだ。そしてそれが「リハーサルはいつやるんだ?」という発言につながるのである。

 

昔、西海岸で滞在中、たまたまゴージャスジョージの仕事をホテルのテレビで見た力道山はテレビジョンでプロレスリングを中継することを思い付いた。もちろんそれはワークであり結末はブッカーが決めることとした。

 

唯一例外は昭和29年の木村政彦戦である。

力道山対木村政彦戦はなぜ喧嘩試合になったのか

恐怖の足四の字固め


週刊プロレス 2019年 12/4・11 合併号 [雑誌]

子供の頃、テレビでプロレスを見ていて殴る、蹴る、サバ折り、チョップに飽きてきた頃に初めて見たキーロック、回転エビ固め、足四の字固めが実に新鮮だった。

キーロックの掛け方は、例によって兄貴が熱狂的プロレスファンである二郎ちゃんに教えてもらった。痛かった。長くかけられると手が白くなると言うのは本当だった。

回転エビ固めは吉村道明という選手の十八番だった。これも二郎ちゃんにかけてもらったが、痛くもなんともないのに一瞬にして天地がひっくり返ると言う不思議な技だった。


プロレススーパースター列伝 ザ・デストロイヤー&ジョニー・ウィーバー [DVD]


足四の字も二郎ちゃん直伝の技だった。かけてもらったところ予想以上に痛かった。「今度はお前がかけてみろ」と彼が言うので教えてもらいながらかけると涼しい顔で「いいか。今から返すからな。」と言って体をごろりと回して二郎ちゃんは腹ばいになった。

かけているボクの足に痛みが走った。痛い痛いとタップすると技を解いて二郎ちゃんは「足四の字固めはひっくり返すとかけた方の足が痛いからな。」と得意顔で説明した。



だから60年経ってもボクの頭には二郎ちゃん=「恐怖の足四の字固め」のイメージが染みついている。
けど、後年二郎ちゃんの兄さんが定年退職してボクの家の隣に越して来て、昔話をしていると、

「二郎のプロレスの知識は全部私が教えたもの。よく試しに技をかけてやったら泣いていた。」

と懐かしがっていた。。

妹の破綻

【プティルウ】ウェルカムドール、結婚祝いの贈り物に。Newローズバッドプレミアム タイニー


ちょっとこの子は頭が悪いのかなと小さい時から義妹については、たびたび思うことがあった。

妹が妊娠して中卒の未成年の板前と結婚することになり、結婚式だが生き別れになっていたと言う新郎の母親一人だけ探し出して挙式の後、親族の挨拶と言うのをやったが、その時点で板前の母は酔っぱらってろれつが回らない。変な結婚式だなあと親せき中が思った事だろう。

泥酔母の横に年配の男性がいたから、

 「新郎くんのお父さんですか?」

と尋ねたら、

「私は頼まれて来ただけです。」

と言う。
よくよく聞いてみると、場末のスナックのママ(というより婆と言う方が合っているが。)をしている泥酔母、夫つまり板前の父なんか、とっくに離婚していて生死も知らない。よって、スナックの常連のオッサンに頼んで結婚式に嘘でいいから父親のふりして出席したらただ酒飲ませてやるからと言って呼ばれたという。
【プレゼントに喜ばれてます!】おもしろtシャツ 酒 俺流 魂心Tシャツ 酔っ払い【漢字 文字 メッセージtシャツ おもしろ雑貨 文字tシャツ 面白 長袖 プレゼント ふざけtシャツ酒 ベロ酔い ビール お酒・飲み屋・風俗系】

それから、披露宴で新婦が両親に送る感謝の言葉と言うやつ。何日も前から準備しとけと言ったのに当日になって何も書いていないと言うバカさ加減。
小中学校もまともに行っていない、九々も出来ない。漢字も知らない。そういうやつに感謝の言葉の作文なんかかけるわけがない。

あろうことか、挙式の前にボクに書いてくれと親せきの人が頼みに来る。なんで俺?関係ないのに。
仕方ないから、子供の時のエピソードを2、3訊ねて、どうにか、それらしいのを書き終えて親せきの人に渡した。
本当は書かない方がよかったと後悔しながら。

披露宴の時に司会の女性がそれを読み上げた。気分が乗るような音楽とともに。

ふと、新婦の両親を見ると二人とも涙ぐんでいる。
帰りに父親の方が、

 「出来の悪い娘だったが本当は、両親の事をあんなにも思ってくれたいたんだなあ。」

と言ってまた泣く。
 (そんなわけないだろ。あれ、俺の作文だし。あんたたち両親は育児放棄、躾放棄の馬鹿親だ。
  考えてみろ。あんたたちみたいなバカの子が教育されてないのにお父さんお母さん、これまで
  育ててくれてありがとうなどと、普通の子みたいなセリフが言えるもんか。)

この娘にしてこの親あり。馬鹿親の子は馬鹿。鳶は決して鷹を生まない。


新郎の方も似たようなもんで母親は泥酔。騒いでいる唯のアル中婆さん。
披露宴でカラオケが始まった時だけ、条件反射の如く意識が戻ったのか来賓そっちのけで、

「歌わせろ!」と絶叫している。

新郎はさぞかし恥かしい事だろうとみると、未成年じゃないのかビールや酒やら、友人に勧められぐいぐいいってる。
その友人と言うのがどこの暴走族かと思うような輩。成人式で徒党を組んで暴れるヤンキーたち、まさにあの風情だ。
友人代表であいさつしたバカの祝辞も泣ける。

暴走族写真集―I love army 土曜日の夜に青春を賭けて突っ駆ける、これが族だ!! (1980年)



「ぼ、ぼくは傷害事件で少年院に10か月行っていましたが、帰って来た時にはこんなきれいな人と結婚すると言うのを知って、ち、畜生うまいことやりやがったなあと、切歯扼腕しました。」

(暴走族とか、ヤンキーは漢字の変換が好きだと聞いていたが、ヤンキーの友人代表として世間の人に舐められないように精一杯頑張って漢和辞典かなんか引いたのだと思うと哀れだ。それにしても、披露宴に似つかわしくない切歯扼腕。せっしやくわん。あんたは何を身悶えして悲しんでいるのか?)



こんなひどい育ちの悪い男と結婚してうまくやっていけるのかと心配していたら、妹の住宅ローン不払い、旦那の不倫、前科、妹の闇金問題なんかあって案の定、早々に離婚した。

離婚したこの夫婦、子供は3人作っていた。


闇金ウシジマくん(37)【電子書籍】[ 真鍋昌平 ]

離婚当時、妹名義の住宅ローンは延滞し、生活苦で闇金に手を出した妹は親兄弟親戚中の人々の住所、連絡先、勤務先を闇金に告げていた。
知能が低いので問われるままにすべて語ったと言う。

そのせいで闇金はしょっちゅうボクの勤務先に電話してきた。
ボクはある手を思いついて闇金に一泡ふかしてやろうと思った。
それは功を奏したのと、後に東京地検がこの闇金グループを逮捕してスイス銀行に預金してあった被害者の金を確保した。

それで事件は収まった。


けど、義妹の馬鹿はこんなもんでは収まらない。次々事件を引き起こし、周りを振り回していく。
親せき中に迷惑かけて、本人も親も知らん顔している。
何が原因でそうなったのか?どうしたら防げたのか?周りはどうすべか?

本当の事は記録して二度と起こさないようにしたい。義妹の子や孫にも真実を伝えたい。
一度の人生を破綻させてはいけない。

荒木一郎 3大 エピソード ①いとしのマックス


いとしのマックス

 

 

荒木さんは秋田いぬを飼っていた。名前をマックと言う。個人的にバンドも持っていた。高校時代から始めたモダンジャズのバンドを進化させ、その後メンバーの交替もあったがデビューさせるところまでは実力がつかない。

荒木さんは俳優として高校生の時から稼いでいたのでバンドの資金は荒木さんのテレビドラマのギャラなどでまかなっていたらしい。

 

一方、東海ラジオだかのDJ番組が大人気で其のテーマ曲をシングルでレコードにしたら60万枚の大ヒット。紅白歌合戦にも出る。「空に星があるように」がそれだ。

いとしのマックス

 

ビクターレコードから誘われ次の企画が始まる。

自宅で自分のバンドのメンバーを集めて練習していたら曲のさびのところで愛犬マックがかならず吠える。

うるさいマック!

叱りつけてもう一度演奏し、歌い始める。さびでまた愛犬が吠える。

うるさいマック!

そのままデモテープを聞いたビクターのディレクターが、荒木さん、「マック!マック!」って叫んでるけど、タイトルは「いとしのマック」じゃゴロが悪いから「いとしのマックス」にしてしまいましょう、と決めてしまった。

ディレクターは荒木さんが歌うんでしょと言う。

 

この辺に意思の疎通の齟齬があって荒木さんはバンドの為に作って彼らのデビュー曲にしたかった。ビクターのディレクターは廊下に土下座してお願いする。荒木さんが歌うとまたミリオン狙いとなるからどうしてもと。

無名のバンドが歌っても金にはならない。

 

「いやだよ。なんで俺が『ゴー!』なんて歌うんだよ。こいつらの曲なんだ。」

ディレクターは泣き落としでとうとう荒木さんは自分で歌うことを了承する。

ゴーの部分を荒木さんが虚無的に、脱力して歌っているように聞こえるのもそのせいか。

吉田正自撰77曲(上)

でビクターのレコーディングが始まると、ビクター専属の大作曲家吉田正門下の楽隊のチームがいて愛しのマックスがタンゴ調歌謡曲になってしまう。

怒って荒木さん一度だけ録音して一発でOK出して弦楽チームもアレンジャーもお疲れさんと言って全員返してしまう。

 

後はリズム隊と自分のバンドのメンバーと荒木さんで録音したのが「いとしのマックス」。

 

簡単な曲と思っている人が多いけど荒木さんの曲の特集をやったミュージシャンが、荒木さんはあんなに難しい歌をあんなに易しく歌っているのかとびっくりしたと言う。

 

そのはずで元々荒木さんは英語で歌詞をつけて原曲を作った。あとから日本語に変えようとするとシンコペーションが強すぎて替えられない。

曲に会う日本語がない。

「桑田佳祐スペシャル」

桑田佳祐さんの歌い方は日本語を英語の様に歌っているけれどあれもシンコペーションの問題で、元々は英語で構成されたんだろうと荒木さんは言っています。あといとしのマックスを聞いた時大橋巨泉さんが日本で初めてminor7の曲を荒木が作ったと語っただとか、この辺は音楽にド素人のボクには辛いのでカットします。

 

ジャズ・ヴォーカル名盤100 (講談社プラスアルファ文庫)

そういう話が延々と出てきます。

次はチンペイが荒木さんの楽曲を盗作した話か、

恋人の大女優の話です。

谷村新司 ベスト

大原麗子メモリー ずっと好きでいて

荒木一郎の全て<四日目①>

再び荒木一郎さんについて〈昭和のヒーローたち〉


野口五郎 35th anniversary LIVE

YouTubeで、子供の頃の野口五郎さんが荒木一郎さんの「今夜は踊ろう」をエレキギターを弾きながら歌っている映像を見た。白黒の映像で一瞬だったが、あれはたぶん、インスタントラーメンのメーカーのエースコックかどこかが提供していた物真似の歌番組だと思う。

うちのは野口五郎は知っているが、荒木一郎を知らない。坂上二郎や鈴木一郎を知っていて荒木一郎を知らないのはどういうことだ。当然、荒木道子は知らない。ナショナルキッド大鵬も知らない。恐怖のミイラも怪傑ハリマオも知らない。力道山は知っている。が、リアルタイムでは見ていないと言う。

ゴールデン☆ベスト 荒木一郎の世界+12



まあ、いい。知らないものは仕方ない。そこで、荒木一郎さんの「愛しのマックス」、「空に星があるように」、「今夜は踊ろう」を歌ってやった。いや、ボクは音痴だから無理矢理聞かせた。それがいけなかった。


「最後の歌は知ってる。こないだ燃えたヨットのオーナー‼」

それは、加山雄三だろって‼

 

加山雄三ベスト40

荒木一郎さんについて<三日目の①> 四たび「回り舞台の上で」を読んでみたら

去年家の女を歯科医に連れて行った時にロビーで読んで以来、また、また、また、また、読み返してみた


面白い


ひとには伝わらないかも知れないけれど


それでいい



家の女は荒木一郎さんの映像を見て野坂昭如と言ったくらいだから



論外だが


友人にも知人にも荒木さんの含蓄のあるインタビュー記事は伝わりにくいと思う


「バス通り裏」を知っている世代でもわかる人にはわかるが    


気づかない人には役者荒木一郎の機微は伝わらないだろう


知り合いの漫画家は荒木一郎の最高傑作は「まむしの兄弟」だと言っている


あれを単に東映やくざ映画としてのみ見る人には伝わるまい