かつて、尾崎豊と言う歌手がいた。いたと、過去形で言わなければならない夭折の天才シンガーである。
日本は法治国家である。薬物等に関する取締法が存在し違法行為は許されない。しかし、尾崎の死についてボクごときが軽々しく言うことは慎まなければならない。その人の生き様に他人が口を挟めないように、その死についても言うべき言葉は慎重でなければならない。
尾崎は、ボクより11歳年下だったが今のボクより34年も若くして亡くなってしまった。サラリーマンだった頃、十歳くらい年下の後輩がどういう訳か、我が家を気に入ってよく晩御飯を食べに来た。家人は大変喜んで晩飯を作った。ある時、尾崎の話題になった。
「尾崎、良かったすよねえ。」
「うちも好きやったわあ。声量があって.....。」
「そうス!あのシャウトが今の歌手には出来ないんスよねえ。」
「へえ~。若いのによく知っているんやねえ!」
「そりゃあ、オレらの年代は尾崎は神!ですから。」
「えっ⁉そうなん?うちらの小学生の頃、凄い人気やったけど。」
「???奥さんの言ってる尾崎って、尾崎だれ?!」
「尾崎紀世彦!」
というオチが分かる人も少なくなった。
大阪にGRIKOと言うインディーズのロックバンドがいる。リーダーは尾崎豊を崇拝している。尾崎もGRIKOも音楽のジャンルはロックと言って良い。
アメリカで誕生した頃のロックンロールとオールド・ディキシーランド・ジャズとの境界は曖昧模糊としているらしいが、ただ、尾崎にもGRIKOにもニューオリンズ・ジャズの定番「聖者の行進」を彷彿とさせる曲がある。
歌詞が似ているわけではない。メロディーが似ているわけでもない。
ボクは尾崎とGRIKO、両方の曲を聞くたびにこのオールド・ディキシーランド・ジャズの名曲を口ずさんでしまう。
♪ Oh, when the saint go marching in~ ♪
なぜだかわからない。尾崎豊に確かめることはできない。GRIKOについてはリーダーに訊ねたことがある。
「ディキシーランド・ジャズのスタンダードで『聖者の行進』♪~天使が街にやって来るって知ってるよねえ。」
「知らないっすよ。」
GRIKOのリーダーは『聖者の行進』を知らないと言っている。
尾崎は自分の著書で影響を受けたアメリカの何人かのロックシンガーの名前を挙げている。
しかし、両者ともルイ・アームストロングから影響を受けた痕跡はない。おそらくモチーフもヒントすら得ていないと思われる。
2011年12月9日午前10時ころ、勤務中に脳卒中の症状で地域の中央病院に救急搬送されたボクは、小康状態のまま、10時間後の夜の8時に大阪のファンダンゴというライブハウスにいた。GRIKOがその夜トリをつとめるライブを見るためである。
倒れた日の10時間後に200キロ離れた大阪のライブハウスにいる。まして真冬の12月。死んでもいいのか⁉ボクの血管は悲鳴をあげていたに違いない‼
この夜のライブはずっと前から楽しみにしていたこともあり、ボクとしては何としても聞いておきたかったのだ。家人は猛反対した。
「命とロックのライブとどっちが大事なのよ‼」
ライブについて来た家人はその夜の冷え込みよりもロックバンドの奏でる爆音がボクの身体にはリスキーでないかと心配していた。
翌日、奇跡のようなことが起こった。
12月10日、大学病院で検査を受けたボクに医師はどこにも異常はないと告げた。そして、2週間分の薬を処方し、それがなくなったら、再度精密検査を受診するようボクに薦めた。
ボクは病院からの帰路、ディキシーランドジャズの名曲を口ずさんでいた。
♪ Oh, when the saint go marching in~ ♪
お父さんは死んじゃったけど ちっとも悲しくないよ 僕とお兄ちゃんは生きている 天使がお葬式の帰りに僕らの町にやって来た
天使が町にやって来た 僕らはきっと生きていく
尾崎豊は死んだけどGRIKOとボクは生きていく。ロックやジャズを聴きながら…。 合掌。
テレビで複数のコメンテーターが薬物事件は被害者のいない事件と言ったが、絶対に間違っている。ボクは断言する。多くの被害者が存在する。
そうでなければ命を懸けて薬害をボクらに示してくれた尾崎の御霊に申し訳ないじゃないか。