伊賀の影丸

白土三平の「忍者武芸帖・影丸伝」と横山光輝の「伊賀の影丸」


少年サンデーで連載され忍者漫画ブームの火付け役となった「伊賀の影丸」。
白土三平の「忍者武芸帖・影丸伝」と双璧をなす日本の少年漫画史上の最高傑作です。
白土三平がリアルで現実的、残酷な描写も厭わずテーマを階級闘争に絞り大学生や労働者など大人の読者層が広がったのに対し、横山光輝の「伊賀の影丸」は子ども、主に小学生の間で大ヒットしました。

「伊賀の影丸」は将軍家御庭番と言う組織の一員で体制側の忍者で命令には絶対服従と言う点も「忍者武芸帖・影丸伝」とは対照的でした。

奇しくも主人公の名がどちらも「影丸」ですが「忍者武芸帖・影丸伝」の方が作品の開始は少し先です。偶然の一致と思われますが当時、忍者映画や忍者小説は既に存在し「影」というのが忍者そのものを指す言葉でもありました。

伊賀の影丸は心優しい少年忍者で敵味方を問わず、その死に深い悲しみをあらわし、必要以上に敵の血を流しませんでした。
得意技は木の葉隠れの術、木の葉火輪の術などで敵を眠らせたり、しびれさせたりしました。
固定メンバーは、影丸、服部半蔵、戦死した村雨兄弟の生き残り、天野邪鬼。スタイルは忍者同士の集団バトルが多かったようです。

ボクは「伊賀の影丸」派だった。

描き替えられたラストシークエンス・横山光輝著「伊賀の影丸」


 

伊賀の影丸 半蔵暗殺帳 (My First Big SPECIAL)



秋田書店刊の秋田文庫・横山光輝著「伊賀の影丸」第一巻「半蔵暗殺帳の巻」を再読。

「半蔵暗殺帳の巻」が「伊賀の影丸」のシリーズの第一巻に来ること自体、ボクは違和感を感じたが、よくよく考えてみると合点がいった。

小学館の少年サンデーでの連載順は、一番目が「若葉城の秘密」(これは謀反計画・宇都宮の吊り天井事件がモデル)、二番目が「由比正雪の巻」(これは歴史的にも有名で歌舞伎にも題材がある。)、そして三作目がフィクションだが「闇一族」。もっとも、地名や人物、団体のモデルはちゃんと存在している。地域は今の奈良県だし、一揆で領主と対立した人々も実在する。


話が逸れるところだった。「若葉城の秘密」、「由比正雪の巻」、「闇一族」と連載され、「半蔵暗殺帳の巻」はずっと後なのだ。
世間で一番人気のある「七つの影法師」(これは、薩摩藩の間者がモデル)よりも後のはずだ。



では、秋田書店はなぜ、連載順を無視したのだろう。答えはこうだ。つまり、出版社同士のバーター取引だ。秋田書店少年チャンピオンで人気連載の「バビル二世」を小学館に渡し、小学館は少年サンデーで好評を博した「伊賀の影丸」の出版の権利を秋田書店に譲渡する。

そうして、出版社、装丁、大きさや表紙のカラーデザイン、紙質などなどに変化をつけて、再出版、再々出版を繰り返す。やがて、ほんの売れ行きが低下したころには、また次の出版社、講談社とか集英社とか、とバーター取引をすると、こういう訳だ。


本が売れると作者だって印税が入るから文句は無い訳だ。すまん、この話、実は裏を取ってない。(取ってねえんかいっ‼)今から、友人の漫画家、編集者に裏を取る。(おそっ~。)



で、平成七年の初版・秋田書店文庫・横山光輝著「伊賀の影丸」第一巻「半蔵暗殺帳の巻」のラストシークエンスなのだけど、326ページ寒月斎から巻物を奪い返して、伊賀地獄谷忍軍と五代目服部半蔵正吉(五代目は徳川将軍家の文官でもう、忍者の統領ではないとの説が有力。だから、影丸の師匠でも上司でもないはずだけど。いいんだ。そんなのはッ。フィクションだから。)の配下とともに去っていく影丸が振り返って、寒月斎の死体を無言で見つめるシークエンスは、少年サンデー連載中、「半蔵暗殺帳の巻」ラストにはなかった。

約五十年の時をへて描き替えられた絵である。何のためにそうしたのか?編集者の意向か?作者がそう願ったのか?雑誌の広告が抜けたためか?その辺の事情はボクにはわからない。友人の漫画家兼編集者に尋ねてみたい。

原作愛蔵版 伊賀の影丸 第5巻 半蔵暗殺帳 (5) (KCデラックス)

伊賀の影丸 半蔵暗殺帳の巻 (秋田トップコミックスW)

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