昭和

つげ義春ワールド

つげ義春 「ガロ」時代 [ 正津勉 ]

つげ義春大全別巻の二の紀行文やエッセイが大変興味深い。ボクは東京の下町を知らない。昭和20年代の田舎で生まれ育ったから、つげさんの文章に綴られた下町の暮らしぶりを読んで驚くばかり。

他の漫画家についても語っている。
手塚先生とは三度会った。いつも丁寧に質問に答えてくれた。
横山さんが「音無しの剣」で登場した時はうまいなあ、とてもかなわないと思った。
水島さんの山の手育ちでインテリぽく明るい家庭に憧れかつ嫉妬した。


辰巳さんは温厚な常識人だったが作品は一番影響され憧れた。
白土さんの模倣をして時代物を描いて生活費を稼いだ。釣りや旅行は氏の影響だった。
水木さんは恩人だというふうなニュアンスで話されている。

水木さんの助手をして生活費を稼ごうと面接に言ったら、こたつの部屋に通され、水木さんはごろりと寝転がって話をされたので自分も気が楽になって同じように寝転がって話をした。

自分が給料をもらいに行くと、後で知ったのだが奥さんが質屋に走ったり、借金に走ってつげさんの給料を渡してくれた。
ガロが原稿料を払えない時は、白土さんが肩代わりして払ってくれた。けど、白土さんも質屋なんかで工面していたらしい。
辰巳さんの出版社でも描いたが、原稿料は辰巳さんが借金してきて払ってくれた。

ぜんぶ当時は知らなかった。あとから聞いたとのこと。

つげさんは感謝や尊敬の念をもって他の人の事を書く。

ボクは読んでいてジーンとした。。



〈「少年ケニヤ」の山川惣治〉ジャングル大帝の手塚治虫・石森章太郎・ちばてつや・横山光輝・梶原一騎・辻なおき・白土三平等々すべての漫画家に影響を与えた伝説の絵本画家

〈「少年ケニヤ」の山川惣治〉ジャングル大帝・仮面ライダー〜カムイ伝、、、、手塚治虫・石森章太郎・ちばてつや・横山光輝・梶原一騎・辻なおき・白土三平等々すべての漫画家に影響を与えた伝説の絵本画家  




昭和36年(1961)5月に「日本教育テレビ」(後のNETテレビ→テレビ朝日)が山川惣治原作「少年ケニヤ」を実写ドラマ化を皮切りに、テレビ放送を開始した。時に、山川惣治51歳である。

山川惣治―「少年王者」「少年ケニヤ」の絵物語作家 (らんぷの本)

戦前戦後と運命に翻弄され続け、苦労を重ねた紙芝居作家の作品が、実写ドラマ版とは言えテレビの電波に乗って日本中の茶の間に届いた記念すべき瞬間であった。 山川惣治明治41年2月28日、福島県生まれの紙芝居作者、絵物語作家でる。
少年ケニヤ」は昭和26年より産業経済新聞で連載が始まった。 「少年ケニヤ」のテレビ放送時、筆者は小学校一年生であった。テレビドラマ化したことがあまりにも嬉しくて、ブラウン管の前で飛び上がった記憶がある。
実はそれより以前、5歳の頃の筆者は、貸本屋絵物語少年ケニヤ」を見てどうしても欲しくなった。貸本は当時一冊5円で1日借りる事ができた。翌日には、返却する決まりだ。ところがその本だけはどうしても自分の家に置きたかった。親にねだって貸本屋の親爺から3冊30円で買い取ってもらった。
その時、筆者はまだ字が読めない。しかし、絵を見るだけで十分ストーリーが理解できた。本の表紙には紅顔の美少年、金髪で豹の毛皮を身にまとった美少女、恐竜、大蛇、アフリカのサバンナが描かれていた。写真かと見紛うほどの描写力で人物も動物もアフリカの自然も生き生きと、かつ美しく描かれていた。
筆者は、山川惣治はアフリカ、ケニヤの住人なのだと思っていた。あに図らんや、取材で初めて山川惣治がアフリカの大地に立ったのは昭和55年72歳の時であった。

少年ケニヤ (5) (角川文庫 (5527))

山川惣治は平成4年に84歳で亡くなるまで絵筆を握った。その生涯で少なくとも日本を代表する七人の漫画作家に影響を与えている。この7人は「漫画の神様」「巨匠」「大家」「名人」「カリスマ」「巨星」「奇才」等と呼ばれている。

ジャングル大帝(2) (手塚治虫文庫全集)

まず、神様・手塚治虫の「ジャングル大帝(1950)」である。これは、山川惣治の「少年タイガー」(1933)及び「少年王者」(1947)の影響を受けたものと思われる。アフリカの奥地で動物達と共存しながら悪と戦う。主人公が人間の少年から白いライオンの子に変わったと言う点を除けばプロットはそっくり。

仮面ライダー VOL.2 [DVD]

巨匠・石森章太郎仮面ライダー」(1971)は、「虎の人」(1949)の人造人間と言う設定がそっくり。

タイガーマスク(1) (週刊少年マガジンコミックス)

大家・辻なおきタイガーマスク」(1972)も、「虎の人」。これはタイガーマスクと虎の人絵がまったく同じ。瓜二つ。
 

紫電改のタカ (1) (中公文庫―コミック版 (Cち1-1))

名人・ちばてつや紫電改のタカ」(1963)は、「ノモンハンの若鷲」(1939)だ。戦記物なので似るのはやむを得ずだが思想的には真逆のところが救われる気がする。

バビル2世 《オリジナル版》 6


 

カリスマ・横山光輝「バビル二世」(1971)のしもべ「ロデム」。普段は黒豹の形をした変身生物だが、これは「少年王者」(1947)の主人公の親友・黒豹「ケルク」だ。「しもべ」と「親友」。呼称は違っても、常に主人公に寄り添い従い危機を救うと言う役どころも一致。

甦るヒーローライブラリー  第32集  チャンピオン太 コレクターズDVD  <デジタルリマスター版>【主人公の太役の子供が前田日明に似ている】

【みんなよく知ってると思うけど、ボクが言う必要ないけど、「死神酋長アントニオ」役は猪木寛至さん】

 

 

 

巨星・梶原一騎。「チャンピオン太」(1964)の必殺技「ノックアウトQ」という名称。これに関しては、彼は正直だ。梶原は山川惣治先生のボクシング絵物語「ノックアウトQ」(1949)が大好きで、そのまま名前をパクったことをカミングアウトしている。

あしたのジョー(4) (週刊少年マガジンコミックス)

また、「ノックアウトQ」に出合わなかったら自分は高森朝雄として「あしたのジョー」を書いていないと断言している。ひょっとすると辻なおきに「タイガーマスク山川惣治の『虎の人』の通りに描くよう」に要請ぐらいしたのかも知れない。

カムイ伝 9(鬼相の巻) (ゴールデン・コミックス)

最後は奇才・白土三平カムイ伝」(1964)だ。白土三平山川惣治のどの作品からも画風、思想とも影響されていない。しかし、白土に紙芝居の描き方を伝授した金野新一は山川惣治の愛弟子である。つまり、白土は山川の孫弟子に当たる。山川がいなければ白土の名作「カムイ伝」はこの世に存在しなかったかも知れない。
 
以上は実在の人物と作品であるが似ている、瓜二つ、そっくり、パクった等と言うのは、あくまで筆者の感じ方である。ご容赦いただきたい。
また、この他にも影響を受けた大漫画家がたくさんいると思う。ご存知の方は、ご教示いただければ幸いである。

いい人だったなあ < 地方創業の大手書店社長のご主人 >


 

 

昭和44年 東急5000系

 

父が、〇泉は戦後、駅の裏の小屋で親父が一人でやっていた時が一番うまかった。今の〇泉は店が大きくなって、支店が増えてから、まずくなった。などと言っていた。

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同様にこの町からスタートして全国展開している書店がある。A書店である。沖縄から北海道まで350店というから日本最大のブックチェーン店である。

同社が発展したのは、88歳で故人となったT子さんという人を抜きにして語れない。駅のそばの小さな本屋が企業買収や他社への資本参加を繰り返し、現在の規模になったのは女社長の度胸と才覚と優秀なブレーンによるものである。

 

ボクは一時、A書店振出の一億円の約束手形を見たことがある。

同社が県外の経営不振書店を買収した代金か、買い取った店舗のリフォーム、リニューアル工事代金の決済資金だったのかも知れない。

約手は当然のことながら期日決済となった。

 

さて、ボクの父とA書店との関わり合いは、女社長T子氏のご主人である。

当時、父は某社総務部労働課というところに勤めていた。社内の複数の労働組合から情報を収集する仕事をしていた。

父はスーツや背広を着用せず、ほとんど菜っ葉服(機関士や工機部整備士が着用していた紺色の作業服)やポロシャツ姿で出勤していた。出勤退社は不定期で早朝や深夜に帰宅していた。

 

某社総務部労働課に出勤することはまれで機関士の宿泊所や整備工の寮に出入りしていた。酒も博打も仕事のためにこの頃、覚えたと言っていた。マージャンも酒もほどほどに弱くて、そのため、労働組合員、現場の人からも好かれたらしい。

強ければ「経営側の犬」と差別されたり、敵視されたと思う。そもそも、組合員や現場の人と仲良くなれなかったと思う。

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長い長い前置きで恐縮です。

この宿舎や寮、組合本部に自由に出入りできた人物が父のほかにもう一人いた。

それがA書店の女社長T子氏のご主人である。

 

当社や労働組合、乗務員宿舎や寮に本を届けていたらしい。自転車の後ろに大きな籠をつけて、注文の本を積み込んで自由に出入りしていたそうだ。この人も、酒もマージャンもボクの父に負けず劣らず弱かったらしい。

当社以外にも本を届けるために自転車に乗って市内を駆けずり回っていたのだろうが、マージャンの途中でよく、奥さんから電話がかかって来たらしい。

ご主人は配達に行くと必ずここで引っかかって酒やマージャンで職員たちと仲良く遊んでしまう。そのことを女社長である奥さんもよく知っていたのだ。仕事中にさぼってと奥さんは腹も立ったに違いないが、ご主人の好きなようにさせていたらしい。

 

 

 

 

 

 

ぼくらの時代には貸本屋があった―戦後大衆小説考

 

ご夫婦にはご存命の頃からに一度もお会いしたことすらないが、ボクの父の話からは何かほのぼのとした仲良し夫婦しか思い浮かばない。その奥さんが、一億円の振出会社の代表取締役社長であったとは思えないのですが事実です。