菊池寛

菊池寛のいい話

知られざる文豪 直木三十五: 病魔・借金・女性に苦しんだ「畸人」

 
ある、冬の日の夕暮れ、映画製作に失敗して都落ちして大阪に帰る直木が菊池を文藝春秋に尋ねた。外套も着ず震える直木に
「天下の直木三十五がそんな恰好で汽車に乗っちゃあいけない!」
菊池は自分のオーバー・コートを直木に無理やり着せた。
 
文藝春秋社を辞して外に出たら雪だ。寒くてポケットに手を入れた直木がポケットの奥で何かに触れた。不審に思い何か紙の束のようなものを引っ張り出してみると無造作に束ねられた一円札の束が出てきた。
 
直木は菊池の情けに感じ入り涙が止まらず呆然と立ち尽くしたと述懐している。
 

菊池寛と直木三十五のちょっといい話

菊池 寛 作品全集

高松市の中央公園の前に二つの銀行の本店ビルが立っている。大きい方が明治の銀行条例で誕生した全国で114番目の百十四銀行。小さい方が第二地銀だ。
 
その小さい方の第二地銀の南側の歩道に菊池寛の『父帰る』のワンシーンをモニュメント化した銅像が立っている。この辺が菊池寛の生家があったとされている。
 
菊池寛は高松中学から進学した明治大学を退学し、東大にもなじまず、京大文学部に進む。上田敏の講義を受けるがある時、上田の教授室で先生の来るのを待っていると一冊の洋書雑誌が目に留まる。それはヨーロッパの文学批評の英語で書かれた雑誌であった。
 
放蕩癖や自堕落な生活では人後に落ちない菊池寛だが英語に関しては天才的に堪能であった。雑誌を見ると上田敏が雑誌の評論の受け売りを授業で自論のように展開しているのが読み取れて、菊池は教授を軽蔑するどころがずいぶん肩の力が抜けて好ましく思ったそうだ。

上田 敏 作品全集

さて、その本の中で菊池は『collaboration』という単語に着目する。『共同作業』と訳して菊池は文学もこれで好いじゃないかと思う。
谷崎潤一郎や年下の芥川龍之介のような天才ではない自分は、文学の才能はない。其れならば、文学者、特に後進の連中が金に困らず作品を発表する場を設けよう。俺は捨て石でいいと考えた。
 
それが戦前の文藝春秋社の設立であり、芥川賞であり直木賞であった。最も雑誌文藝春秋はゴシップ雑誌であり、(そのひ孫週刊誌の文春みたいなもんか?)講談の宮本武蔵巌流島の決闘などについて学術的でなく浪花節的に武蔵は強いか弱いかなどを議論していたようだ。
 
誌面上において直木三十五吉川英治とでかなり感情的に論戦を繰り広げ、ラジオ出演の場でも大ゲンカしたと伝えられる。
この時、武蔵擁護派は菊池で直木が否定派。吉川は中立であったが直木の死去に伴い、小説宮本武蔵を書く決心をする。その時、美少年剣士佐々木小次郎を若かりし日の美少年直木三十五をイメージしながら書いたという。

知られざる文豪 直木三十五: 病魔・借金・女性に苦しんだ「畸人」

 
ある、冬の日の夕暮れ、映画製作に失敗して都落ちして大阪に帰る直木が菊池を文藝春秋に尋ねた。外套も着ず震える直木に
「天下の直木三十五がそんな恰好で汽車に乗っちゃあいけない!」
菊池は自分のオーバー・コートを直木に無理やり着せた。
 
文藝春秋社を辞して外に出たら雪だ。寒くてポケットに手を入れた直木がポケットの奥で何かに触れた。不審に思い何か紙の束のようなものを引っ張り出してみると無造作に束ねられた一円札の束が出てきた。
 
直木は菊池の情けに感じ入り涙が止まらず呆然と立ち尽くしたと述懐している。
 
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