親の家

親の家を片付ける

戦争中の暮しの記録―保存版





父の家を片づけることの大変さと気楽さについて


まず、気楽な点については、金目のものは取っておく、不要なものは捨てる。これに尽きると思う。自分の場合に置き換えてみればいい。子供たちにとって不要なものは捨ててもらいたい。金目のものは彼らの好きにして貰ったら良い。そう考えるものだ。

大変な点は、量が多くて、種類が多様なこと。
古い使用に堪えない布団は百キログラムを超えてあった。毛布やタオルケットは箱入りのまま、押入れから次から次へと出て来た。

タオルや手ぬぐいは何百本も、石鹸も箱入りで数百個出て来た。「暮らしの手帳」「ソレイユ」はおそらく、創刊号から残していた。残念なことに虫食いで誇りまみれ。 素手で触るとかゆくてたまらない。

でも、父親が生活していた母屋はほぼ片付いた。

村役場の、ずっと父の世話をしてくれた生活支援センターの人が位牌を拝みに来てくれて、

「家も庭もすっかりきれいになりましたね。」

と言ってくれた。家の女は大変よろこんでいた。彼女にすれば、父の四十九日から病を押して掃除と片づけに没頭した甲斐があっただろう。彼女にすれば舅も姑も義姉も誰もほめてくれる人がいないのだ。
同居して摩擦もいろいろあったけど年寄りたちは残っていない。

だからゴミ屋敷のころを知っている人に

「家が片付いてきれいになったね。」

と言われるのは何よりの誉め言葉なのだ。



倉庫と離れの二階建てと本と手紙と写真の整理が残っている。まだまだ、父の家の片付けは続く。
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