徳富蘆花(徳富健次郎)先生の「みみずのたはこと」というエッセイ集がある。

人道主義者、キリスト教徒と言ってもさすが明治の男、根底に武士の気構えが在って

かなりの硬派だ。

当時乞食が何人か物乞いに来ていたらしい。徳富蘆花も裕福ではなく、都内の邸宅を引き払い武蔵野の片田舎の百姓家に引っ越したところで農作物の生産も全然軌道に乗る前だから貧しい頃の話。

履き古しのズック靴を恵んでやったら気に入ってずっと履いていた男がいた。

これなんかは可愛げがある方で、時に食い物をやる。
栗や芋、それがない時は沢庵を何切れか渡したら、「こんなもの」と乞食が馬鹿にして家の前に捨てて逃げたから、蘆花先生立腹してぶち殴ってやろうと追い回したという話。

 

蘆花先生はかなりの行動派、国際派で帝政時代のロシアに旅行して憧れのトルストイ宅にしばらく逗留していたことがあるらしい。

かなり親密になって帰国してから文通したというからロシア語についても随分堪能であったと思われる。

110年も前でスマホも翻訳機もない時代であるから凄い素晴らしいことだ。

 

トルストイが日本語をしゃべったのではなくて蘆花先生がロシア語を話したのだから凄い。トルストイ翁の作品も原語で読んでいたのだろう。まったく驚異だ。

 

突然トルストイが死んだ。

家出して三日目。

田舎の駅で肺炎になり死んだ。

 

家出理由は妻との喧嘩だ。

トルストイは家族係累が多くそれらを食わせていたがノーベル文学賞の賞金を辞退した。

数々の世界的名作の著作権も放棄しようとした。

つまり金が入ってこない。家族を養えない。

妻は怒る。

トルストイは自分の文学は金で売らないとかいいかっこしても妻子や年寄りの食い扶持も稼げないような亭主はろくでなしだ。

夫婦喧嘩が絶えない。

いかに世紀の文豪でも毎日毎日金のことでかみさんに小言を言われていたらいたたまれなくなり家出した。

トルストイは衰弱して、寂れた田舎の駅で倒れ、あえなく死んでしまう。

その死を悼んでロシア内外から一万人もの人がその葬儀に参列したという。

 

この死に関して蘆花先生はトルストイの妻に対してロシア語で長文の弾劾文、恨み言を綴って送っている。ロシア語で「トルストイ先生が死んだのは奥さん、貴女のせいだ。貴女が悪い。」と攻撃するのだから凄い。

 

そしてそれを日本語に訳して自分のエッセイ「みみずのたはこと」に全文掲載しているから大激怒のほどが分かろうというものである。