病院

病院に関する十七の話「⑪謎の差額ベッド代」


入院した経験のある人なら誰でも経験したことがあると思う。個室入院代である。一泊一万円とか一泊三万円とか言う。異常に高い。相部屋だったら一泊百円とか三百円と言う価格だ。

 

そもそも需要はあるのか?病院の勝手じゃないのか?一泊三万円なんておかしいんじゃないか?そういう部屋に入れば手術をしなくても治るとか、二週間入院加療のところ三日で寛解するとか、そういうことでもなければそんな価格設定はおかしいだろ?ここはホテルなのか!と言いたくなる。

 

まさにこの差額ベッド代は謎だ。病院勤務の先輩に聞いてみたら、それくらいでしか病院が収益を上げられないのだそうだ。つまり金持ちを良い部屋に泊めて快適に過ごしてもらい、対価として余分に金を払ってもらえと言うことか?

 

私は病院に勤務してまだ日が浅く差額ベッド代については全く謎だ。一泊何万円もする病室を提供する病院も、それを許可した監督庁も、はたまたそれを利用する患者の気持ちもわからない。もちろん私の知人に、謎の差額ベッド代を払った人もいない。

 

知らないと損する病院の「個室」のはなし 知っておきたい差額ベッド代の知識と、自分らしい療養環境のつくり方

病院に関する十七の話「⑩ビアガーデンで歓迎会」


病院の総務課の定時職員に採用されてから三か月が経過した。試採用期間が過ぎたので大きな失敗もないし、解雇されることはないだろうと高をくくっている。

 

おりしも歓迎会というのを地元のホテルのビアガーデンで開いてくれた。うちの病院は530人くらい職員がいるらしいが、今回は事務職の一部の人ということで30人くらい集まってくれた。ありがたいことだ。私は歓迎される方なので会費の五千円也も不要とのことである。重ね重ねありがたいことだ。

 

高齢で採用してもらった上に歓迎会でごちそうになるということであるので、その場であいさつとか余興で何かやれと言われれば昔取ったきねづかで、銀行の宴会で培った芸でも何でも披露しよう。その代わり、求められなければ貝のように口にふたして黙っていようと心に決めた。

酒に酔って羽目を外した老人くらい醜く惨めな者はいない。そういうシークエンスを前職の銀行の宴会でよく目にしていたのだ。

 

さて、私の取り越し苦労に反して無理な注文はなかったのだが、前職が銀行員ということは知られていていくつか質問を受けた。

 

①今、銀行員にNISAを進められているがやった方が得なのか?

②日歩5銭って、いまだに聞くけど高いの安いの?何%?

③NISAで貯める一方でフラット35で住宅ローンを返している。相殺した方がよい?

④病院の4月の月次決算(試算表の事)を見ましたか。赤字でしょう。大丈夫かな?

 

 

①損も得もないです。NISAは非課税という制度を指すだけから。利殖の方法という訳ではありません。

②かなり高いです。1日0.05%×365=18.25%

③考え方は人それぞれ。私なら相殺しない。定年時に考える。

 ただ、ローンには『期限の利益』という考え方があって延滞していない限り、貸し手が、借り手に全額一括返済請求することはできない。期限という利益に守られている。

長期分割返済の方が働き盛りのうちは楽でいい。年取って働けないとかいう状態なら預金を崩して繰り上げ返済するけど。

④大丈夫です。試算表ってありのままです。決算の段階で様々な調整がされます。まだ清算されていない請求分の売り上げや利益が最終月に計算されて決算が成立します。

 

 

それらの質問に関しては何とか答えられたのでほっとした。病院の公表された月次試算表も見るだけ見ていてよかった。病院のことは何も知らないけど銀行のことは少しはしゃべれる。前職は38年間勤務した。病院でのアルバイトはまだ3か月。知らなく当然だがみんな優しい。私の知っていることだけしか尋ねない。そうか今日は歓迎会だった。ご馳走様でした。

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病院に関する十七の話「⑨患者名相違」


銀行業務の中で致命的エラーの一つに口座相違というのがある。

昔、有名な時代劇の大物俳優のギャラが、若い放送作家の口座に振り込まれたことがある。駆け出しの若い貧乏な放送作家としてはテレビ局の名前で大金が自分の口座に送金されてきたのでびっくりしたらしい。百万円単位の金が、送金人を放送局名義として振り込まれてきたのだから驚いて当然である。

事の真相は大物俳優と駆け出し作家が同姓同名で、銀行のミスで大物俳優のギャラが貧乏作家の銀行口座に振り込まれた。銀行員がよく確認せずに誤って送金をしたというものであった。

という風なことをテレビのワイドショーでタモリが笑い話として披露していた。

この後は、誤りに気付いたテレビ局が銀行に『組み戻し』という依頼をかけて、誤送金された資金が正当な権利者(大物俳優)の口座に移し替えられたはずだ。

 

まあ、銀行の「口座相違」「氏名相違」も重大事故であるが、病院の場合の「氏名相違」は銀行以上の重大事故になる可能性がある。

 

 

ある時知人が地元の有名な総合病院で定期健康診断を受けた。健診は被雇用者の義務で労働者の権利だから彼は毎年、その総合病院で受けている。

知人の苗字は『萩原(はぎはら)』と言う。

彼の自宅に健康診断結果が郵便で送付されてきた。

届いた封書の宛名書きを見て唖然とした。そこには『秋原(あきはら)様』と書かれていた。彼は病院に抗議の電話をした。

件(くだん)の病院の事務長氏が菓子箱と封筒を持って飛んで来た。平身低頭、土下座せんばかりに平謝りに大げさに謝罪をする。知人は恐縮して、

「そんな大したことじゃないから、もうよろしいですよ。そんなにご丁寧に言われると困ってしまいます。」

と言った。だが総合病院の事務長氏は真剣な顔をしてこう言った。

「いいえ、これはあってはならない大ミスです。われわれ医療業界で患者様の氏名を間違えるというミスは、投与する薬を間違えると同じくらい大問題なのです。患者様の生命に関わり兼ねない程の大問題です。」

そして、こう言葉を繋いた。

「職員一同深く深く反省し二度とこのような過ちは繰り返しません。ここに封筒は正しく書き直して来ました。」

 

手渡された封書の宛名書きはこう書かれていた。

 

『荻原(おぎはら)様』

 

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病院に関する十七の話⑧ロビーの困ったちゃん

ロビーの神様もいればロビーの困ったちゃんもいる。その人は四十歳代の男性で一般職だ。役職がついていないという意味だ。

病院は女性の職員比率の高い職場だが、病院の事務職や受付、ロビーも女性が多い。私の職場で言うと女性30人に対して男性3人の割合である。この四月に私が定時職員として入職したのでうれしいらしい。部下ができたと思っているらしい。まとわりつく。あれこれと不要な情報を提供してくれる。必要なことは言わない。無駄口をたたく。自分の生れや家族構成をとうとうと話す。勤務時間中にだ。彼は受付をしているが余計な動作や無駄話をするので彼の窓口だけ停滞する。

最近では患者さんも感づいて彼の前に来る人は少ない。それでも新規の患者さんが空いている窓口を選んで来る。

ちょっとしたことで待たせるので患者さんがイライラしているのが分かる。私はロビーマンなので待たせている患者さんの元へ行って謝る。

他の受付の人も自分の手が空くと彼のフォローに回る。それで何とか持っている感がある。

 

と、そういうことが見えてきた。三か月経ったので、そろそろ困ったちゃんに気付かせてあげようと思う。ただ、私は定時社員、彼は正社員。私は老人、彼は働き盛り。

彼が傷つかないよう、ショックを受けないよううまくやりたい。余計なお世話と思うが彼がこれ以上困ったちゃんの烙印を押されないように。

それが病院に対する恩返しと思う。国から助成金が出るとは言え、こんな高齢者の私を雇用してくれたのだ。努力しても罰は当たるまい。

病院に関する十七の話「⑦ロビーの神様」



私が病院に入職して最初の三か月はロビーで患者の案内や見守りを命じられた。

 

私の職場の教育係は78歳の女性だが勤務歴51年の超ベテランで考え方は柔軟だし、健康で、行動が素早い。仕事はもちろん、社会的知見も、体力も、人徳も、預金残高(これはウソ)も何一つ私が先輩に勝てるとは思えない。

その先輩が先日一日休暇を取った。

「リクジへ行って車検してくる。」

と言われた。

私は先輩が陸上自衛隊に用事があるのかと思った。

翌日、尋ねたら陸運局事務所へ自家用車を持ち込んで、軽乗用車の車検を自身で済ませて来たと言う。すごいですねと感心したら自分でやったら7千円かそこらですむと軽く言う。

自動車関係の人に手順を教えてもらい、陸運局事務所で整備不良を指摘されたら、陸運局事務所の隣が民間の修理工場だそうで、指摘箇所だけは専門家に直してもらい、車検を通すと言う。

過去に何回かやっているらしい。

 

スマホを持ってないので尋ねたら左腕を指さした。スマートウォッチとやらを持っている。使いこなしているようですごいなあと感心する。

 

ロビーでは流れるように患者を誘導し、毎日よく患者から声がかかる。困っている人がいるとフレンドリーに声をかけたり手助けする。記憶力がよく一日に何十人もの患者を名前で呼ぶ。患者だけでなく、ドクターやナース、事務員にも受けがよく信頼されている。

先輩は78歳で51年間勤務している。私が先輩のレベルに達するまで、今72歳だから、あと51年勤務しても123歳までかかる。とんでもない。私は先輩を密かに『ロビーの神様』と呼んでリスペクトしている。

病院に関する十七の話「④赤ちゃんには天使が見えるのか?」


小児科の待合室で赤ちゃんが宙の一点を見つめたり指さしたりしてニコニコしたり、何かを言おうとしているようなポーズをとっているのを見かけることがあります。

そういう光景に出くわすとどんなに忙しい時でほっこりとした気持ちになれます。マスクのうちで笑顔になっていることを感じます。

 

ヨーロッパなどでは赤ちゃんには天使が見えるというらしいです。アメリカでは赤ちゃんはティンカー・ベルのような妖精と話していると言い、日本では神様が見えているのだと言います。

残念なことに彼らが言葉を話し始める頃にそのことについて質問しても誰も覚えていません。

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病院に関する十七の話「⑥就活一年間


一年前のちょうど今頃から再就職ためにハローワークに通いだした。

その時すでに71歳。

ハローワークの担当さんは私が健康のために再就職を望んでいると思っていたらしい。

私は生活が苦しいので仕事を探していると告げた。

ちょっと重い人物と思われたみたいだ。そして事実だが貧乏な人と思われたらしい。

一年間で官民合わせて25社くらい受けている。

現在の病院がバイトとして採用を許可してくれたのが24社目にして初めてだから一年間で23回、不合格の判定をされたことになる。24社目で私を採用してくれた病院に入職することを決めていたが、ハローワークには受験だけしますと告げた。それが受験票を送付してくれた最後の受験先、市の公民館と紹介状を書き続けてくれたハローワークへの礼儀だと思った。

そして、25番目の受験先公民館も不合格となった。ハローワークには最後の不合格結果を連絡して、一年間の支援のお礼を述べた。担当さんは60歳前くらいの女性の方だが、いくら仕事とは言え、私のような老兵をよくサポートしてくれた。つくづくありがたいと思う。

 

官民いろいろ受けたが、官では、法務局会計課、県民局港湾課、法務局不動産登記係、

法務局戸籍係、年金事務所(社会保険事務所)、財務省地方局、税関地方事務所、地方裁判所書記係補助、地方裁判所会計係補助、国税局、県工業水道局、県民局税務課、市税務課、市国民健康保険課、市図書館、市体育施設管理、市公民館。等。

民では、病院、不動産仲介業2社、不動産売買会社2社、生花業小売り業、酒造業、農園業。等。

 

よくもまあこれだけ不合格になったものだと呆れる。不合格通知や電話をもらうたびにハローワークを訪ね、自分で調べたり推薦してもらった先にアポして面接に通った。

 

必ず面接で問われたのは、

「銀行を退職してからなぜ10年以上も再就職せず70歳過ぎて働こうと思ったのか?」

であった。

 

「家族の介護のため専門病院を探し転地療養してコロナ前に寛解のお墨付きをもらって帰郷した。家族は安定したので私も働きに出てもっと頑張ってみたいと思った。」

こう説明した。

 

必ず尋ねられるので十回も面接を繰り返すうちに介護の部分をすらすらと説明できるようになってしまった。裁判所の女性の面接官は私に同情して涙ぐんでいた。この時私は浅ましい考えを起こした。今回は合格かなと思った。しかし不採用だった。開示請求しなくても不採用理由は他と一緒だと理解できた。

事務能力の低さと高齢が理由であろう。世の中はそんなに甘くない。私が試験管でも不採用にするだろう。

 

さて病院では、後日、歓迎会を設けてくれたので面接を担当してくれた二人の上司に採用理由を尋ねた。

二人は採用面接のときのようにニコニコしながら答えてくれた。

「一番最初に応募書類が届いたから。」

「第一種衛生管理者を持ってたから。」

 

採用権者の事務長にも尋ねた。彼も笑顔で言った。

「あの二人が採用すると言ったから。」

 

3人の上司には頭が上がらない。

 

私は大学の「労使関係論」の教授が最後に言った言葉を思い出した。

「この一年間、労働三法だの、ヒューマンズ・リレーションだの、雇用と賃金だのと難しそうに申してまいりましたが、皆さんが職場に出て一番大切なことは『明るいあいさつと健康な笑顔』であります。たとえ、困難なことが起ころうと、この二つで必ず乗り越えていくことができます。私の授業内容は忘れてもこの二つは生涯大事にしてください。」

 

この授業は受講生全員がスタンディング・オベイションして拍手はしばらく鳴りやまなかった。

私は三人の上司の笑顔で50年ぶりにあの教授の言葉を思い出していた。

あなたを生かす人間関係(ヒューマン・リレーション) (明るい人生シリーズ)

 

病院に関する十七の話「⑤入職試験」


病院の採用試験で受けたのは面接のみであった。総務の次長(男性)と主任(女性)が担当してくれた。2人とも終始ニコニコしていた。簡単な質問をされて後はいつから勤務出来るかと問われた。明日からでも働けますと答えた。

 

「じゃあ、来週からにしてもらおうか?」と次長が言った。

「事務長の決裁は?あと回しで良い?」と主任が次長に尋ねた。

 

それで面接は終わった。採用はあっけなく決まった。72歳、一年弱かけて20連敗の就職活動。すっかり弱気になって、今回もだめならキッパリあきらめよう。高齢での再就職はムリだと。

そんなふうに考えていた。

だが、ここへ来てあっさり採用された。ハローワークの担当さんが喜んでくれた。「あきらめず、がんばって良かったですね。」と言われた。

 

病院に採用で受けたのは面接試験のみであった。総務の次長(男性)と主任(女性)が担当してくれた。2人とも終始ニコニコしていた。簡単な質問をされて後はいつから勤務出来るかと問われた。明日からでも働けますと答えた。

 

「じゃあ、来週からにしてもらおうか?」と次長が言った。

「事務長の決裁は?あと回しで良い?」と主任が次長に尋ねた。

 

それで面接は終わった。採用はあっけなく決まった。72歳、一年弱かけて20連敗の就職活動。すっかり弱気になって、今回もだめならキッパリあきらめよう。高齢での再就職はムリだと。

そんなふうに考えていた。

だが、ここへ来てあっさり採用された。ハローワークの担当さんが喜んでくれた。「あきらめず、がんばって良かったですね。」と言われた。

現在、まる三ヶ月が経過、試採用期間が終わったばかりだ。私のような高齢者に機会を与えてくれた面接官の2人と採用権者の事務長には感謝している。

彼らに報いるよう仕事をまっとうしたい。

病院に関する十七の話「②昭和29年ヒ素ミルク事件」


医局でもらった本の中にその事件について書かれたものがあった。私にとってその事件とは長年私の心の中で燻り続ける得体の知れない火種のようなものであった。

 

昭和29年生れの私がそれまでの人生の中でこの事件について両親や教師から見聞きして知っていたのは以下のような事実である。

西日本の昭和29年、30年生まれの赤ん坊の間に奇妙な病気が流行した。様々な障害が体のあちこちに発生した。発熱、発疹、下痢、皮膚がどす黒く変化した。当初は奇妙な感染症か何かと思われた。ほどなくこれが大手の粉ミルク製造会社の徳島工場で製造された缶入り粉ミルクに混入していたヒ素が原因であることが判明した。

 

私は幼稚園には一年しか通わなかったが、同じクラスの園児が一人亡くなった。ヒ素ミルクの被害児だった。「あの子はなぜ幼稚園に来ないの?なぜ死んだの?どこへ行ったの?誰が悪いの?」私は訳も分からず母親を問い詰めて泣いていた記憶がある。

 

そして、小中学校の経験の中でヒ素ミルクに関する強烈な悲しい思い出がある。毎年、クラスの同級生の中に体育の授業を受けられない子、学校を休みがちな子、顔色の悪い子、杖をついた子たちが数名いる。そして、同級生が一人二人学校に来なくなる。亡くなっていく。

小学校3年の時、同じ年に二名のクラスメイトが亡くなった。私たちはクラス全員で告別式に出席した。みんな泣いていた。先生も泣いていた。

 

1969年昭和44年7月21日アポロ11号が月面着陸に成功した。この時私は中学三年だったがこの日に学校を休んでいたクラスメイトが亡くなった。学校で月面着陸成功のニュースをみんなで見て拍手した直後に亡くなったという知らせがあった。電話を受け、担任の女性教師は泣き出した。クラスメイトもみんな泣いていた。

 

こうして私たちの年代のものは直接的にヒ素ミルクによる障害を持った人もヒ素ミルクによる悲しい思い出を背負った人も年を重ねていく。

 

しかし、当の企業も政府も何ら手を打たず、補償や責任の話が公になったのは昭和52年、つまり昭和29年、30年生まれの人たちが大学を卒業する年のことであった。 

 

私は、私が生まれた年に起きた悲しい事件の内容についてほとんど無知なまま老境を迎えてしまった。知らなかったでは済まされない悲しい事件について多少なりとも真実を知り先に逝った同級生たちの御魂に合掌したいと思う。

エンゼルの青春―森永ヒ素ミルク中毒事件被災児の記録 吉田一法写真集 (1973年)

病院に関する十七の話「①医局図書室の原節子」


入職後のある日の朝礼で「図書室の保管期限終了の本を持ち帰って良い。」と言われた。興味があったので業務終了後に覗いてみようと思った。「図書室はどこですか?」と総務課で尋ねたら二階の医局の隣と教えられた。

医局の扉を開けたら入ってすぐの所が図書室だった。医局の誰かに告げてから本を見ようと思ったが、どうやって医局にいくのかわからない。図書室の端に簡易テーブルがあり白衣の女性が一人読書していた。姿勢がよく気品があって、なんか宮様のような清らかな威厳を漂わせている。気が引けるが勇気を出して声をかけた。名札を見せて、

 

「あのう、庶務のバイトのとくたですが、不要図書を頂けると聞いて伺ったのですが、、、。」

 

宮様はゆっくりと本を置き顔を上げ、私の方を見て「御本がお入り用なのですね?それでは医局の人に話してみましょうね。」とおっしゃった。声は原節子をゆっくりと静かにしゃべらせたような感じで上品だった。

彼女は図書室の奥の医局に行き若い女性職員に私の来意を告げ、ゆっくりと自席に戻って読書を再開した。

医局女子の説明を受け私は廃棄予定本の中に読みたいジャンルのものを見つけ出し、三冊いただくことにした。一冊目を取ろうとした時、私の白衣のポケットから500ミリリットル入りのスクリューボトルが床に落ちてしまった。ガチャンとものすごい音がした。図書室での騒音はご法度である。

「すみません。大きな音を立てて。」

とっさに詫びて宮様の方を見たが彼女は少しも慌てずゆっくりと本から目線を上げて私を見て、「いいえ。どういたしまして。」と、おっしゃった。

私は大いに恐縮しながら、そそくさと図書室を後にした。

(あの女性は誰だろう?ドクターだろうか?)帰り際に医局の人に尋ねることさえ恐れ多いような気がした。

 

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